あなたは普段食べている魚の名前をどれぐらい言えますか?
もしそう聞かれたら、日本人はだいたい誰でも10種類以上、すらすらと答えられる。
しかし西欧人だと2~5種類言えたらその人は魚通である。
今、筆者のすぐに思いつくものだけあげてみたら・・・
アジ・サバ・イワシ(うるめ・おおば)・タイ・ヒラメ・カレイ・マグロ(黒・めばちなど)・カツオ・サヨリ・秋刀魚・イトヨリ・ホウボウ・アマダイ(ぐじ)・オコゼ・メバル・キンキ・キンメ・アラカブ・ホゴ(カサゴ)・チヌ(黒鯛)・イシダイ・鮎・ヤマメ・イワナ・鯉・フナ・イカナゴ・どんこ・ハゼ・アンコウ・フグ・イナダ・ウナギ・イサキ・カワハギ・シラウオ・シロウオ・カンパチ・ブリ・スズキ・ボラ・カジキマグロ・カマス・コハダ(シンコ・サワラ)・サケ・マス・シシャモ(本シシャモ・カラフトシシャモ)・ゴリ・二シン・太刀魚・イボダイ(アメタ)・コチ・タラ・ハタ・・・・
とまあざっと40種類以上の名前がすぐに思い浮かんだ。
多くはスーパーでみかけたり、実際に調理して食べることの多い魚ばかりだ。それ以外でもいくらかの名前は知っている。筆者が料理をする人であるからではない、だいたいそれぐらいの名前は大人の、料理をする日本人なら言えるだろう。
しかし西欧人がよく知っていてけっこう食べる魚と言うとサーモン・トラウト(マス)・ツナ(まぐろ)・シーバス(スズキ)程度のものだろう。もちろん地中海など海岸部の人ならもう少し詳しいだろうが。しかもサケの種類についてはほとんど無頓着。(アトランティック・キング・レッドなど見分けるのは魚屋か釣り師だけ)
それほど魚食民族と獣食民族では食材への知識欲が違うし、食生活がいかに異なるかが見えてくる。
一方で、日本人は肉の部位の名前にはちょっと前までほとんど無知だった。これも食へのこだわり方の違いである。朝鮮半島では豚肉、牛肉の部位について細かな名前がつけられているし、フランス料理でもそうである。しかし日本人はジビエ素材にはほとんど無知である。
ところが日本人は、それと同じくらい(例えば魚ではないが)クジラの部位についての言葉をたくさん持っている。
海洋に周囲を囲まれる島国日本では、獣食中心だったはずの縄文時代から魚は食べられていて、貝類やイカ・蛸も骨が出てくる。日本の海岸線の総延長は世界で6番目で、アメリカや中国より長い。一方で淡水魚の種類は世界と比較すると少ないほうになる。現代中国が海にこだわりを見せるのは、北海道から台湾にいたる列島の弧が、自分たちの前の海を狭くしているという焦燥感からであろう。
魚介類について日本人は、そのすべてを往古からの食生活、それをうまくさせる季節歳時記によって頭にインプット、区分して把握しているのである。
いずれにせよ食材の違いはその国民の使う言葉の単語数にも相当な影響がある。
そして日本人が魚食に徹した割りに獣食にはほとんど無知でやってきた原因は弥生時代に遡る。縄文までは狩猟のほうが魚食より多い。一般に日本が仏教国だったからと言われているけれど、同じ仏教国でも朝鮮は肉を食うし、中国でも豚やアヒルを食う。
日本で肉食が禁じられた最古の記録は『日本書紀』天武天皇の発令した禁止令からであるが、それも必ずしも仏教の戒律のせいだったわけでない。そもそも仏教の殺生戒によるのなら、魚介類だって生物であり、禁じられていなければなるまい。
天武朝で禁止となった肉類は5種類だけである。
天武四年(675)
ワナを用いて狩猟・漁労することを禁じる。
理由は乱獲防止。
4月1日~9月30日の間に、牛・馬・犬・猿・鶏を食すことを禁ずる。
またオリ、ししあな、機槍(きそう。機械仕掛けで槍が飛び出す)および簗(やな)の使用を禁ずる。
ここにはそれまでの日本の民衆では珍しくもなかった鹿とイノシシ、それに野鳥類に対する禁止がまったく書かれてはいない。それは仏教による戒めに矛盾することになる。つまり天武朝は殺生全部を禁止してはいないわけである。
ちなみにサルは主として「薬食い」であり、犬は朝鮮からの渡来部民がもたらした風習。ただし、石毛直道はサルを常食にしていたはずはないだろうと書いてはいるが、筆者の知るところではアフリカなどでむしろサルは最高級の食材で、非常に美味であるとされている。フランス料理でもサルの脳みそは美食中の美食。また野鳥は今の日本では禁鳥として多くの野生鳥類が捕獲も食べるのも禁止であるが、昭和期にはスズメなどは空気銃で撃って食べられていたし、往古はかすみ網で一網打尽にし調停へ献上したり、神の贄として差し出されていた。鶏だけが禁じられたのは『日本書紀』神武紀にもある「金鶏」が天皇の象徴的な神聖な生き物とされたためであろう。伊勢神宮に行けばそれ実感できる。仏教によって禁止されるのは仏教に深く寄与した為政者のいた頃の一時的なものだったと言える。贄であったということは神道の方針だったのだから、仏教よりも神道の思想のほうがどうやら優先されたらしい。
