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使い分けが難しい四つ仮名 スとツ、ズとヅなど、丸い餅と四角い餅もついでに


日本語には四つ仮名というものがある。

「四つ仮名(よつがな)とは、の4つの仮名をいう。現代日本語の多くの方言において、これらの音韻の発音の統合が起きていることに言及するために使われる術語である。 」Wiki四つ仮名


ズとヅはどう使い分けるのか?
よく書き間違えるのがズとヅだろう。
音声では同じ音なのに、文章では書き分けなくてはならない。
濁らない言葉に沿って濁すのがルールである。

動詞「~を使う(つかう)」が名詞になると「~使い」になるが、名詞は日本語では濁音になるから「つかい」に濁点で「づかい」である。「ずかい」ではないという話である。外国人や小学生だとなかなかうまく切り替えが難しい。大人でも間違う人は間違う。

「折鶴」なら「おりづる」である。「おりずる」じゃない。
つまりここまでなら法則がちゃんとあるからまだいい。


ところがそうではなく、最初から濁る単語もある。

これが難しい。
「つづみ」はなぜ「つづ」なのか?
鼓の名前には形状があり、それは「筒状の打楽器」であるから「つつ」なので「つづ」となる。

(せんせー、うちの父ちゃんは「舌づつみ」って言うよ。
それはね幼児に多い語順逆転だね。君のお父ちゃんはまだ幼稚なんだよ。「したつづみ」だからね。

じゃあ「じって」と「じゅって」は?
それはどっちでも正解だね。関西では「じゅ」が言いにくいからじって、関東はじゅってが多いね。十手。

それから関西は渡来人の影響もあって「らりるれろ」を言いにくい人が多いよ。関東にもいるけどね。朝鮮語の残存だね。李さんは「いー」さんだ。言いにくいからわざと舌を巻いて言う人もいるよ。それは江戸も上方もいるよね?やくざというわけじゃないんだよ。いいにくいからなのさ。

それとね、ぼくは先生じゃないからね。若い女子社員がときどき上司に先生っていまだに言う人がいますな。)


地名の京都府「綴喜郡」は昔の表記が「筒木」なので「つづきぐん」が正しい。ところが昔の地名表記は忘れられやすいので、今では「つずき」とうっかりルビをふる人もいる。

「渦」は「うず」でも「うづ」でもいいことになっている。「うす」「うつ」とはもともと言わない単語だからだ。「太秦 うづまさ」もそうだろう。しかし万葉かなでは「禹豆満佐」指定なので、豆は音読みが「つ」なので「づ」。


洲は「す」だから「ず」、津は「つ」ゆえに「づ」である。しかし意味には大して差がない。どちらも水際地形地名である。細かくは洲は砂洲で、津は港であるが。
(継体大王筒木の宮は、今の木津川沿線にあったらしいうが、地形的には津になっているわんどだろうと言う。継体の宮は筒木の隣の枚方市の樟葉にもあったが、筒木も樟葉も大きくは、「ひらたい土地」だった枚方だったから置かれたのである。もっともその継体そのものが百済王系であったので、枚方や筒木や乙訓の宮は、『日本書紀』があとから書き込んだ創作の宮地であろう。実際は和歌山紀の川にあっただろうという意見が強くなっている。今城塚のある摂津はそもそも藤原氏と百済王の土地。継体の墓は淡輪古墳群にあるのかも知れない)


ところが往古の文献ですら、それらを取り違えているケースがあるのは、学者を困らせる。しかし昔から間違えているということは、日本語の音韻というものの、いいかげんさの証拠にもなる。

邪馬台国の「やまたい」でも、昔は学説が音韻学で厳しく言われていた。「やま」の表記の「山」と「邪馬」では厳密には違うから、大和と山都だったら、大和のほうが合致する、だから邪馬台国は近畿にあった・・・とかいう説がそれだ。

