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山背大兄の墓か?陶棺の出た竜田御坊山三号墳


竜田御坊山3号墳 陶棺の脚すべてに切断跡 被葬者死去で急遽調整か 奈良

産経新聞 4月8日(金)7時55分配信
 皇族クラスの人物の墓とされる竜田(たつた)御坊山(ごぼうやま)3号墳(斑鳩町、7世紀)の石槨(せっかく)におさめられていた陶棺(とうかん)の脚(21本、いずれも直径約10センチ)が埋葬前にかなり切断され、棺の高さを低くしていたことが橿原考古学研究所の調査でわかった。そのままだと高すぎて、石槨に入らないため、高さを低くしたらしい。

 竜田御坊山3号墳の陶棺(長さ約1・6メートル、幅約48センチ、高さ約47センチ)は昭和40年に発見され、17日まで石槨や副葬品とともに橿考研付属博物館で公開中。公開に合わせ橿考研の前田俊雄・主任研究員らが詳しく調べたところ、陶棺のすべての脚で切断面が確認された。現存する脚の長さは最高約5センチだが、製造時は15~20センチあり、10センチ以上切断されたとみられる。

 一方、陶棺が入っていた石槨内部の高さは約52センチ。もとのままでは陶棺が高すぎて入らないため、脚を切断して低くし、入れられるようにしたらしい。また、棺の本体と蓋(ふた)もうまく組み合っておらず、別々につくられたものをセットで利用した可能性があるという。橿考研は「被葬者が突然死去し、棺が急遽(きゅうきょ)必要になったことから、『既製品』で代用したと考えられる」としている。

 同古墳で見つかった副葬の硯(すずり)や筆の一部とみられるガラス管は遣唐使でもたらされた輸入品と考えられ、被葬者はかなり高位の人物とみられている。

 研究成果は9日午後1時半から、橿考研講堂で開催される講演会で発表される。







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3号墳から脚部と石棺上部が削られて出てきた竜田御坊山古墳。
なんとその発掘はかなり古い。すでに昭和39年というから前回の東京オリンピックの年である。その後、長い間、3号墳の横口式石槨は暴かれず、竜田神社敷地内に置かれたままだったようだ。


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こんな狭いところに入るはずがないサイズだったはず。



本来背の高いはずの陶棺。その起源は吉備に遡る。しかしこの陶棺の様式は吉備式とは少し雰囲気が違っている。脚が短く、背が低いのだ。陶棺には家型と亀甲棺の二種類があり、吉備の古墳時代後期~終末期に登場する高麗様式の 特徴的棺である。脚部は普通50センチになるものもあって、足はむかでのようにずらりと連なる。


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岡山県の陶棺


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御坊山3号の陶棺の身部分。脚が切り取られ、上部も削られている。



今回発見された御坊山3号墳の棺は、家型で、横口式石槨に入れようとした際に背が高すぎて入らないために上下を削り取ったようだ。しかし、一見して石槨は狭く、縦長なので、はじめから入らないことはわかっていたはずだ。そもそも陶棺を石槨で覆いこむという様式はまず存在しない。つまり陶棺と横口式石槨は相容れない奇妙な取り合わせである。

どういうことだろう?

あえてそうしたということは、この人物の遺骸を、常よりも厳重に埋葬せねばならない理由があったのかも知れない。つまりこの墓が蘇我氏によって殺されたという山背大兄王の墓だと言う推測は、そういうところから出てくる。考古学の推定築造年代もちょうど7世紀だ。


●陶棺が陶邑(すえむら)Ⅲ式第1段階の窯跡からの出土品に類似していること
●石槨に高麗尺が用いられていること(ちなみに高麗尺とは、朝鮮半島から伝えられ、大宝令制定以前に用いられたといわれる尺で、曲尺(かねじゃく)の一尺1寸7分にあたる)
●陶棺内の頭部西側から出土した、濃淡のある淡黄緑色釉を施した三彩の円面硯は、隋-初唐様式のものであるが、初唐後期に出現する唐三彩以前のものであること

御坊山3号墳が7世紀中葉以前に築造された墓であるなら、643年に山背大兄王が妃や子弟たちと共に自決して果てたあの悲惨な事件と時間的に重なる部分がある。その意味では、この3号墳の被葬者が山背大兄王である可能性は捨てきれない。



ポイントは吉備型の棺であることと、きれいに遺骨が残っていたこと。それがまったく合致しない横口式石槨に無理やり押し込めてあったこと。副葬品として遣唐使が持ち帰ったらしき中国遺物がたくさんあったこと。琥珀製枕。山背大兄ならば、吉備の棺になぜ入れられるのだろうか?急慮の死であわてたためだろうか?蓋と身の不一致は?とり急いであわてて有り物で代用したのは?祟りを恐れたのか?高麗様式の吉備型棺は単なるそれしかなかったからなのか?

詳細解説はファンクラブブログで。










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