先に『魏志』倭人伝全訳を掲載しておいた。
その中でややマニアックな詳細にこだわってみよう。
『三国志』「魏志」東夷伝倭人の条には、筑紫の倭人の風習についてこのような記載がある。
倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。
皆徒跣なり。
屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。
朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるごとし。
食飲には※籩豆(へんとう)を用い、手もて食う。
その死するや棺有れども槨無く、土を封じて冢(つか・ちょう)を作る。
始めて死するや、停喪すること十余日なり。
時に当たりて肉を食わず。喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。
已に葬るや、家をあげて水中にいたりてソウ浴し、以て練沐の如くす。
皆徒跣なり。
屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。
朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるごとし。
食飲には※籩豆(へんとう)を用い、手もて食う。
その死するや棺有れども槨無く、土を封じて冢(つか・ちょう)を作る。
始めて死するや、停喪すること十余日なり。
時に当たりて肉を食わず。喪主コツ泣し、他人就いて歌舞し飲酒す。
已に葬るや、家をあげて水中にいたりてソウ浴し、以て練沐の如くす。
●籩豆(へんとう)とは?
「へんとう」=竹で編んだ高杯と木の高杯。儀礼に用いる器の名。
このサイトは非常に詳細に言葉を分析してある。
へんとうを竹製と見たとき、竹の産地は魏志では一大國の記載に「竹木叢林多く、三千許りの家有り」とあって、竹はそもそも南方系植物なので温暖地にか生えない。また花をほとんどつけないので、自力ではなかなか遠くまで繁殖域は広げられないので、北部へ誰かが根茎を持っていかねばならない。大陸では長江以南にしか生えてはいなかった。このブログでも竹取物語と隼人の項目ですでにこのことは分析済み。
竹を編むのは海人族の特性である。
●纏向遺跡で九州系土器が少ない
この理由を、以前は、大和に入った九州人は為政者だったから、纒向では土器は自前では作らず、現地のものを使ったからではないか、と分析したが、竹製品や木製品を使っていた人々ならば日常の食器に土器は使わなかったからだとも考えうる。そもそも弥生土器の中に小型の食器があったかは分析しなければならないが、奈良・平安時代には「笥(け)」という木製の椀を使っており、そうでなければ平民は植物の葉っぱに盛ったりしている。あるいは「かわらけ」である。
木製の椀が考古学的には残存しにくいので、三世紀の九州湾岸にそれがあったかどうかわかるすべがない。
しかし魏志は土器のことはまったく書いていない。
●服装
その風俗は淫ならず。男子は皆露紒し、木緜を以て頭に招け、その衣は横幅、但結束して相連ね、略縫うこと無し。婦人は被髪屈紒し、衣を作ること単被の如く、其の中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。
(この風俗は長江から南に多い)
南方系の島嶼民や長江以南で特徴的共通衣服には「犢鼻褌(とくびこん)=ふんどし」がある。この下着は寒冷な北方には存在しない。いわんや日本では江戸時代、明治時代までふんどしを用いている。
衣服は一枚布を縫うことはせず、そのままぐるぐるっと巻きつけている。これも島嶼や長江やインドシナ風である。女性はポンチョのように一枚布の真ん中に穴を開けてすっぽりかぶり、両脇腹部?をとめているだけ。これは中南米から南島にもある。
このように倭人風俗はあくまでも南方系である。当時の気候が温暖だったために、縄文からの風習がそのまま受け継がれたらしい。しかもはだし。
「男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉じ、以て到る」
その後も生口=奴婢は謙譲されており、つまり中国にはその子孫もいることだろう。
五尺刀二口
これについて検証する研究者は非常に少ない。
筆者はそのうちの一本が天理市東大寺山古墳の倭邇(わに)氏先祖が、公孫氏から直接もらったもので、公孫氏はこれを一世紀に中国からもらったのではないかと見る。ではもう一本はとなると、伊都国王か奴国王がもらったかと見る。
このほか銅鏡にしても、やはり卑弥呼が独占したとは思えない。
筑紫の伊都国と奴国は女王国連合にとって、先の王家なのであり、大事な連盟国。ならば鏡のいくらかは邪馬台国と筑紫の二国にすでに分配されていたと見る。
そしてそれぞれから、地方へ別々に分配されていったのではないか?
卑弥呼以て死す
「以って死す」という表現を研究した岡本健一氏は、膨大な中国の史書を凌駕して、「以て死す」の使用例を調査された。その結果、「約900例のどれもが「非業の死」を意味する文脈だった」と確信したという。
非業の死だけでは、それが戦死だったか自殺だったかなどはわからない。
別の分析で、卑弥呼の死の前年あたりに日本では皆既日食が起きていたというPCによる分析結果が出ている。しかもその日食は大和からでは見られず、九州では見られたという。このような大事件は、記紀、アマテラスの岩屋戸隠れにもあるが、当時の為政者には責任問題だった。それが原因だったかも知れないし、また狗奴国が攻勢をかけて邪馬台国に攻め込んだことで自害したのかも知れない。あるいは狗奴国によって殺害もあるし、邪馬台国の中に狗奴国のスパイがいたとか、日和見なものが暗殺した可能性だってある。わからない。
「狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭載・斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説かしむ」
これを「ひみくこ」「ひみきゅうこ」とか読ませるが、果たしてどう読むのか?
卑弥呼と卑弥弓呼ではほとんど同じ表現で、一文字「弓」が入るのみである。
卑弥呼を「ひめこ」と読むなら卑弥弓呼も「ひめここ」と読まなければ矛盾することになるし、それでは男女同じ名前の役職名になってしまう。日本の弥生時代に「ひめ」に対応するはずの「ひこ」がここでは使われていない。ふつうなら「ひみひこ」ではないのか?
日の巫女とか日の皇子ととるならば、のちの「あめの」「たらしひこ」などとつながっていない称号になる。
「弓」に意味があったのかも知れない。
狗奴国が弓の氏族だったとすれば弓馬を得意とした南九州の隼人の伝承に合致する。
ほかの人があまり書いていない部分にちょっとこだわってみた。
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