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天逆鉾・征服者勝利の印

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今月の言葉
「夜中に来る奴はほんとにクリックしやがらねえ。夜討ち朝駆けだよまったく・・・」某ブロガー
 
 
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鹿児島県高千穂峰頂上の天逆鉾
 
 
古代~中世神話における「剣を逆さまに突き立てる行為」とは征服するぞの意思表示

●武甕槌  たけみかづち(藤原氏の祖神) 『日本書紀』
出雲の五十田狭小汀(いたさのおはま)に降り立って、十握の剣(とつかのつるぎ)を砂に身を上にして束を突き立て、大己貴命(おおあなむち、オオクニヌシのこと)に国譲りをせまった。これを天の逆鉾と言い、相手を征服するという意思表示である。
 
 
●天日槍 あめのひぼこ (新羅の王子・紀では天之日矛。出石大神)『播磨国風土記』
出雲のイナサの浜で大国主と敵対し、出雲に住もうとして、剣で海をぐるぐるとかき混ぜ波を立てて、その上に座って威嚇した。
これも征服の意思表示である。
 
 
●天逆鉾 あめのさかほこ
金剛宝杵(こんごうほうしょ)、天魔反戈(あまのまがえしのほこ)ともいう。宮崎県高原町の霊峰高千穂峰の山頂に突き立てられている。山頂部は、霧島東神社(宮崎県高原町鎮座、霧島六所権現の一社)の飛び地境内であり、天逆鉾は同社の社宝である。
 
1 元来、記紀神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神が天沼矛を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き抜くと、切っ先から滴った雫(あるいは塩)がオノゴロ島となったとされていた。これを天の沼戈(あめのぬぼこ)と言う。つまり戈をかき回す行為は国家建設を意味し、それを束を下にして突き立てれば、国家侵略となる。西欧の騎士が手袋を投げつけたと同じ行為だが、もっと国家規模の喧嘩を売る行為。威嚇。 
 
2 天逆鉾が、大国主神を通してニニギに譲り渡されて国家平定に役立てられ、その後、国家の安定を願い矛が二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てたという。この伝承は地元鹿児島県や宮崎県の天孫への愛着から生まれてきた逸話であろうが、とりもなおさずその国家にとっての象徴的山である高千穂の峰の頂上に、天孫ニニギが剣を逆さに突き立てた行為は「征服するぞ」の意思表示にほかならず、愛着を感じるのもけっこうだが、要するに征服されたのは日向であり、天孫ニニギ、あるいはその子孫である神武天皇こそは日向征服者だったことをこの逆鉾こそが象徴しているわけである。喜んでいてどうするのか、と筆者などは思うのである。

ちなみに高千穂峰は、筆者も登山口まで行ったけれど大雨で引き返した記憶あり。霧島山・韓国岳(からくに・だけ)という霧島山系のひとつ。1200メートル級。円錐形。
 
つまり現代の剣に当たるのが、どっかの国がさかんい撃ちたがるミサイルだったってわけ。あそこも喧嘩を売ってますが、本意は「もっとお金くなんじょ」である。
 

●騎馬遊牧民の逆戈行為とアーサー王伝説
「墓に剣を突き立てるのは、アラン族の長を埋葬する時の「しきたり」である」
1.^ C・スコット・リトルトン, リンダ・A・マルカー『アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ』辺見葉子, 吉田瑞穂 (訳), 青土社, 1998年, 978-4791756667.
ランスロット伝説の「ランスロット」という名前そのものも「Alain de Lot」から出るという説がある。
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/--86de.html
 
 

つまり騎馬遊牧民族の間では、死者を弔うために剣を墓標にしたことになるが、アーサー王が引っこ抜いた剣もそういう墓標だったわけで、国家の範囲を示す境界の印だったと考えられる。それを引き抜くとはつまり、これからそっちを征服しますよという意思表示であり、墓に突き立った状態はそもそも「逆鉾」ではないわけで、刀身を突き立てているのはむしろ「順鉾」と言うべきであろう。

日本の神話とは逆の意味になるから。追悼であろう。
 
そもそも当時、剣は高価で宝でもあった。日本の武士でも剣はなかなか簡単に買えるものではなく、伝世が一般的。それを惜しげもなく突き立てて帰るとは、いずれもよほどのゆとりある生活だったことになろう。アメノヒボコの名前などはあきらかに新品の銅戈から来ており、精銅者のイメージである。
 
一方、ツヌガアラシトは大加羅国の王子となっており、「つぬが」とは「角」で、バイキングのような帽子をかぶっていたと言われる。これは半島の官職の名前であるが、それが角になっていったのは日本でである。日本名が「角がある人」であるから大加羅国のほうはおそらく製鉄者だったのだろう。古代、製鉄する人のイメージは鬼である。
 
するとツヌガアラシトは大加羅=伽耶連合の人で、アメノヒボコは新羅の人となって別人だったこととなるが、伽耶という鉄の連合国家は新羅によって滅ぼされるものの、最初から共有地で、最初は倭人=海人国家がいくつもあったものを葛城襲津彦などが統一していたものなのだろう。それが葛城氏が雄略によって滅ぼされたゆえに管理者不在になったわけだ。
 
結局、ここの伽耶人こそが新羅とか百済と人種系列が混交していたわけだから、加羅出身の渡来人はその出自であるもとの国家を言うことで区別して欲しいことになろう。新羅系伽耶人、百済系伽耶人ということになる。だから二人はどっちにせよ同じ伽耶から来た渡来人。だから秦氏も蘇我氏もたぶんそういうことなのではないか?すると伽耶連合は母国から脱出した人々と倭人とで構成され、そこに記録では中国人や高句麗人やスキタイとかモンゴルとか、ロシア人なども?実にいろいろなコスモポリタンな地域だったことになるだろう。西洋人もいたとしたら、かなり文化的にユートピアな場所だったわけで。そこが鉄の原産地だったから、結局新羅はそこを欲しかった。高句麗も欲しかった、倭国も百済も欲しかったのだ。
 
ツヌガアラシトやアメノヒボコのような伽耶渡来系が弥生時代に日本海を渡ってやってきたのである。それが実は大和で天孫族になったと記紀が書くはずはない。万世一系のルールに違反するからだ。ということは実はそうだった可能性が出てくる。
 
大和朝廷の二朝並立の影に、そういう二つの渡来系の相克があった可能性は捨てがたい。
 
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