日本史(文献史)の肝は記紀が書き残したいくつかのポイントを見極めるところにある。
1 蘇我氏政権~天智~天武天皇~持統天皇女帝時代への切り替わり時期
2 継体大王の登場
3 応神~雄略
4 聖徳太子の正体
この四つの切り替わり時期をよくよく深く読むことで、あらかた『日本書紀』の矛盾や嘘や破綻がわかるようになる。あとは「おまけ」のような尾ひれエピソードの挿入で、あまり気にしないほうが問題点は明確化する。
次に有史以前は考古学でしか見ることが不可能だ。
1 弥生時代草創期・初期・中期・後期区分を自分なりに再編成する
2 弥生文化の伝播の東西タイムラグ
3 縄文のヘテラルキー意識がヒエラルキーへと変遷してゆく過程をつかむ
4 倭国大乱による時代区分を
5 古墳時代の始まりではなくヒエラルキー意識の萌芽こそが時代の変わり目
6 応神~雄略、継体~飛鳥への変わり目で擬態的遺物はなにがどう変わったか
ここには邪馬台国について書いていない。
それは上記ポイントを数年かけて、客観的に検証していけば、誰でも気づき始める。
今筆者は『日本書紀』、日本古代史を俯瞰し、これまで筆者のオンボロな薬味箪笥の引き出しに10年かけてランダムに切り取り整理してきた膨大な断片を組合せ直し、やはりおんぼろな乳鉢の中で、あたかも錬金術師のように乳棒でそれらの薬品をすり合わせ直して、古代史の肝と言う漢方薬を作り直している最中である。だからひとつの記事に以前のようには短時間で書くことはできない。脳細胞の再編集だから当然、たくさんの時間が必要である。慎重に書いているということではない。一旦引き出しにしまった先達たちの知識を、引き出しから探し出し、組合せ、調合し直しているからだ。
先史時代まで順にそれをたどり直す。すると『日本書紀』天武記事の虚構が最初のとっかかりであることに気づく。洋服のボタンの掛け違いが『日本書紀』編纂時にすでに始まっていることに気がつくのである。もし過去の日本人のすべてがそれに気がついていたら、先の大戦は起こりえなかったとすら思う。
だから古代史の虚構を暴くとは、多くが思うような、反体制な行為などではなく、むしろ日本の平和への道について考えることにつながるだろう。そう信じてこの10年を費やした。
天武までの日本の史書の虚構、ボタンの掛け違いを知るためには、次に日本人が出来上がる前の先史時代を、少なくとも縄文~弥生~古墳時代まで順を追って、考古学の実績から省みる必要があるだろう。
縄文~弥生を知るための肝は弥生時代中期の切り替わり時期を知ることが大切だ。
そして、弥生時代を自分なりに再編成し、弥生時代草創期、早期というものが北部九州にしかないことを把握しておかねばならない。そう、弥生と一言でいうだろうが、中期後半になる2世紀まで、北部九州以外はまだヘテラルキーな円の世界。縄文世界なのだということをである。
そして北部九州ほどの大陸的ヒエラルキーな遺物を大量に出す世界は、その後少なくとも500年、ほかにはなかったということである。その中国の影響下にあった国家的民族意識は、大和へは200年かかり、東海へは300年、関東・東北南部へは500年以上の時間がかかって伝播したという認識を持たねばならない。そうでない人に邪馬台国も日本古代史文献の真偽も気づくはずはないのだと思う。
これからまず弥生土器が何年かかって日本中に広まるかを松木武彦の考古学による史論を参考にしつつ、とは言いつつもすべてをそれに首肯はしない態度で、ざっとたどり直してみたい。そんなに難しくはならないだろう。お楽しみに。
そうするとすべてが見えてくるはずだ。
そう思わない人は、本の読み方が筆者よりも少ない人だと思ってがんばってもっと本を読んで欲しい。
いつもえらそうに言うけれど、お許しください。事実ですから。