PCは見事に復活した。
このブログをやっていてよかったなと思うことのひとつは、全国にファンができて、本当にこまった時に、何人かの奇特な人が緊急援助を申し出てくれることだ。もちろんネット友との遺跡探訪も楽しいが、今回のような突然の事故の場合は、本当に心遣いが身にしみる。
小さなメモに一言「元気が一番」。勇気をもらえた。すぐに食べられる缶詰や乾き物、それにエネルギーになる甘いものまで・・・。そして高価な地元の酒もたくさん。ありがたい!
一方で、同じファンでも、熊本市内にお住まいの人は、水道がまだ再生していないから飲料水や洗濯・入浴・トイレなどで非常に困っておられる。できればそちらへ先にと思うが、なにしろぼく個人には援助するゆとりがない。水を送る・・・これほど難しいこともあるまい。重たいし、容易には大量輸送も難しい。熊本の白川といえば豊富な湧水で有名であるにも関わらず、地震による液状化やさまざまの事情で、湧水の多くがにごってしまっていて調理や飲料水には使えない。せいぜい汲み置いて、汚濁が沈殿してから風呂や水洗に使うしかないのだ。
今朝のラジオのニュースでは、熊本では水道はほぼ復旧しはじめてきたが、まだまだ要所でパイプにひびがあり、十分には行き届かないという話である。できれば、一人暮らしで一戸建てに住む筆者の家にでも一時退避されてはいかがだろうか?一応そう打信はしてあるが、さて、では自分がその立場ならどうするだろうかとも慮る。なにしろ日本人は奥ゆかしく、恥ずかしがりで、よく恥を知る民族ゆえ、金銭・物資の援助を自分から求めるような人は少ない。ぼくのごとき厚顔無恥は少数派である。だが、緊急事態である。戦争の戦略としても、一時的撤退は決して恥ではない。とにもかくにもこちら側からの声かけは、こういうときもそうだし、日常の高齢者や認知症患者にも、非常に大事だ。効果がある。ゆかしき日本人は声さえかけられたら元気になる。それだけでも生きる勇気がわくのだ。まして、今回ぼくなどに援助してきてくれた人は、宮城で大震災にあい、他人どころではまだなかろうにも関わらずだった。感謝の言葉もない。さっそく荷物が届いた夜8時過ぎに、お礼の電話をした。
救援物資が大分の当家に届いたということは、由布院や熊本にもある程度時間はかかっても届くということだ。宮城からクロネコで送って、翌々日夜には届いた。ならば熊本までは被災していない大分道で宮崎経由であと一日あればつくのではないか?
あるいは博多から九州自動車道でも大丈夫だろう。大分道は湯布院~日出間で山崩れがあって、土砂はすべてのけたが、まだ山から土砂が落ちる可能性があり不通である。すると小倉から大分へ国道(一部自動車道)というコースがある。湯布院から大分道を降りても由布市庄内町まではかなりやられている。
クロネコのおねえちゃんは、「宮崎からお荷物で~~す」と叫んだ。「宮崎?宮城だろ?」そういうと「あ、ほんとや!」。九州の人には東北から大分へ荷物が届くなどということはめったにないという先入観があるんだろう。なにしろ彼らには長野でさえ東北である。大分の人は外に出たことがないものが非常に多い。外をあまり知らない世界で生きているから、気づかぬこともたくさんあるのだ。
Iさん、ご恩は一生忘れない。これからもどんどん記事を書きますよ。
それがお返しです。地震が来てすぐに援助を申されたHさんも、ありがとうでした。