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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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ミトコンドリア遺伝子はもう古い 時代は核DNA時代に 現代人はネアンデルタール形質を継承していた!

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日本人バイカル湖起源説の篠田謙一以来、人類起源の謎に終止符を打ったかに思われてきた人類単一起源説(アフリカ起源説・MTイブ起源説)であるが、実は遺伝子学世界では2010年から、ミトコンドリアDNA遺伝子では母方しかたどれない、人間の外見上の相違に関わらないMTDNAではすべてを解明できないという流れが世界的に始まっていた。われわれ一般人がmtDNAという言葉を初めて知ったころには、すでに学界ではY染色体遺伝子による探索が同時進行しており、Y遺伝子すら父方しかわからないことから、究極の核DNA遺伝子による探査が開始されていたのである。つまりmtはもう古いとさえ言われ始めているのだ。


核DNA(かくディーエヌエイ、英: Nuclear DNA、nDNA)は、真核生物の細胞核に含まれるDNAである[1]。核DNAは、真核生物のゲノムの大部分をコードし、残りはミトコンドリアや色素体が持つDNA(オルガネラDNA)がコードしている。ミトコンドリアのDNAが母系制であるのに対し、核DNAは、両親から遺伝情報を受け継ぐメンデルの法則を担っている[2]。


2010年の画期
始まりはネアンデルタール人の核DNA分析結果からだった。母方mtDNA遺伝子では繰り返し否定されて来たネアンデルタール人遺伝子と現代人との継続の可能性が、核DNA遺伝子分析によってネアンデルタール人の形質は確かに現代人に受け継がれていることがはっきり証明されたのである!(中橋孝博『倭人への道 人骨の謎を追って』吉川弘文館 2015)



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mtDNA最大の欠点は、それが人間の外見的相違には関わらない遺伝子であるという点だった。そして史上、さほど積極的な遠隔移住がなされにくい立場である母方の遺伝子であり、それゆえにむしろmtの長所となったのが、母親遺伝子を芋づる式にたどることが可能でアフリカ単一ミトコンドリア・イヴにまで到達できたことだったが、Y染色体父方遺伝子の分析結果との違いが出ることについて、大方はさほど関心を示さなかったものの、多くの人類学者や遺伝子学者内部にあったかすかな疑念が、2010年以降の核DNAサンプル分析によって、一気に「やっぱり!」「mtだけじゃだめだな」「イヴ説にも眉唾部分?」「mtDNA遺伝子の今後の新説はまだまだ仮説の域から出られまい」といった流れの急転が起こり始める。


もちろん、それ以前の古い人類学でも、人類がアフリカのサル~猿人を起源とするということはmt説と一致していた。mt分析が画期的だったのは、その分岐の震源地が、それまでの各地でそれぞれに分岐して原人が生まれたという考え方から、アフリカ内部ですでに原人と進化してから出アフリカした、だからたったひとつの母にまでたどれたという結論であった。その分かりやすさから、多くの人々が「これで決まった」「謎は解けた」と思い込んだところがあったことは否めまい。筆者は篠田や外国論文などを読んだ結果では「サンプルが少なくこれが結論とは言えないだろう」とこのブログに書いておいたのだが、中橋をはじめとして多くの世界の人類学者もまた、ミトコンドリアイブ、単一遺伝子進化説には内心、首をかしげていたわけである。


人類史ファンの中には、まるですべてが決まったとしてしまいたがる論調も多々垣間見えたが、中橋に言わせれば、「今や遺伝子解析の視線はこぞって核DNAのほうに向けられ始めているようだ。」「限られた個体からもたらされた情報だけであまりに多くを言い過ぎてきたということだろうか」「すでに図9のような(出アフリカ単一起源説の)モデル図は使えなくなっている」とまで書いている。


やはり篠田らの仮説はサンプル不足だったわけだ。核DNA遺伝子はこれまで残存が非常に少なく、サンプル不足状況があったために、よりサンプルの多いmtDNAのほうが、学者たちには都合がよかったのである。しかし、母方しかたどれないでは、それが絶対とは言えるしろものでないのは当然である。もちろん篠田のセンセーショナルな仮説である日本人はバイカル湖から来た、も今後大いに見直される立場になったと言えるだろう。数学の答えを人類史に求めても、答えはひとつでは終わらない。なぜならそれが人間の複雑性だからである。例えば、まったく同じ地域で近接して出てきたグルジアの二体のドマニシ人頭骨が、まったく形質や外見が違っていたように、人類はさまざまな混血によって個性をまったく変えてしまうのである。あるいは先ごろ発見されたロシアのデニソワ人は、ロシア科学アカデミーの学者の発表では、ネアンデルタールでもクロマニョンでもない「デニソワ人」というカテゴリの新人類であり、スペインで発見された40万年前のシマ・デ・ロス・ウエソス人骨もまたネアンデルタールよりデニソワ人に近いとする意見が出されている。つまり人類学者は、複数起源説がお好きなのである。ということは、要するに人間とは、ご当地をそれほど愛していて、それぞれの場所から人類はばらばらに分岐していったという話が大好きなのであろう。それもまた実に困った眉唾説になっていく可能性をもった人間のどうしようもない部分ではある。


最新説では、例のセント・フローレンス島の小さな人類こそは、出アフリカ人類だったのであるという人も出ている。ホモ・フローレシエンシスはまた、アボリジニの祖先としてホモ・ハビリスとつなげるべき人類であり、最初の出アフリカ人類とはホモ・ハビリスだろうといわれ始めている。

また、コーカソイド的な復元相貌から、欧州では人類はすべて欧州人が広がったものと自慢していたケネウィック・マンも、その後の分析で、背が小さく、コーカソイドよりむしろアイヌや琉球人に近いとなった。沖縄の港川人は、柳江人よりもインドシナ人類と近く、ポリネシア・ミクロネシア人等の島嶼系人類で、日本人とは遠い。そして今の沖縄人が直接港川人から派生した可能性はあまり認められないとも言う。


すべて過渡期の仮説でしかない。


今後の遺伝子学や人類学の発表もまた、常に眉につばをつけながら慎重に傾聴すべき仮説でしかないだろう。なぜなら、その学問をやっている人間もまた人類であり、国家を背負い、国・故郷を背負うただの俗物・凡人でしかないのだから。










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