魏志倭人伝には、女王卑弥呼を「見るあるもの少なし」と書いてある。あなた、その意味を深く考えたことありますか?
これを例えば、筑紫の博多弁で、氏族たちの言葉として代弁すると、だいたいこういう意味になろうと思う。
「なんね?ヒミコ?そりゃ誰?誰ね?誰のこつね?どこい住んどられるっと?」
「知らん。おまえ、しっとうと?」
「知るわけないがね」
「ほんなこつ、こん、ばかちんがあ。そぎゃんことでよかとね?」
「そぎゃん言うてん、もう田んぼは涸れ果ててしもうたじゃなかとね。こういくさばっかしやっとる場合じゃなかけんじゃろもん。しっかたなかろうもんがあ」
「・・・・じゃなあ。しっかたなかとかのう」
「とにかく様子ばみんとしかたなかじゃろう。田んぼに戻らんな、くうてはいけんごつなるもんねえ。」
「王様におうかがいしてみるか」
王「是非も無しじゃ。しかたなか。戦闘休止じゃ」
つまり思うに、地方諸王たちが、彼女をよく知らなかったという意味ではないか?
見たことがない、聞いたことがない・・・それはそうだ、彼女ははじめての女王であり、自身も、どこか奥深い楼閣の中でひたすら神に祈りをささげていたのだろうから。
で、その彼女の名前をはじめて聞いた倭人たちは、どう思ったのか?というと、そんじゃあまあ、ひとまず様子を見てやろうか程度だった。逆に言うと不気味だったに違いない。シャーマンで女で、なぜかは知らんが、いちはやく魏が中国を統一したことを知っており、すぐさま朝貢したのだから。実力が計りかねる。しかも女性。神秘的な巫女王で、政治にはうといはずなのに、誰よりも大陸の様子を知っている。まあ、男ではこんないくさが続いたのだから、ま、まかしてみるべえ。これ以上はいくさは御免じゃ。なにしろ田んぼがたがやせねえ。食い物がねえからなあ・・・。
当時のアジア人はみな中国へ朝貢することに権威があると思っている。それをすぐさまやったということは、大陸事情に詳しい=実力がある・・・ということだった。
ま、こういう感じの人々が、みんな全国で首をかしげたのだろうと思う。
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この弥生仮面、実はまったくかけはなれた地域で見つかったもの。偶然とは言えないそっくりぶりである。ひとつは左は愛知県、右は香川県で見つかった土器絵である。
顔の形が卵型とまんまるの違いはあるが、表情や鯨面の入れ具合は瓜二つである。
これが弥生人の顔である。
こういう人々が、おそらく鯨面しているので海人族だろうが、筑紫にもいたはずである。魏志にも鯨面しているとあるから。そしてこれは海人のまよけの特徴であり、呉越の風習とも通ういれずみ風習だ。そういう彼らが、近畿ではなく、東海と瀬戸内という、のちに海部と深く関わる場所から出ているってことは覚えておいたほうがいい。
瀬戸内は現代でも海上保安庁が山口関門海峡に存在する侵入者監視の要所である。古代から中世でも瀬戸内には海賊が巣食い、源平その他に影響力があった。紀州にも海賊が居り、伊勢湾も古くから実力者であった。
その基層を形成したのが仮面の人々であろう。