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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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『日本書紀』なぜ持統で終わるか?天武以前みな虚構?継体

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『古事記』は推古天皇で終わり、『日本書紀』は持統天皇で終わる。
どちらも女帝で終わっている。

『日本書紀』の場合、その解釈は、

『日本書紀』とは革命成功した天武のために書かれたという体裁で、実は裏側に天智の正当性を隠してある。しかしさらに持統を最後におく事で、結果的に持統女帝のために書かれた史書だったと言う事が可能なのである。

現在の天皇家とは、要するに天智→持統の血脈王家だ。
天武はエジプト王朝で言うならばアメンホテップ4世()なのであり、その長男草壁がツタンカーメン、妻ネフェルティティに相当するのが持統女帝である。同様に革命的なアマテラス信仰を畿内に流布させ、その子孫はことごとく短命で終わり、結局は天智の子孫桓武が平安京を建設して今の皇室につながる。天智の娘持統こそはその起点になるのである。


そしてそのすべての皇統の最初の起点が、息長広姫という継体の妻にある「息長天皇家」である。



継体の前は「どこの王かもよくわからない」倭五王政権だが、中国史書に書かれた倭五王の正しい名前は一切『日本書紀』には書かれていない。ということはこの王権のことを『日本書紀』編集者たちは知らなかったということになるだろう。

知らなかったということは、継体よりも前には、大和朝廷というべきものは存在せず、継体がそれをはじめて立てたという判断が正しい。倭五王以前のすべては天皇の他人である。そして継体も革命によって大和を征服するが、転覆された短命種馬政権
である。それをやったのは当然、飛鳥を築く「蘇我王」である。


「持統天皇より前はあずかり知らぬ」と言われた昭和天皇の宮内でのないないの言葉
の意味が、これによって正しいとわかる。天皇に歴史を教えた上田正昭がこの点に何も語らずに亡くなってしまった今、これしか『日本書紀』のロジックを説明できる構図はないだろう。









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