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ツタンカーメンのラピスラズリ・クフ王の赤色花崗岩

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ツタンカーメン王の黄金のマスクに使われたラピスラズリ



古代オリエントにおいて「天空の青い石」「蒼天のかけら」とも言われたラピスラズリは、金銀に次いで高価で貴重な石であった。それは中国が溺愛した碧玉・翡翠を凌駕する王家の石でもあった。日本では「瑠璃 るり」と呼ばれ奈良時代から大切にされてきた西アジアとの外交のあかしである。
ラピスはラテン語で「石」 (Lapis)、ラズリはペルシア語からアラビア語に入った "lazward"(ラズワルド: 天・空・青などの意でアジュールの語源)が起源で「群青の空の色」を意味している。顔料や絵の具の「群青色」はこの石から作られる。
東洋では七宝(しっぽう)のひとつに数えられている。

エジプトのファラオや女王たちはどこからその原石を取り寄せたのか?

◆ラピスラズリの産地
古代の記録による噂
・イランのマザンデラン
・アゼルバイジャンのディズマル
・中国新疆ウイグル自治区ホータン

しかしこれらの地域で、いまだにラピスラズリはひとかけらも出ていない。つまり過去の人々が秘宝のありかをそうやすやすと記録するはずがないのだし、それは言い換えれば「記録のあやうさとだまし」を言い当てる言葉でもある。

一方現実の現代の産地はいくつかある。
・バイカル湖南部
・インドパミール高原
・パキスタン クエッタ地区
・アフガニスタン バダク(フ)シャン ケラノムンジャンの四つの地域

この中でオリエントの古代遺跡から発掘されたすべてのラピスラズリ原石の産出地はアフガニスタンだけである。
大城道則『古代エジプト文明 世界史の源流』講談社 2012

ということはそれを用いて作られている
ツタンカーメン王のマスク
紺玉帯(正倉院収蔵)
中尊寺金色堂の留め金具
メディチ家の紋章(伊ウフィツィ美術館収蔵)
ルイ14世の塩入れ(ルーヴル美術館収蔵)
などもみな、アフガンから取り寄せられたラピスラズリで作られていたということなのである。

イメージ 2

世界のラピスラズリ産地 (World locality)http://www15.plala.or.jp/gemuseum/gemus-lpslzr-2.htm

では、流通経路は?
どこかに中間加工所はあったか?

◆加工場所
「ラピスラズリはエジプトやメソポタミアの遺跡を始め、古代オリエントの居住跡のあらゆる層でラピスラズリが出土している。
ただしラピスラズリは古代世界においてバダフシャン地方でしか産出されない。


アフガニスタン国境に近いイラン南西部シャアリ・ソフタ、ここではこの地では産出しないはずのラピスラズリ、オニキス、カーネリアン、ターコイズなどの原石が見つかっている。
ヘルマンド河下流に位置するこの居住跡は最盛期にはおよそ1万人以上が生活していたと考えられている。

原石の他、加工済みの石、加工工具などが見つかっているところから、この地は石の加工場所であったらしい。



ヒンドゥークシュ山脈/パキスタン
さらに面白いことに、ここで加工されたものは多種多様で、消費地となる民族にあわせたスタイルに作られているということである。
ここからペルシャ湾に向かって下ったテペ・ヤヒヤの遺跡でも同じような状況らしい。」
文と画像 ラピスラズリ「天空の破片」http://www.cromagnon.net/blog/topic/lapis/


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古代文明を知るために。このような遺跡で使用された意匠の原石をたどることは、その文明の目の届いた範囲を知るすべになる
のだ。つまりそれはその文明のつきあいの広さの目安であり、その文明の力量、繁栄度の目安なのである。

エジプト文明を語るとき、筆者はこれまで、シュメールやメソポタミア、アッシリアやヒッタイト、西アジア・イランなどの文明ほどに、エジプトが果たして世界に与えた影響とはそれほどあったのかが疑問であった。インド、中国も含めたそれらの四大文明や、それ以前の文明地域ほどにエジプトは流通においてさほどの影響を示していない気がしてきた。その影響は狭い地中海沿岸にとどまり、狭くギリシアやローマまでにsか届かなかったのではないのか?アフリカ北部の閉じこもった特殊で奇妙な文明に見えてしかたがなかった。しかし石材の流通経路から見たとき、エジプトの影響がアジアにまで及ぼうとしていたことが少し見えた気がした。

エジプトのクフ王ピラミッドの「王の間」では一本60トンもの花崗岩がふんだんに使われていた(百本ほど)。しかもこの花崗岩は紅色の「赤い花崗岩」であった。この巨石はどこから来て、どのようにして王の間まで運び上げられたのかは、かつてNHKがテレビで紹介している。

イメージ 4

『NHKスペシャルエジプト発掘 解き明かされる四つの謎』NHK出版 2009より

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◆クフ王ピラミッドの赤い花崗岩産地
ワイズマンの仮説では、クフ王の赤い花崗岩は、アスワンから運ばれたと言われている。
「王の間全体、そして王の石棺をつくっている赤色花崗岩は、アスワンの採石場から運ばれてきたものと考えられます。
それは、アスワンが赤色花崗岩の一大産地であったからです。

花崗岩は、大ピラミッドの大半を占める石材である石灰岩に比べて、相当に硬く、重い石材です。したがって、この石材を運搬・加工するには、大きな労力と技術が必要でした。
つまり、王の間と石棺の外観が質素に見えたとしても、それは、私たち現代人の感覚に過ぎないのです。

大ピラミッドの王の間は、「とんでもない巨費をかけた贅沢の間」だったのです。

根拠もないジョークのような話として、ツタンカーメンの黄金のマスクの価値が300兆円だという試算があります。もし、それが真実であれば、クフ王の石棺の価値は600兆円以上かもしれません。私は以前から、観光客がべたべた触れる場所に、なぜ石棺を放置しているのか、理解ができずにいます。あの石棺は、一枚岩をくり抜いたものなのです。
石英の粉を使った金属製(青銅製?)の丸いのこぎりで、気の遠くなるほどの時間をかけて何本も円柱状に抜いていったという
説があります。

ウナス王の玄室にはピラミッド・テキストが彫り込まれ、王家の谷の新王国の王たちの玄室はカラフルな絵や文字が彩色されています。しかし、そうした手間を、大ピラミッドの王の玄室は、はるかに上回っています。
少し先のことになりますが、いずれ王の間の建設方法について取り上げたいと思いますが、「驚愕」の一言です。

大ピラミッドの王の間の玄室は、当時最高の技術が投入された、非常に価値の高いものでした。とくに、王の石棺は、至急保全措置がなされることを期待しています。あれこそ、人類の至宝であり、

ツタンカーメン王の黄金のマスクの倍以上の価値(といっても700億円くらいでしょうが)があるものでしょう。

王の間が閑散としているのは、盗掘にあったせいです。何もなかったというのは、印象に過ぎません。
すぐ近くのヘテプへレスの墓の副葬品以上の多くの副葬品が存在していたことでしょう。」
http://wiseman.blog.so-net.ne.jp/2011-08-07-3



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なぜ赤い石だったのか。
日本の古墳時代でも、ある一時期、阿蘇や二上山の凝灰岩ピンク石、紅石が使われた時期があり、それにはある種の「密封」「再生させない呪力」が込められたのではあるまいかと推定している。だが、赤い色にはむしろ反対に、外部からの魔を防ぐ意味があったとすべきかも知れないという思いも常に心の反対側に存在する。

年末から正月にかけて、しばしエジプトを扱ってみたい。

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