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山田康弘『つくられた縄文時代』より
縄文時代からふたつの死生観で日本人は生きてきた。
円環的死生観と系譜的死生観である。
円環とは死んで再生し永遠に繰り返す、ヒトという、一族という集団、種はひきつがれてゆくという死生観。繰り返しの輪廻転生の死生観。
系譜的死生観とは、その円環の一部を切り取って、せいぜい数代の「正統」を言うための死生観で、縦型直線的なもの。
どっちが哲学的、宇宙的かというともちろん前者だろう。
今の日本人にもこの死生観が混在している。
中には、この二つとは違う死生観を持つものが新しく生まれている。
それは自分自身が死んでもまた蘇るという、おろかであさはかな仏教的死生観である。
死んでもまだ蘇り、生まれ変わる。
あるいは、長生きがしたい。
この二つは、古代の基本的死生観をないがしろにする、強欲な考え方。
ヒトの平均寿命はなにもしない状態でせいぜい38歳。
往古、劣悪環境と貧弱な医療のなかではたった18歳だったことを考えれば、人間五十年でさえ「神をないがしろにする言葉」であった。
来るべき世界では、長生きは罪となる。
回転椅子は速く回ってこそ人類も長く存続する。動物たちを見よ。