まなし‐かたま【▽無▽目堅間/▽無▽目▽籠】
目を細かくかたく編んだ竹かご。上代の舟の一種ともいう。めなしかたま。
「乃ち―を作りて彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を籠(かたま)の中にいれ」〈神代紀・下〉 デジタル大辞泉https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%9B%AE%E5%A0%85%E9%96%93-635375
『日本書紀』に出てくる「まなしかたま」は、大きな籠を、丸ないしは楕円形に編み、底部にアスファルトを塗りこめて、籠目を埋めた簡易な舟である。アスファルトのない地域では、コケなどを糊にまぜて埋めたか?(不明)いずれにせよアスファルト産地周辺に籠舟を用いた種族があり、それを求めて各地から人が採集、交換に来たことだろう。やがて近畿に話が伝わり記紀に反映された。一説では『日本書紀』編集に関わる藤原氏がそもそも海人族出身だから、海にまつわる話が日本神話には多い、とか、あるいは、藤原不比等の養女となって文武天皇の嬪(聖武を生んで正妃に)となった藤原宮子が海人族出身だったからとも考えられる。宮子は、母が賀茂氏、文武に会うきっかけを作ったのが県犬養八千代(海人族橘氏大元)と、周囲が海人族だらけである。そもそも大和朝廷の重心のほとんどは海人族だと言っても過言ではなく、始祖であるアマテラス=持統女帝からすでに非常に伊勢や尾張や諏訪や九州の海人族と渡来人河内馬飼氏(大阪府寝屋川市~四条畷市に居住、鵜野、讃良馬牧経営)との間の王女(幼名・鵜野讃良姫 うののさららひめ)なので、天皇家の始まりじたいが海人族と渡来人との結婚からだったということは明確である。
これはベトナムに多い籠舟。
それぞれ「ベトナム 籠舟」でヒットした画像。
日本でアスファルト(瀝青 れきせい)が採れたのは今の秋田県秋田市豊川油田である。
産出地のほか北海道渡島半島や関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石やヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料になっている。これらは明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査において発見され、佐藤初太郎によってアスファルトである事が確認された。藤森峯三は秋田県昭和町(現潟上市昭和)において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術により、広域に流通していたことが判明している[4]。」Wikiアスファルトより
「かたま」とは籠目を埋めることで「間が無くなった」状態。目がなくなったことを上代には、堅くなると表現したようだ。目を埋めて固めたということだろうか。
籠舟風習がベトナムから来たかどうかの証拠はないが、世界でこれが生き残っている地域がかつて中国の南越の民が北部に入ったことで国名が越南となった歴史が明白なベトナムにしかないことは、日本の海人族や皇室に、彼らのなにがしかの関与か渡来か日本側からの訪問が、古代にあったことを思わせる証拠品だ。
なお、持統天皇以前の大王家については、その始まりは不明。天皇家とは別の王家である可能性の方が高い。ただし記紀系図は、それらの大王家と結婚でかろうじてつないである。断絶は無いというのが記紀主張の建前である。しっかしあなた・・・まるで切れていた系図を、不比等が無理やりつないでいるのはまるわかりというものだろう。笑止千万な系図である。天皇家は持統から。昭和天皇も生前、持統以前のヒトは知らないと従事に申されている。天皇家の歴史指南役は当時は古代史の上田●●氏(実名は伏せる)であるので、そうしたぶっちゃけた内情も重々ご勉強されていただろう昭和天皇の歴史見識は高いと思わざるを得ない。