◆おしさか【忍坂】
「奈良県桜井市東部の歴史地名。押坂,恩坂とも書き,おさかともいう。忍坂邑の名は古く《日本書紀》※1神武即位前紀,※2垂仁紀にみえ,最古の金石文の一つである※3隅田(すだ)八幡人物画像鏡の銘文に〈意柴沙加宮(おしさかのみや)〉の名が認められる。※4允恭天皇の后妃,※5忍坂大中姫(おおなかつひめ)や敏達天皇の皇子,※6押坂彦人大兄皇子は※7忍坂に宮を営んだともいわれ,皇子の妃,糠手姫(あらてひめ)皇女や子の舒明天皇の陵墓もこの地に置かれたという。 」
http://kotobank.jp/word/%E5%BF%8D%E5%9D%82
「奈良県桜井市東部の歴史地名。押坂,恩坂とも書き,おさかともいう。忍坂邑の名は古く《日本書紀》※1神武即位前紀,※2垂仁紀にみえ,最古の金石文の一つである※3隅田(すだ)八幡人物画像鏡の銘文に〈意柴沙加宮(おしさかのみや)〉の名が認められる。※4允恭天皇の后妃,※5忍坂大中姫(おおなかつひめ)や敏達天皇の皇子,※6押坂彦人大兄皇子は※7忍坂に宮を営んだともいわれ,皇子の妃,糠手姫(あらてひめ)皇女や子の舒明天皇の陵墓もこの地に置かれたという。 」
http://kotobank.jp/word/%E5%BF%8D%E5%9D%82
※1●神武東征・忍坂の大室
「忍坂(おさか)の大室(おおむろ)に来た時、
シッポのある土雲(つちぐもー異部族)、八十建(やそたける)が
その室屋(むろやー洞穴)に集結して、待ち構えていました。
そこで、イワレビコの命は一計を案じ、御馳走を八十建に持って行く事にしました。
相手が八十建ならこっちも八十膳夫(やそかしわでーたくさんの料理人)で行こうと、
大勢の料理人を設けて、どの人にも太刀を佩(は)かせて、説明しました。
「歌を聞いたら、一斉に切りかかるように。」と。
そう言って、その土雲を攻撃することを明かしました。
相手が八十建ならこっちも八十膳夫(やそかしわでーたくさんの料理人)で行こうと、
大勢の料理人を設けて、どの人にも太刀を佩(は)かせて、説明しました。
「歌を聞いたら、一斉に切りかかるように。」と。
そう言って、その土雲を攻撃することを明かしました。
こうして、実行の時に歌った歌は
忍坂の 大室屋に 人が大勢来て入っていた。
人が 大勢入っていても、
力満ちている 久米の猛者たちが
頭椎(くぶつついー持ち手の丸い大太刀)や、石の太刀を持って、
撃たずにおくものか。(「撃ちてしやまん」)
力満ちている 久米の猛者たちが
頭椎や、石の太刀を持って、今、撃てばよい。
人が 大勢入っていても、
力満ちている 久米の猛者たちが
頭椎(くぶつついー持ち手の丸い大太刀)や、石の太刀を持って、
撃たずにおくものか。(「撃ちてしやまん」)
力満ちている 久米の猛者たちが
頭椎や、石の太刀を持って、今、撃てばよい。
※2●垂仁紀忍坂
「垂仁帝の三十九年十月 皇子・五十瓊敷命が茅渟の菟砥河上宮に居るとき、剣一千口を作った。因って、その剣を名付けて河上部と言う。又の名は裸伴と言う。 石上神宮に蔵む。この後、五十瓊敷命に命じて石上神宮の神宝を主(つかさど)らしむ。
一に曰く、鍛名は河上を召して、太刀一千口を作らしむ。(略)その一千口の太刀をば忍坂邑に蔵む。後に石上神宮に蔵む。」
http://www.ten-f.com/keitairyo-no-aruji.htm
「垂仁帝の三十九年十月 皇子・五十瓊敷命が茅渟の菟砥河上宮に居るとき、剣一千口を作った。因って、その剣を名付けて河上部と言う。又の名は裸伴と言う。 石上神宮に蔵む。この後、五十瓊敷命に命じて石上神宮の神宝を主(つかさど)らしむ。
一に曰く、鍛名は河上を召して、太刀一千口を作らしむ。(略)その一千口の太刀をば忍坂邑に蔵む。後に石上神宮に蔵む。」
http://www.ten-f.com/keitairyo-no-aruji.htm
※3●隅田八幡人物画像鏡銘「意柴沙加宮」
隅田八幡人物画像鏡【すだはちまんじんぶつがぞうきょう】
和歌山県橋本市の隅田八幡神社に古くから伝わる【ぼう】製(ぼうせい)鏡。中国の画像鏡を模倣したもので,周囲に48文字の銘文がある。銘文は〈癸未年八月日十大王年男弟王(中略)作此竟〉と解読された。 (百科事典マイペディアの解説.)
