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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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白村江戦いと高安城と高安氏

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sigisan takayasuyama
高安山と西信貴山山塊
高安は高句麗由来地名である。



安漢人(奈良・大阪境にある高安山周辺に入った漢人は高麗の帰化人)
高安村主 (同族)
高安造 (同族)天平神護2年(766年)10月、河内国大初位下毘登戸東人ら94人に高安造の姓賜る
高安公・高安宿禰(同族)元慶3年(879年)、河内国高安郡人、常陸権目常澄宿禰秋雄らに高安宿禰の姓を賜るという。
紀姓高安氏(本姓は紀(きの)氏)紀長谷雄(きの・はせお)を祖とし、河内国に起こり、常陸国に多く一族存するという。その家系は以下の通り。
系譜 大納言長谷雄―左衛門佐致雄―忠行―忠納言貞雄―河内守雄致(高安庄司―八郎貞致―八郎貞行―貞直―八郎貞之―八郎貞仲―某―左近衛将監―伊予守―八郎貞勝―九郎貞行
常陸国の高安氏
常陸国の佐竹氏の家臣に本姓を紀氏とする高安氏あり。

上記のような記録に残った管理者に、通常、山ほどの人数の部民が付き従う。
●●氏(臣・直・宿禰など)・・・・首人(おびと)・・・人・・・部・・・奴婢。
以上。

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高安城 たかやすのき
高安(たかやす)は、大阪府八尾市内の地域名。
八尾市の東部、玉串川沿いの旧大和川堤防跡の東から生駒山地・奈良県境にかけての広範囲にわたる。 ひとつの町名でなく、いくつもの町・字が地域に含まれる。現在の八尾市の行政区では高安地区、南高安地区に分かれている。
旧くは、河内国高安郡、さらには中河内郡高安村(北高安村、中高安村)および南高安町(南高安村)とよばれた地域に該当する。
高安城(たかやすじょう/たかやすのき)は、奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市にまたがる、高安山[1]の山頂部に所在するとされる、日本の古代山城(朝鮮式山城)である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%89%E5%9F%8E

日本書紀』天智天皇六年(667年)十一月条
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いで、倭(日本)・百済復興軍は、朝鮮半島で唐・新羅連合軍に大敗した。664年には対馬島・壱岐島・筑紫国などに防人と烽(とぶひ)を配備し、筑紫国に水城を築く。665年には長門国に城を築き、筑紫国に大野城と基肄城を築く。667年(天智天皇6年)には大和国の高安城・讃岐国山田郡の屋嶋城・対馬国の金田城を築く。」
「是月、築 倭國高安城(やまとのくにのたかやすのき) 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」
つまり大敗北した中大兄皇子が大慌てでこしらえた山城のひとつである。

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地域としての高安は八尾市と奈良県にまたがる広範囲なもので、高安地名を名乗るものは、時代を追ってたくさんいあたはずである。すべてが渡来系漢人でもないし、すべてが高安生まれだったわけでもない。苗字とはそういうものである。そこからひとつの氏族を導き出して、唯一の先祖とするには無理がある。地名名乗りは中世の武士でもあるし、明治には地名でひとからげに名乗らされた百姓も数多い。いや、これが実は一番多かろう。

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口においしい貴族や武家出自は欲しいだろうが、そんなおべっかは、とてもじゃないがわしゃ書けんな。あんたはまず部民、お百姓出身じゃ。そうおもうとるほうがいいんじゃ。


すまんな。以上。




しかし毛深いのは・・・フィリピンの血か、道の口の国茨城の縄文か、知らん。




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