四日市の小牧南遺跡、炉中央に謎の丸石 まじない?類例なし
産経新聞 11月26日(木)7時55分配信
縄文時代の集落跡が見つかっている小牧南遺跡(四日市市小牧町)で、縄文中期(約4千年前)の掘立柱(ほったてばしら)建物3棟と竪穴住居4棟が新たに見つかり、県埋蔵文化財センターが28日に現地説明会を開く。竪穴住居の1棟には石囲い炉が完全な形で残っているが、中央に丸石が置いてあったのがミステリアスだと話題を呼んでいるといい、調査員は「意図的に置かれたようだが類例がない。何かのまじないだろうか」と話す。
縄文時代の集落跡が見つかっている小牧南遺跡(四日市市小牧町)で、縄文中期(約4千年前)の掘立柱(ほったてばしら)建物3棟と竪穴住居4棟が新たに見つかり、県埋蔵文化財センターが28日に現地説明会を開く。竪穴住居の1棟には石囲い炉が完全な形で残っているが、中央に丸石が置いてあったのがミステリアスだと話題を呼んでいるといい、調査員は「意図的に置かれたようだが類例がない。何かのまじないだろうか」と話す。
三重県四日市市小牧南遺跡
縄文時代中期~鎌倉時代までの長期集落遺跡
二次までの調査成果
主に3つの時期の集落跡を発見。1つ目は縄文時代中期末、2つ目は古墳時代前期、3つ目は飛鳥時代です。その他、鎌倉時代の遺構も。
縄文時代中期(今から 4,000 年前) 掘立柱建物6棟、竪穴住居2棟、その他、食べ物を調理するための集石炉1基、食べ物を貯蔵するための土坑など。遺物は縄文土器や勾玉、石鏃、石 などが出土。
古墳時代前期(今から 1,700 年前) 竪穴住居 40 棟がみつかり、遺物は土師器や鉄鏃、砥石が出土。竪穴住居のうち4棟は、床から炭や焼けた土が多くみつかり、火災などによる焼失
住居であることがわかった。
飛鳥時代(今から 1,400 年前) 竪穴住居5棟がみつかり、遺物は土師器や須恵器、鉄鏃が出土。
鎌倉時代(今から 800 年前) 土坑1基がみつかり、遺物は土師器や山茶椀が出土。
主に3つの時期の集落跡を発見。1つ目は縄文時代中期末、2つ目は古墳時代前期、3つ目は飛鳥時代です。その他、鎌倉時代の遺構も。
縄文時代中期(今から 4,000 年前) 掘立柱建物6棟、竪穴住居2棟、その他、食べ物を調理するための集石炉1基、食べ物を貯蔵するための土坑など。遺物は縄文土器や勾玉、石鏃、石 などが出土。
古墳時代前期(今から 1,700 年前) 竪穴住居 40 棟がみつかり、遺物は土師器や鉄鏃、砥石が出土。竪穴住居のうち4棟は、床から炭や焼けた土が多くみつかり、火災などによる焼失
住居であることがわかった。
飛鳥時代(今から 1,400 年前) 竪穴住居5棟がみつかり、遺物は土師器や須恵器、鉄鏃が出土。
鎌倉時代(今から 800 年前) 土坑1基がみつかり、遺物は土師器や山茶椀が出土。
石囲い炉は直径70センチ。半地下に掘り込んだ円形の竪穴住居(約15平方メートル)の中央付近で見つかった。完全な形で見つかるのは珍しいという。
炉内には木炭片や焼けた土があり、肉や魚を焼いたり、深鉢を置いて煮炊きをしたりしたと推測、いろりに似た役割が考えられている。炉内からは黒曜石の剥片が10枚以上見つかり、鋭利な打製石器を作っていた様子もうかがえる。
炉の中央にあった丸石は直径9センチ。煮炊きなどの道具と考えられず、外から偶然入り込んだ可能性も低いという。担当した勝山孝文調査員は、炉は縄文人の生活で最も大事な場所で神が宿っている意識があったと想像し、「別の場所に移るときの後始末として、感謝の儀礼を行った痕跡ではないか」と推測する。
このほか、縄文時代の狩猟用と考えられる落とし穴や、弥生時代末ごろの竪穴住居21棟も見つかった。
現地説明会は28日午前10~11時。問い合わせは現地公用携帯(電)080・3677・5932。
炉内には木炭片や焼けた土があり、肉や魚を焼いたり、深鉢を置いて煮炊きをしたりしたと推測、いろりに似た役割が考えられている。炉内からは黒曜石の剥片が10枚以上見つかり、鋭利な打製石器を作っていた様子もうかがえる。
炉の中央にあった丸石は直径9センチ。煮炊きなどの道具と考えられず、外から偶然入り込んだ可能性も低いという。担当した勝山孝文調査員は、炉は縄文人の生活で最も大事な場所で神が宿っている意識があったと想像し、「別の場所に移るときの後始末として、感謝の儀礼を行った痕跡ではないか」と推測する。
このほか、縄文時代の狩猟用と考えられる落とし穴や、弥生時代末ごろの竪穴住居21棟も見つかった。
現地説明会は28日午前10~11時。問い合わせは現地公用携帯(電)080・3677・5932。
今回発見された「丸石」はさほど大きなものではないが、実は以前の調査では、このような大きな平石が見つかっている。これは食卓に使ったのではないかと言われている。
問題の今回の小さな丸石についてはまだ画像がないので想像するしかないが、研究者の推測するような祭祀道具だったかどうかは、今はなにも言えまい。
煮炊きとは考えられないとあるけれど、焼いた石を水に投げ込み煮炊きする調理法は世界の未開地には存在する。