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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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本年度最終総括・アスカ地名由来とそれが示す朝鮮王家近畿 そこに高句麗王族はいない 年末あいさつ付き

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あすか(飛鳥、明日香、阿須賀、安宿)
地名
飛鳥 (青森市) - 青森県青森市の大字。
大向飛鳥 - 青森県三戸郡南部町の大字。
浄法寺町飛鳥 - 岩手県二戸市の大字。
飛鳥 (酒田市) - 山形県酒田市の大字。
飛鳥 (明日香村) - 奈良県明日香村の大字。
飛鳥 (羽曳野市) - 大阪府羽曳野市の地域。
飛鳥 (名取市) - 宮城県名取市高舘熊野堂の大字。
飛鳥町 - 三重県熊野市の大字。
飛鳥村 (奈良県) - 奈良県高市郡にあった村・地方公共団体。
飛鳥村 (三重県) - 三重県南牟婁郡にあった村・地方公共団体。
明日香明日香村 - 奈良県高市郡の村・地方公共団体。
安宿「あすかべ」とも読む。安宿郡(安宿部郡) - 河内国(大阪府)の郡。
豊栄町安宿 - 広島県東広島市の大字。
阿須賀阿須賀町 - 和歌山県新宮市の大字。
Wikiあすかより

地名由来
安宿の朝鮮語読みである。
理由 多くのあすかが、渡来人が住む土地だった。奈良の明日香村、大阪の飛鳥は百済人が多く、北関東は高句麗や百済人が集められた。東北は百済王氏が金採掘、砂金取りに奈良時代に入った。ほかの土地も概して渡来人が多かった。現代韓国語では安宿は旅館を意味するが、往古は「すか」は村である。村主と書いて「すぐり」と読むのは村が「すか・すく」だったからである。
意味 漢語安宿と書いて「アンスク」。安らかな場所。それが「ん」が日本語では抜けてアスカに。やすらかく住める土地。これは『日本書紀』神話にある島根県安来(やすぎ)と同じ意味の地名になる。いわく、スサノオは安来に来てようやく心が落ち着いた、という。安息地。

同じ奈良県の檜前地名がやはり百済系渡来人が多かったことは以前書いた。いわゆる百済系の東漢氏たちがここに住むことと、のちに蘇我氏が石川の百済からここに移ったことと、明日香が開発されることは、百済系蘇我氏によるもので、檜前の川を挟んで対岸に蘇我馬子の島の庄と桃源墓=石舞台古墳があることから、この一帯が百済系渡来人のメッカとなっていたことに疑いの余地はない。

三世紀、西日本一帯に銅鐸が登場するのと、伽耶系・百済系の渡来が増え始めるとが、だいたい一致する。銅鐸の成分が、朝鮮の小銅鐸とほぼ一致している。割合は銅が9割、錫が0.5割、鉛が0.5割で同じなのである。渡来はまず伽耶の小国家郡が新羅の台頭で衰弱、やがて高句麗と百済が7世紀に滅亡している。その順番で、日本にやってくるが、高句麗に関しては王族は隣接した北魏や中華へ逃げるのが普通であるが、公孫氏という緩衝国家が中国西晋によって滅びると、北魏と高句麗が接するようになり、侵略が始まる。そのため多くの逃亡者たちは日本へ逃げるしかなくなった。日本では彼らを北関東へ入れ、そこを高麗(こま)郡とした経緯がある。百済や伽耶系王族は近畿の大阪や奈良に土地をもらい住むが、これが皇極天皇の頃である。そのときから蘇我氏は台頭したと考えられ、朝鮮に多い猿石が檜前や明日香に出現している。この猿石は今で言う庚申であり、道主の神であるから、猿田彦と同体である。道を示し水先案内をする朝鮮の庚申を、神話では国産神に神格化して猿田彦になっている。その伊勢神宮内宮の背後にある山から水銀が取れ、これを稲荷の深草秦氏が開発した。それでここ一帯を高麗平と呼ぶ。この「こま」は高句麗とは限らず、広く朝鮮、新羅人のいる地名である。

このように畿内の渡来の中心は百済王眷属と伽耶小国家貴族で占められ、高句麗人は北関東や長野県などに多かった。天皇や日本人に高句麗人が影響したという説があるが、それは誤解であろう。戦中戦後の誤った学説だと言える。日本の天皇家は百済王子孫たちが、早くから入り、それを蘇我氏が大王として担ぐことからはじまり、飛鳥時代末期の天智以後、藤原氏が蘇我氏を衰退させ、百済王の専横を排除して大阪府の北部枚方市周辺に移住させたことで、その代わりとして四条畷から寝屋川に馬牧を経営していた河内馬飼氏に天智の娘を預け、養育させて藤原氏のための帝王学を身につけさせた鵜野讃良を担ぐことが、天皇の始まりである。さらに日本国名が登場するのは記録上『続日本紀』文武天皇紀にある道照上人の遣唐使遭難のさいに初出しているので、持統天皇からであろう。それ以前に「にほんじん」という概念はない。すべて倭人である。

『日本書紀』は天皇の、蘇我氏以前の伽耶系・百済系大王家をすべて国産天皇とすることで、それらがなかったことにして、いわゆる国粋的な思想を一身に始祖天智、天皇始祖持統女帝に求めている。つまり藤原摂政政治そのものの正当化が大目的だが、同時に渡来系王家というものをなかったこととして、すべての天皇を神武以来の万世一系国産大王家から一度も切れずに継続したものとしている。これが藤原流皇国史観である。日本人としては実にすっきりと、自前の大王家だったとなり、気持ちがよいため、長年受け入れられたが、アマテラス信仰はあまり浸透しなかった。むしろ悲劇の主人公・聖徳太子と上宮王家のほうが受け入れられやすく、伊勢は改変された朝鮮の百済系書物の中にだけ何度も神宮と記録されるのみである。持統以降、伊勢もアマテラスも、宮中祭祀から忘れられた状態が続く。それは持統から次の元明・元正時代に完成する『日本書紀』またそのあとの「続日本紀」に伊勢神宮記録がほとんどないこととリンクする。つまりアマテラスとは持統の偶像なのであり、宮中祭祀の中心にあったのは祟り成す地主神・大物主=物部氏・ナガスネ彦の怨霊鎮撫祭祀なのだった。
参考文献 前田憲二『祭祀と異界』その他大山誠一、石渡信一郎らの著作をまとめました。


なお、檜前のおみあし神社祭神は阿智だけではなく和乙継がある。この人は東漢氏の中から出て、やはり渡来系の土師氏の妻を娶っての娘が高野新笠=文武の母である。

本年の正式記事はこれで〆です。



ごあいさつ
旧年中はご愛読まことにありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

筆者Kawakatu


 
犬が去りて 猪となり 来る年は 干支一巡無事めぐる

わが人生でもう干支は五巡したことになる。

よくもまあ 生きたものぜよ むとせかな
 めでたくもあり めでたくもなし
もういいと 夜毎言うのに また朝か
 年の神とは いとぞきびしき まだ生きよ・・・か。

やれやれ、いらん人間を生かして、まだ何をかせんとぞ言うか。
鬼かあなたは。


しかし
もろうた命。
いざ、いきめやも。
いざ、書きめやも。



しゃあないがな。












 








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