◆猿楽発祥の地候補地一覧
糸井神社
磯城郡川西町結崎(ゆうざき)
豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)
「観世発祥之地」碑が寺川のほとりにある
当屋(生贄儀式)風習があった
面塚 糸井神社そば宮前橋を渡った場所
結崎周辺には大和猿楽四座(外山(とび)座、坂戸座、円満井(えんまい)座、
結崎(ゆうざき)座)ゆかりの地がほかにも多々存在する。
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奈良豆比古神社(ならずひこ・じんじゃ)
奈良県奈良市奈良坂町奥垣内2489
http://small-life.com/archives/13/03/1120.php
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E8%B1%86%E6%AF%94%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE
「翁舞」に使う能面が三面保存されている。
「ならずもの」とはここから出たか?あるいはそういう者がいた社名か?
奈良県奈良市奈良坂町奥垣内2489
http://small-life.com/archives/13/03/1120.php
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E8%B1%86%E6%AF%94%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE
「翁舞」に使う能面が三面保存されている。
「ならずもの」とはここから出たか?あるいはそういう者がいた社名か?
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関蝉丸神社(せきのせみまる・じんじゃ)
滋賀県大津市逢坂一丁目15-6(下社)上社は山上にある?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%9D%89%E4%B8%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
猿楽に限らず説教節を軒付けして歩いた遊芸民の総本社。
般若寺周辺などに巣食っていた中世非人たちの宿神を祭る。そもおそもは逢坂山を越えていく旅人の守り神として小野氏が創祀したとされる。近江猿楽発祥の地かとも。小野氏は近江小野と京都小野に分かれるが、逢坂山で往来ができる。歌人蝉丸はこの山に住まっていた。「関の」はここに東国への関があったためであろう。越すに越されぬ逢坂の関。
夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも よに 逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ 清少納言(62番) 『後拾遺集』
あわせて将軍塚もどうぞ
補厳寺(ふがんじ)
http://www.yamataikoku.jp/nogaku.html
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/0f4d4f6a93ccf7d272022953fa318125
磯城郡田原本町味間
曹洞宗
世阿弥菩提寺と近年わかった
「世阿弥参学之地」碑がある結崎座(観世流)ゆかりの地
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秦楽寺(じんらくじ)
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_02_15.htm
磯城郡田原本町秦庄(はたのしょう)
真言律宗
本尊 聖徳太子が秦河勝に贈ったという千手観音
「秦楽」は河勝建立伝承もあるが、磯城郡の神人・芸能者たちは河勝を祖としていたのであって山城葛野の秦氏本流とは無縁、あるいは下人であった秦人・秦部(もとは工人技術者)らが自称した伝承である。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_02_15.htm
磯城郡田原本町秦庄(はたのしょう)
真言律宗
本尊 聖徳太子が秦河勝に贈ったという千手観音
「秦楽」は河勝建立伝承もあるが、磯城郡の神人・芸能者たちは河勝を祖としていたのであって山城葛野の秦氏本流とは無縁、あるいは下人であった秦人・秦部(もとは工人技術者)らが自称した伝承である。
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市杵島姫神社(金春屋敷跡)
秦楽寺北門前にかつては金春屋敷があった。今、市杵島姫神社。
磯城郡田原本町十六面242
西竹田に猿楽師が住んでいた。名を金春といった。天から十六という面が落ちた。
それで、そのところを小字十六面(じゅうろくせん)という。十六という面は、
美しい公達をあらわしたもので、これを十六というのは平敦盛が戦死した時が十
六であったからだという。この十六という面をつけると気を狂ったようになるの
で、金春の息子は能楽師として家をつぐことをあきらめて、この面を御神体とし
てまつったのが十六面の市杵島姫神社だという。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/ichikishima_jurokusen.htm
秦楽寺北門前にかつては金春屋敷があった。今、市杵島姫神社。
磯城郡田原本町十六面242
西竹田に猿楽師が住んでいた。名を金春といった。天から十六という面が落ちた。
それで、そのところを小字十六面(じゅうろくせん)という。十六という面は、
美しい公達をあらわしたもので、これを十六というのは平敦盛が戦死した時が十
六であったからだという。この十六という面をつけると気を狂ったようになるの
で、金春の息子は能楽師として家をつぐことをあきらめて、この面を御神体とし
てまつったのが十六面の市杵島姫神社だという。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/ichikishima_jurokusen.htm
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近隣の多神社も併せてどうぞ
◆大和猿楽四座
