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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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無目堅間(まなしかたま)とベトナム籠舟と天然アスファルト

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まなし‐かたま【目堅間/籠】

まなしかたま

目を細かくかたく編んだ竹かご。上代の舟の一種ともいう。めなしかたま。
「乃ち―を作りて彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を籠(かたま)の中にいれ」〈神代紀・下〉 デジタル大辞泉https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%9B%AE%E5%A0%85%E9%96%93-635375


ちなみに籠舟で流された彦火火出見は、
天津日高日子火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと) 火遠理命(ほおりのみこと) 山幸彦(やまさちひこ) の別名があり、海に放り投げられて海神のいるところにたどり着く。海の神の名前を持った天孫子孫であり、海幸・山幸の釣り針消失神話で有名。 双子のうちの一人が海や川に投棄されて王になるのはダビデ王神話と同じ。貴種流離放浪後に王となる話は、中国やギリシアやエジプトや日本など世界に横溢するが、大元はシュメールだろうし、「金枝篇」に学ぶまでも無く、それは易姓革命(王朝交代)を暗に言う「王殺し」と「新王誕生」がセットになっていると知るべし。つまり天智が死ねば天武が生じ、あとを引き受けて女王となったのが持統である。『日本書紀』はだから持統を皇祖と考えて作られた藤原氏以下の海人氏族にとって有利な国史に仕上がっていると考え付かない者ほうが不思議であろう。


『日本書紀』に出てくる「まなしかたま」は、大きな籠を、丸ないしは楕円形に編み、底部にアスファルトを塗りこめて、籠目を埋めた簡易な舟である。アスファルトのない地域では、コケなどを糊にまぜて埋めたか?(不明)いずれにせよアスファルト産地周辺に籠舟を用いた種族があり、それを求めて各地から人が採集、交換に来たことだろう。やがて近畿に話が伝わり記紀に反映された。一説では『日本書紀』編集に関わる藤原氏がそもそも海人族出身だから、海にまつわる話が日本神話には多い、とか、あるいは、藤原不比等の養女となって文武天皇の嬪(聖武を生んで正妃に)となった藤原宮子が海人族出身だったからとも考えられる。宮子は、母が賀茂氏、文武に会うきっかけを作ったのが県犬養八千代(海人族橘氏大元)と、周囲が海人族だらけである。そもそも大和朝廷の重心のほとんどは海人族だと言っても過言ではなく、始祖であるアマテラス=持統女帝からすでに非常に伊勢や尾張や諏訪や九州の海人族と渡来人河内馬飼氏(大阪府寝屋川市~四条畷市に居住、鵜野、讃良馬牧経営)との間の王女(幼名・鵜野讃良姫 うののさららひめ)なので、天皇家の始まりじたいが海人族と渡来人との結婚からだったということは明確である。


これはベトナムに多い籠舟。

イメージ 1


イメージ 2


                                             
イメージ 3

それぞれ「ベトナム 籠舟」でヒットした画像。


日本でアスファルト(瀝青 れきせい)が採れたのは今の秋田県秋田市豊川油田である。


日本では縄文時代後期後半から晩期にかけて、日本海側の秋田県山形県新潟県などで産出した天然アスファルトを熱して石鏃(せきぞく:石の矢じり)や骨銛(こつせん:骨のモリ)など漁具の接着、縄文後期の秋田県横手市八木遺跡の事例として網漁に用いる石錘漁網の接着[3]、破損した土器土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用された。


産出地のほか北海道渡島半島関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石ヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料になっている。これらは明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査において発見され、佐藤初太郎によってアスファルトである事が確認された。藤森峯三は秋田県昭和町(現潟上市昭和)において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術により、広域に流通していたことが判明している[4]。」Wikiアスファルトより


 
「大昔のアスファルトの利用と聞くと、エジプトでミイラ保存のためにアスファルトを表面に塗りこんで保存している話はご存知かと思います。日本国内ではそれより古い5000年の縄文時代から利用されており、北は北海道から南は関東地域まで天然アスファルトの遺物が縄文時代の遺跡から出土している。主な利用は矢じり等の柄の部分を固定するための接着剤である。他には土器や土偶の割れ目の接着にも使われている。珍しいものとしては鴻上市狐森遺跡から出土した「人面付環状注口土器」(国指定の重要有形文化財)にはアスファルトでコーティングされている。豊川油田から僅かに4km離れた遺跡である。また、田沢湖の湖畔で発掘された「潟前遺跡」では重さ3kgものアスファルト塊が出土した。恐らく、豊川油田地域から運搬されたものであろうと推測されている。」


記紀では天智天皇へ「燃える土献上」として登場。

イメージ 4
秋田県豊川の天然アスファルト露頭(上記サイトより)

イメージ 5
豊川油田の位置 上記サイトより




「かたま」とは籠目を埋めることで「間が無くなった」状態。目がなくなったことを上代には、堅くなると表現したようだ。目を埋めて固めたということだろうか。


籠舟風習がベトナムから来たかどうかの証拠はないが、世界でこれが生き残っている地域がかつて中国の南越の民が北部に入ったことで国名が越南となった歴史が明白なベトナムにしかないことは、日本の海人族や皇室に、彼らのなにがしかの関与か渡来か日本側からの訪問が、古代にあったことを思わせる証拠品だ。

なお、持統天皇以前の大王家については、その始まりは不明。天皇家とは別の王家である可能性の方が高い。ただし記紀系図は、それらの大王家と結婚でかろうじてつないである。断絶は無いというのが記紀主張の建前である。しっかしあなた・・・まるで切れていた系図を、不比等が無理やりつないでいるのはまるわかりというものだろう。笑止千万な系図である。天皇家は持統から。昭和天皇も生前、持統以前のヒトは知らないと従事に申されている。天皇家の歴史指南役は当時は古代史の上田●●氏(実名は伏せる)であるので、そうしたぶっちゃけた内情も重々ご勉強されていただろう昭和天皇の歴史見識は高いと思わざるを得ない。









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