隅田八幡宮のレプリカ
「癸未年 八月 日十大王年 男弟王 在意柴沙加宮時 斯麻念 長寿 遣開中費直 穢人今州利 二人等取白上同二百旱作此竟 」
(大意)
「癸未(きび、みずのとひつじ)の年、八月十日?、大王年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい?)、穢人(漢人)今州利?の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%94%BB%E5%83%8F%E9%8F%A1
詳細解釈は別記する。
※4●允恭天皇
「允恭天皇(いんぎょうてんのう、仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日)は、第19代天皇(在位:允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日)。雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)、男浅津間若子宿禰王(古事記)。中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%81%E6%81%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87
「允恭天皇(いんぎょうてんのう、仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日)は、第19代天皇(在位:允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日)。雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごのすくねのみこと)、男浅津間若子宿禰王(古事記)。中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%81%E6%81%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87
※5●忍坂大中姫
「忍坂大中姫(おしさかの・おおなかつ・ひめ)は第19代允恭天皇の皇后であり、木梨軽皇子(允恭天皇の皇太子)・第20代安康天皇・第21代雄略天皇の母。父は稚野毛二派皇子(応神天皇の皇子)。母は弟日売真若比売命(日本武尊の曾孫)。意富富杼王(継体天皇の曾祖父)の同母妹。
「忍坂大中姫(おしさかの・おおなかつ・ひめ)は第19代允恭天皇の皇后であり、木梨軽皇子(允恭天皇の皇太子)・第20代安康天皇・第21代雄略天皇の母。父は稚野毛二派皇子(応神天皇の皇子)。母は弟日売真若比売命(日本武尊の曾孫)。意富富杼王(継体天皇の曾祖父)の同母妹。
日本書紀允恭紀に、允恭天皇2年春2月14日(413年3月31日)立后され、名代部として刑部(おっさか・べ)が設定されたとある。このとき設定された名代部の一つが火葦北国(ひのあしきたのくに。熊本県八代・葦北地方)であるとする説がある。当地から阿蘇ピンク石という石材が産出しており、河内平野の古墳の石棺にこの石材が用いられていることから、何らかの関係があるとする見方もある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%9D%82%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E5%A7%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%9D%82%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E5%A7%AB
●刑部(おさか・べ。おっさか・べ)
「古代氏族の部民である刑部(忍坂部)氏は河内国若江郡や伊勢国三重郡、備中国賀夜郡、英賀郡などに地名で残る。三重県四日市市坂部町にある「刑部神社由来」を参考にすれば、允恭天皇の皇后であった忍坂大中姫命の曲部として各地に配置され、その料地管理などに従事していた人々。恩坂や忍坂、坂部などの地名で残されている所もあるようだが姫路城天守閣に祀られている長壁神社の祭神は刑部大神と言うのも何らかの関連がうかがわれる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E9%83%A8%E6%B0%8F
「古代氏族の部民である刑部(忍坂部)氏は河内国若江郡や伊勢国三重郡、備中国賀夜郡、英賀郡などに地名で残る。三重県四日市市坂部町にある「刑部神社由来」を参考にすれば、允恭天皇の皇后であった忍坂大中姫命の曲部として各地に配置され、その料地管理などに従事していた人々。恩坂や忍坂、坂部などの地名で残されている所もあるようだが姫路城天守閣に祀られている長壁神社の祭神は刑部大神と言うのも何らかの関連がうかがわれる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E9%83%A8%E6%B0%8F
「さか」は息長氏に関わる地名「坂田」から?
