私は最初にこの列島にやってきた渡来者は、よく人類学が言うような、朝鮮民族ではないとかねがね思ってきた。
すると核DNA分析が、思ったように、最初の縄文人との混血者は、中国・・・それも江南の人々だったことを示唆した。
稲作の遺伝子分析でも、稲を持ち込んだのは長江文化人だったことを示唆する。温帯ジャポニカの遺伝子は朝鮮渡来を語っていない因子がある。
にも関わらず、日本の渡来はその大多数が半島由来だと言う。半島が最も近い大陸だからだろうが、朝鮮半島を経由して列島に入った最初の渡来人は、オリジナル半島人ではなく「半島を経由した江南の血脈をひきついだ民族」だったのだ。
だからこそ、秦氏の伝承でも、その本貫の地を秦という南部に起きた国家に求めたのではあるまいかと思っている。
ただ、この考えは、右に偏った万世一系思想とは隔絶したものである。
科学の結論を、右へ利用したがる、つまりどんな結果が出ようと、右へもっていこうという論理には筆者は組しない。あくまでも結果を客観的にみる。それだけである。
イデオロギーで歴史を見ようとするものは、ここへ来るべきではない。それは科学の悪用であって、詐欺師の手法であるから、来ないでよい。
一方で、秦氏のことを書くと、山ほど来訪者が着てくれる。しかし、それがどういう理由で、どういう偏った見方や思想を持ってここへ来られるか、自分にはまったくわからない。これもまた迷惑なことである。秦氏を知ろうという背景に、どのようなイデオロギーがあるかなど、筆者には無関心である。数だけ増えてくれてもうれしくもない。
客観の意味がわからず、あらゆる現実、あらゆる分析を、最初から恣意的に持論に使うようなものは「歴史研究のやから」でしかない。やからとはつまり論理の田舎者だということだ。