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邪馬台国関連メモその3 中国発見神獣鏡は斜縁鏡と判明 寺澤の正論

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先年中国の市場で売られていた三角縁神獣鏡は、三角縁が高くない古い斜縁鏡だと判明した。(森下章司「銅鏡からみた邪馬台国時代の倭と中国」『纒向発見と邪馬台国の全貌』所収)



歴博は理科系分析の矛盾点を無視する。
(新井宏『「考古学の論争点」』)



纒向弧文や吉備弧帯文には直線はなく、直線と曲線がまじりあうデザインは直弧文である。
「弧帯文は直線と曲線を組み合わせて統合することに意味があります。私は直線と曲線は陰陽二元的世界だと考えていますから、」「つまりそれは王の万物創生能力や霊力の増幅という観念と深い繋がりをもっているのです」(寺澤薫「王権はいかにして誕生したか」同上著書所収)


筆者は弧文や弧帯文に曲線はあっても、直線などないと見ている。直線があるのは直弧文である。寺澤は弧文にあるゴホウラ貝断面的な突起を持つ大きな穴=目が、吉備の弧帯文にはないことや、弧文・弧帯文・直弧文が全部同じところから出てくる共通デザインだと思い込み、直弧文にある×印こそが直線であることに気付いていない。だからこの三者がすべて同じ意図を持ったデザインの変化であると思い込んでいるらしい。だから弧文や弧帯文が「直線を持つ」とも勘違いしている。

これらの文様の重要性は目である。目はのちにカゴメとなり、呪、魔よけを表す。そしてめくるめく周囲の曲線の帯は交差することで永遠のいのち、よみがえり、命の円環を示している部分で共通するが、纒向の弧文にはその永遠性はなく、直弧文にはむしろその永遠に×をする再生不可能性がある。このように、意匠として類似点を持ちつつも、それが九州・吉備・纒向をつなぐデザインとするのはもっと分析する必要があると現在の筆者は慎重に考え出している。見比べればわかるが、纒向弧文と吉備弧帯文に共通性は少ない。

イメージ 1


纒向弧文はゴホウラの断面の組み合わせで、連続性はない。弧帯文は帯の曲線が組み合わさって目を作る。直弧文は纒向弧文を否定する直線で×してある。

これをデザインの変化だとするには、近畿考古学の言っているような纒向→吉備→九州という造作された順番を変える意志が必要である。順番は九州→吉備→纒向である。





しかし寺澤の、唐子鍵には王都としての必然的遺物がまったくない。纒向も、近畿全体の遺跡にも、権力者が作った都市としての痕跡がまったくないという意見は正しい。


3世紀までの近畿には、いっさいの都市出現の痕跡は皆無である。

その理由は、近畿学者にはわかるはずがない。もしそこに邪馬台国があったとしても、それらの遺跡はみな祭祀しか行われた痕跡がない。ようするにそれが3世紀の
大和
なのである。魏志が言う「見るあるもの少なし」にそれは実は合致する。しかし近畿学派は、おばかなのでそれを認めたくない。邪馬台国が大都市であってほしいと思い込んでいるからである。そのように彼らは常に、邪馬台国とは権威的な政治的な場所だと思い込む。卑弥呼を買いかぶっているからだ。しかし卑弥呼などは、女陰をさらして踊るような原始シャーマンでしかない。


まさに土人のようなものなのに気がつかないのだ。









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