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そりゃ「はそう」じゃないでしょ?はそうを持つ少女埴輪とか

静岡)「はそうを持つ女子埴輪」も浜松特有の壺型



浜松で出た壷埴輪には昔出ていた少女の腕があった。
水を注ぐ容器を持っていた。
それが「はそう」だと考古学ニュースには書いてあったが、

はそうというのは注ぎ口がなく、穴しか開いていないものを言う。


ところが少女の持っている「はそう」には口がついている。
だったらこれは「はそう」じゃないじゃない。
それに酒を注ぐ容器と書いてあったが、水祭祀にはそうは使われたので、酒は間違い。うそばっかり書いてある。
しかも同様の壷埴輪は東北でもう出ているし。



しかもこっちは頭もあるし。

これが正しいはそう
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大阪・狭山池の巨石は大王の石棺か 水路に転用


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③が石棺を代用した水路








「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」

「淡路島はイザナキとイザナミが磤馭慮(おのころ)島の次に生んだ土地だ。また、伊勢内宮(三重県伊勢市)と淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)、そして葛城山は同緯度線上にあって、聖なるラインを形成している。だから、伊弉諾神宮はパワースポットと信じられ、多くの参拝客が訪れる。淡路島は、日本を代表する聖地なのだ。


近年淡路島で、弥生時代後期の鉄器生産工房が2つみつかっている。五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)と舟木遺跡(同市舟木)だ。

 五斗長垣内遺跡が先にみつかり、すでに復元され、公園になっている。弥生時代後期の1世紀ごろに約100年続いた鍛冶工房だ。かたや舟木遺跡は、弥生時代後期の2世紀半ばから3世紀の遺構で、こちらは邪馬台国の時代の鉄器工房だ。

 邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、それはまちがいだ。さらに、淡路島から出土した銅鐸は、出雲のものと兄弟関係だったことが分かっている。淡路島に鉄の素材を流していたのは、出雲だろう。ここに、淡路島の立場が示されている。」




以上、最近読んだおもろい古代史情報でした。閑話休題、気分転換にどうぞ。















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