『日本書紀』では日本府を「やまとのみこともち」と訓読指定してある。
「みこともち」とは「御言持ち」で、天皇の言葉を伝える役目の者という意味である。
するとそれは施設というよりも使節が最初の意味合いだったわけであろう。
すると大宰府が「たいさいのみこともち」であったわけだから、そのような施設へとやがて変更されていったと思われる。ということは、大宰府は国内にある海外使節団の迎賓館であったが、府が外国にあれば、それはその逆に、日本の使節団が宿泊できる大使館だったことがはっきりしてくる。
戦前に言われていたような、「大阪府」や「京都府」のごとき天皇の所領地があったというのは、明らかに間違いだと考えるのが自然。「府」の意味がまったく違う。
日本府の府は、大宰府の府と同じである。幕府の府も同じで、外交・政治ができる代理出張施設。国があったわけではないとなる。
皇国史観の解釈は間違い。