押す坂・・・息長氏を推す
葦北国造は阿蘇ピンク石石棺を近畿に送り込んだ氏族で、伝承では吉備由来氏族という。
息長氏の本拠地琵琶湖西南部の古墳に二基、継体大王今城塚古墳にも阿蘇ピンク石棺。
※6●押坂彦人大兄皇子
押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。麻呂古皇子、太子彦人皇子、忍坂日子人太子・皇祖大兄とも。敏達天皇の第一皇子で、母は息長真手王の娘・広姫。舒明天皇・茅渟王の父に当たる。
押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。麻呂古皇子、太子彦人皇子、忍坂日子人太子・皇祖大兄とも。敏達天皇の第一皇子で、母は息長真手王の娘・広姫。舒明天皇・茅渟王の父に当たる。
天智・天武・持統につながる息長系皇室の生みの親。
※7●忍坂宮
「【刑部】より
「…《古事記》《日本書紀》によると,允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという。皇后の名は,大和忍坂宮という宮号に由来するもので,刑部(忍坂部)は,この宮の経営のための費用を貢進する部民をさしている。この宮は近江の豪族息長(おきなが)氏が,連続して宮廷にいれた后妃のために経営したもので,刑部もひきつづいて設定されたものと思われ,その分布も,畿内の山城・河内・摂津はもとより,東山・東海・山陰・山陽の各道,さらに越前・讃岐・豊前・肥後などにひろくみとめられる。… 」
http://kotobank.jp/word/%E5%BF%8D%E5%9D%82%E5%AE%AE
「【刑部】より
「…《古事記》《日本書紀》によると,允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという。皇后の名は,大和忍坂宮という宮号に由来するもので,刑部(忍坂部)は,この宮の経営のための費用を貢進する部民をさしている。この宮は近江の豪族息長(おきなが)氏が,連続して宮廷にいれた后妃のために経営したもので,刑部もひきつづいて設定されたものと思われ,その分布も,畿内の山城・河内・摂津はもとより,東山・東海・山陰・山陽の各道,さらに越前・讃岐・豊前・肥後などにひろくみとめられる。… 」
http://kotobank.jp/word/%E5%BF%8D%E5%9D%82%E5%AE%AE
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付録
●忍坂街道
「忍阪と宇陀を結ぶ「忍坂街道」は古事記、日本書紀で知られる古道です。忍阪の集落の南入口には「忍坂道伝承地」の碑が立ち、記紀の神武天皇と土雲八十建の伝承を語っています。集落内には、舒明天皇陵(段ノ塚古墳)、万葉歌人の鏡王女墓や衣通姫の誕生地とも言われる玉津島明神、山が、ご神体の生根神社や、額田王の念持佛とも言われる日本最古の石彫三尊像「伝・薬師三尊石仏」を安置する石位寺と記紀万葉ファンにとってはとっておきの地かも知れません。(特に舒明天皇陵の前の小道を谷間のほうに向かって歩を進めるとせせらぎの中に、ひっそりと犬養孝揮毫の鏡王女の万葉歌碑があり、そのあたりから視界がパッと拡がります。ここは、まさに万葉の世界の入口です!鳥とせせらぎと風の音しか聞えてこない時間を忘れさせてくれる空間です。) 」
http://ossaka.jimdo.com/
●忍坂街道
「忍阪と宇陀を結ぶ「忍坂街道」は古事記、日本書紀で知られる古道です。忍阪の集落の南入口には「忍坂道伝承地」の碑が立ち、記紀の神武天皇と土雲八十建の伝承を語っています。集落内には、舒明天皇陵(段ノ塚古墳)、万葉歌人の鏡王女墓や衣通姫の誕生地とも言われる玉津島明神、山が、ご神体の生根神社や、額田王の念持佛とも言われる日本最古の石彫三尊像「伝・薬師三尊石仏」を安置する石位寺と記紀万葉ファンにとってはとっておきの地かも知れません。(特に舒明天皇陵の前の小道を谷間のほうに向かって歩を進めるとせせらぎの中に、ひっそりと犬養孝揮毫の鏡王女の万葉歌碑があり、そのあたりから視界がパッと拡がります。ここは、まさに万葉の世界の入口です!鳥とせせらぎと風の音しか聞えてこない時間を忘れさせてくれる空間です。) 」
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桜井市観光協会の「大和の古道紀行」から
「忍坂」はこのように文献と金石文が一致しない用語である。
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