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大阪城陥落の影に欧州宗教戦争の影・NHK家康番組から


昨夜面白い歴史推理番組を見て非常に面白い視点だと感じた。
家康が大阪城陥落させた背後に、イングランドのプロテスタントとスペインのカトリックの宗教戦争が大いに影響したというもの。


家康は一面でキリシタン弾圧はしたものの、それはカトリックへの弾圧であり、スペイン弾圧ではなかったか。その背後にはイングランドのプロテスタントとしての思惑があり、家康は女王から大砲を入手したと。それが大阪城の淀君を右往左往させ、結果的に天下は家康のものとなったというものだった。もしこのロング砲がなかったら大阪方が勝っていたかもしれない大阪の陣だとも。しかもその大砲はエリザベス一世がスペイン艦隊から戦利品をうばいとるための海賊行為のために存在。

これまでにない視点で、実に説得力があった。

当時の欧州は海外へ船による拡大政策の真っ最中。スペインと言えば無敵艦隊の時代。一方イングランドは弱小の島国でしかなかった。北にカトリックのスコットランド、南にもアイルランドを控えて、なかなか世界に打って出ることもできない。フランスはイングランドを蛮族、古いケルトワールドとあなどり、ポルトガルにもスペインにも認められてはいない。しかし宗教的には古い大陸のカソリックではなく、改革された新しいキリスト教国家だった。

スペインは信長時代から日本へ伝道師を送り、日本人をカトリック化しようとしていた。ザビエル・フェノロサなど有名。その影響をもろにうけたのが長崎などのバテレンたち。秀吉はそれを弾圧。家康はそれを遠い関東から見ていた。そしてイングランドと手を結ぶ。手にしたのは大型の大砲だった。かわりに家康はエリザベス一世へ兜の贈り物をし、それがあるのはハリーポッターの舞台となった街。

日光東照宮にはその痕跡としてイギリス式のさまざまな産物のレプリカが石造として並んでいる・・・。


ということは大阪の夏・冬の陣は、英国とスペイン、いやカトリックとプロテスタントの植民地拡大合戦を日本に移した代理戦争だったともいえるわけである。
ちょうど卑弥呼直前の魏・呉戦争代理戦争だった倭国の乱と似た状況なのが面白い。エリザベス女王と家康をつないだのは、あの教科書で習った三浦按針(ウイリアム・アダムス)であったというところですべてがつながる。何をした人かがいまいちだった彼の意味がやっとわかった。学校は教えてくれない事実。


歴史はまことに面白い。
江戸時代は鎖国ばかりだと思ってきたが、実は英国との関係は明治時代になって海軍を学ぶところまでつながっているのである。

なるほど。



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