ところが倭人の発音を中国人が写して当てた漢字である。日本の文献の最初は中国人と朝鮮人文官が、倭人伝同様に日本語を一旦万葉仮名に変化させてそれに当たる幹事の音韻の似ているものを使っている。これを「上代特殊仮名遣い」と言う。

特に朝鮮から渡来人が一気に逃れてきた6~7世紀には、この仮名遣いが一時的に異常に増加し、五十音が80音以上に増えてしまった。しかし日本語は膠着言語なので、子音には必ず母音がつくのだから、もともと日本語とはそんなに複雑多種な発音ではなかったはずである。つまり朝鮮人文官が、自国の、その漢字の発音に厳密すぎたために母音の数が増えてしまったのだ。こうなると面倒なことこのうえもなくなる。朝鮮人の中国文化にあまりにも忠実であろうとする生真面目さ・・・言い換えると「くそまじめ」「石部金吉」な性格が、日本語を無茶苦茶にしていた時代の和歌集が万葉集だったのである。

すると、日本人はえらいもんで、鎌倉~室町~江戸~明治・・・と、どんどん発音を簡略化=元の有史以前の日本語に戻した。母音は、あいうえおだけにまとまった。


つまり邪馬台国の音韻などはなんの決め手にもならないわけである。日本人は、とくに平民は、まったくそんなものに頓着もないし、そもそも方言が山ほどあって、発音も同じ単語が各地で違っていることすらあった。ずーずー弁など最たるものである。


で、結果的に、四つ仮名というものだけが今に使い分けが残ってしまったのである。

さて、現代ともなると、日本人は、物書き、先生でもなければ、なかなか文字を書くことがなくなった。ほとんどが漢字変換である。間違ったひらがなを入れると変換してくれないから、むしろ自然と覚えるようになった。筆者、以前、「やすき」と入れたら「安来」になってくれない、あるいは「てんちてんのう」では天智にならずに天地になったりでいらついていたが、今ではコンピューターに飼育され?間違えなくなった。「つずき」と入れ間違わないですむようになった。唯一「おかず」を「おかづ」と入れてしまうことがある。でも面倒なのでえいっとばかりそのままで投稿する。間違っているのではなく、年とって、訂正するのがもう面倒くさくなったのである。




ええと「横綱」は横の綱だから「よこづな」だよなあ?などと、人はいちいち考えないで文字を書く。だから「よこずな」と書いたところで試験ではおそらく丸をくれるだろう。では絆はどうだろう?変換では「きずな」と入れねば変換されない。しかしもともとの意味は「きづな」だ。「気持ちをつなぐ綱」
でそれぞれがつながっているという意味が「絆」である。その証拠に糸偏である。こういう矛盾はどうなるのか?それを国語では慣用句などと誤魔化している。
例外である。

ねえねえ、おかむら~~、
「おじいさん」ですか?「おぢいさん」ですか?チコちゃんみたいな子供に聞かれたらあんたどう答えますか?


ぼ~~~っと生きてんじゃねよ!!

お餅はどうして西日本が丸で、東日本は四角なの~~~?

お答えは、
寒冷な東日本では餅がすぐ乾燥して反り返った。
それで江戸時代には、丸める前の大きな餅魂を麺棒で伸ばして、中の空気を押し出してから切るようになったから~~~。

そもそも餅は鏡餅だけだったが、商家で、正月に里帰りする奉公人に餅をお年玉として与える(年末ボーナス)風習が始まり、鏡餅をいちいち切るよりも、最初から小餅を作らせ始めたのがお年玉の始まり。


天皇家や貴族の正月は、鏡餅しかない。
食卓に置いてあり、雑煮を食べるときに鏡餅に箸をつけて、食べるフリをしていた。天皇家は今もそうである。小餅の入った雑煮は天皇家には存在しない。


以上、過去記事から抜粋しました。
民族学伝承ひろいあげ辞典 東日本の餅はなぜ四角いかの謎解き





















































































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