同じように生贄として牛や馬の献上も江戸期過ぎても存続し、あとの処分は賎民たちにまかされていたから、間違いなく食されていたのである。全国に牛馬を祭る神社があり、今は牛馬をお払いしてもらっているが、そもそもは牛馬は神への供物であり、その神社が多く民衆の神であったスサノヲを主祭神にした「大将軍」信仰であることから見て、おそらく渡来系や縄文系の部民や賎民の食習慣である。少し前までとさつはそうした下層の人々に任せられていた。中世で言うならば「犬神人 いぬじにん」というのはご存知のように中間=被差別であった。
殺生を全面的に禁止したのはもっとあとの聖武天皇である。大仏開眼の際に出されている。孝謙女帝が大仏開眼を祈念していっさいの殺生を禁じ、さらに漁労まで禁止して、かわりに米を与えている。これが仏教が関与した最初。
これ以後、12世紀までに何度かの禁令が出される。ということは護らない人が多かった=食べていたということである。「令義解 りょうのぎげ」(833)には僧侶・尼に対して肉食禁止、飲酒禁止、聖職者全員に五辛(五臭。ニンニク・二ラ・蒜・ネギ・ラッキョウ)を禁止。理由は淫欲・憤怒を引き起こす・・・から。つまりどうも仏教の戒律以上に、現実生活でそういうやからが宮中・寺院でもいたからだろう。あとだしであるということは、戒律からというよりも、現実問題だったから禁止したととらえられる。しかし民衆にはそんな法令など届かない。じゃんじゃん食っていたと思ってもあながち間違いではない。
弥生時代の遺跡ではどう見てもこれは食人したという人骨も出てくる。http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/57237055.html
なぜなら人間とサルと腐肉は、狩猟初心者でも簡単に手に入ったからである。まるでハゲタカや若いティラノザウルスのような欠食児童ぶりである。
中国でも6世紀梁の武帝が仏教に熱心で、僧侶が肉食したら処罰すると禁令を。これも実際にいたからそういう令が出るわけだ。
朝鮮半島でも何度も出されるが、全然効果なしだったようだ。韓国人は自分たちの肉食習慣をモンゴル人の侵略のせいにしたがる。実は大好き。
禁止令を仏教戒律に結びつけるのは一番簡単な発想である。しかし現実にはたくさんの人々が肉を食い、酒を飲みしていたからでしかない。そもそも現代においても、東アジアの仏教国で、国民全員が禁欲している国などまったくなく、やっているのは僧侶だけである。宗派によっては肉食OK、剃髪しなくてよいもありなのだ。イスラーム国の過激ムスリムたちが聞いたら、発砲してきそうな世界が仏教国世界なのである。中国は今、内心ISの侵略におびえている。
プルコギという焼肉料理が朝鮮にはあるが、あれは日本のジンギスカン鍋と同源で、もとはモンゴル帝国・元の肉食の影響である。日本の神道ではケガレ・不浄として血を忌む風習がある。この影響で天皇が禁令を発したというのはありうる話だ。民俗学で赤不浄・黒不浄という民間にも広がった通念があった。黒不浄は死、赤不浄は女性の経血である。動物の血液も当然不浄である。そしてその通念は古代神道と密接な間柄であった宮中に最初取り入れられる。其れが中世には武家に伝播する。そこから近世民間へも広まっていったのである。ということは日本人全般が血と肉を禁忌するのは近世が中心だったということになるだろう。それ以前は、かなり食べられていたのではなかろうか?
犬を食う風習も江戸期まだあっただろう。半島ではソウルオリンピックまで大都市ソウルに犬鍋屋がたくさんあった。それをオリンピックで海外からたくさん人が来るからと地方へ追い出した。スラムや屋台の追い出しはオリンピックや万博のたびに起こるもの。東京五輪でも東京から乞食やものもらいが消えたし、大阪万博では歓楽どや街だった新世界が再編成された。そういうものなんやで。とすると屋台がいまだに存在する博多は貴重だ。
そもそも、ああいう屋台とか闇市時代のヤミ屋のような違法飲食店街は、なかなかおつな世界で、それはそれなりに街に活気を与えるものとしておめこぼおしされてきた歴史がある。なんでもかんでもきれいさっぱりに整備してしまうと、生活が杓子定規な潤いのないものになってしまうものだ。今の日本はどこに行っても金太郎飴のように区画整理され、陰影のない、底の浅い町並みになってしまった。少しはガス抜きの抜け穴を作っておかないと、そのうち日本人だって爆発する。アメリカが非常に環境にうるさい国になってしまっている。しかしヨーロッパではそうでもない。日本はアメリカの真似をして、排ガスからタバコまで一切合財を締め出そうとし始めている。まるでPTAみたいに、がみがみといい始めた。これは結果的に悪質な犯罪を専門集団を追い出すことによってかえって一般民衆にさせてしまうことになる。タバコを禁止しすぎて麻薬が若者に流通したり、安全な道具しか使わせないことが、殺人事件をもっと凶悪でマニアックなおたくなものにしていっている。日本人が教育ママ化しすぎている気がする。肌寒い。
野鳥や野生動物でもそのうまさを楽しんでしまうフランス人やイギリス人のように、なぜそれらをある程度の許容度を持って存続させられないのだろうか?厳しすぎる法律が今のイスラム世界を作り出したのではなかったか?