「キジル石窟が造られたのが3世紀の中頃から8世紀の間とされており、その時代にこの地を支配していたのは古代仏教王国の亀茲(きゅうし)国であった。亀茲国は早い時期から仏教を信奉しており、4世紀中頃の『出三蔵記集』には「時に亀茲の僧衆一万余人」、「寺が甚だ多く、修飾至麗たり。王宮は立仏の形像を彫鏤し、寺と異なるはなし」などと記録されている。」Wikiキジル石窟
NHKでやっていたキジル石窟。
ウイグル自治区にあって、スキタイ系民族の残した仏教壁画だ。
ラピスラズリを大量使用している。
当時、この石は金より高価だった。
そして特徴的なのは、彼らが聖なる形としたひし形の区画である。
ひし形の区画の中に仏が書かれた曼荼羅ととらえることが可能だろう。
同時に蛇がくるりと巻いたような形状の中にも仏が・・・
蛇はちょうどプロボロスの蛇のように見えるし、円形にもなっている。
一方、熊本県の装飾古墳の代表であるチブサン古墳の壁画にも、ひし形と円形が描かれている。
色彩も黒・・・今は酸化して黒いが、もともとは青、群青色だったらしい。
さて、九州古代人にも青が聖なる色で、ひし形も聖なる形だったとなるのか?
では誰がどうやってキジルまで見にいけたのか?まさか?そんなわけがない?
あなた、少し九州古代人を見くびっていませんか?チブサン古墳は5~6世紀の墓。あっちは3世紀。
縄文後期から熊本の海人族は朝鮮半島東海岸部と交流していたんですぞ。
もちろん証拠のない妄想ですがね、今は。