「大和猿楽(やまとさるがく)とは、大和国(現在の奈良県)を中心として活躍した猿楽の座。大和猿楽四座は現在の能楽協会の直接の母体である。
古くから興福寺や春日大社などの神事に奉仕することを職務とし、外山(とび)座、坂戸座、円満井(えんまんい)座、結崎(ゆうざき)座の4座が特に知られて、大和四座と称された。室町時代に入って結崎座の観阿弥・世阿弥父子が将軍家に重んじられて猿楽を現在の能楽とほぼ同等の芸能に発展させている。以後、豊臣氏・徳川氏にも重んじられ、外山座は宝生座、坂戸座は金剛座、円満井座は金春座、結崎座は観世座となり、元和年間(江戸時代)に金剛座から分かれた喜多流を加えた四座一流の系譜(原則として世襲)を継ぐ能楽師によって、現在の能楽協会が構成されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%8C%BF%E6%A5%BD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%8C%BF%E6%A5%BD
◆興福寺(及び春日大社j)管轄大和猿楽四座とゆかりの所在地
外山(とび)座・桜井市外山(とび)宝生流発祥地碑有り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宝生流
坂戸(さかと)座・奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目龍田神社、発祥地碑有り・・・・金剛流→喜多流が分派
円満井(えんまい)座・田原本町西竹田市杵島姫神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金春流
結崎(ゆうざき)座)・磯城郡川西町結崎糸井神社そば寺川ほとり宮前橋渡る・・・・観世流
外山(とび)座・桜井市外山(とび)宝生流発祥地碑有り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宝生流
坂戸(さかと)座・奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目龍田神社、発祥地碑有り・・・・金剛流→喜多流が分派
円満井(えんまい)座・田原本町西竹田市杵島姫神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金春流
結崎(ゆうざき)座)・磯城郡川西町結崎糸井神社そば寺川ほとり宮前橋渡る・・・・観世流
◆春日大社奉納薪能(たきぎのう)
「 元々、薪能は興福寺の修二会に付随した神事猿楽でした。「薪猿楽」「薪の神事」という言い方もあり、古くは東西にあった金堂や南大門で数日間演じられました。その始まりははっきりしないのですが、鎌倉時代には始まったともいい、能・狂言が大成する以前からの行事であったことは間違いありません。
世阿弥の著書『風姿花伝』には「大和国春日御神事相随申楽四座」として結崎・円満井・外山・坂戸の四座が書かれており、これらの猿楽座が後の観世・金春・宝生・金剛の各座へと繋がります。多武峰寺(現在の談山神社)と並んで、大和猿楽は春日薪能への参勤義務を負っていたのです。」
http://funabenkei.daa.jp/shiseki/takiginoh.html
http://funabenkei.daa.jp/shiseki/takiginoh.html
ほかに室町時代には近江上下各三座、京都、宇治、伊勢、伊賀、河内、越前、熊野に地方猿楽座があった。
◆猿楽の発祥
猿楽は、まずは最初に秦河勝が舞ったといわれた申楽に発すると言われてきたが(推古天皇六十六番の遊宴)、もともとは宮廷内に招かれた渡来系楽戸(がっこ・音曲舞踊芸能者)が舞った「散楽(さんがく)」に始まる。これを室町期に興福寺・春日大社神人や近江日吉神社神人たちが糊口のために開始したのが猿楽であり、それを大成したのが補厳寺旦那衆=院内出身で秦氏・「杉の子服部」を名乗った世阿弥元清(もときよ)であるとされている(『風姿花伝書』)。彼らは陰陽師系遊民(散所法師)であったが、父観阿弥清次(きよつぐ)が室町将軍・義満の前で、まだ12歳だった世阿弥とともに京都の今熊野で「翁舞」を演じたのが能楽が世間に認められる画期である。当時義満16歳。都市の近い世阿弥を弟のように可愛がった。
猿楽は、まずは最初に秦河勝が舞ったといわれた申楽に発すると言われてきたが(推古天皇六十六番の遊宴)、もともとは宮廷内に招かれた渡来系楽戸(がっこ・音曲舞踊芸能者)が舞った「散楽(さんがく)」に始まる。これを室町期に興福寺・春日大社神人や近江日吉神社神人たちが糊口のために開始したのが猿楽であり、それを大成したのが補厳寺旦那衆=院内出身で秦氏・「杉の子服部」を名乗った世阿弥元清(もときよ)であるとされている(『風姿花伝書』)。彼らは陰陽師系遊民(散所法師)であったが、父観阿弥清次(きよつぐ)が室町将軍・義満の前で、まだ12歳だった世阿弥とともに京都の今熊野で「翁舞」を演じたのが能楽が世間に認められる画期である。当時義満16歳。都市の近い世阿弥を弟のように可愛がった。
観阿弥は南北朝争乱期のさなか、大和多武峰(とうのみね)あたりの例えば談山神社に奉仕していた山田猿楽師・美濃太夫に婿入りして猿楽を学び、結崎座を創始して人気を博した。金春禅竹は世阿弥の娘婿である。
美濃太夫という芸名からも、この芸能の大元が日本海を経て飛騨・美濃から万歳・ささら・こきりこなどと同様に尾張へ出て、伊勢経由で畿内に入ってきた半島渡来系漂泊芸能であったことを思わせる。
彼らこそが「宿神(しゅくじん)」を日・月・星の神と仰ぎ、あらぶる自然界をただよってやってきた来訪神だったことはまず間違いがない。それは南方島由来の精霊信仰にも似たアジアの倭種のみが伝えてきた太古のシャーマニズムであった。野山を漂泊し、遠路を営々として世代を引き継いでやってきた流浪の民=夙である。
◆秦氏と金春と播磨坂越伝説
翁舞は六十六番あったが聖徳太子によって簡略化され「式三番」になったとされる。いわゆる万歳にも取り入れられた三番叟などはさらに簡略化。天皇の夢枕に秦始皇帝子孫である翁が河勝だと名乗って現れる。これも伝説でしかないが、禅竹は「秦氏安より今に於きて四十代に及」んだと嘯いている。その子孫が世阿弥や自分だというわけである(『明宿集』)。
翁舞は六十六番あったが聖徳太子によって簡略化され「式三番」になったとされる。いわゆる万歳にも取り入れられた三番叟などはさらに簡略化。天皇の夢枕に秦始皇帝子孫である翁が河勝だと名乗って現れる。これも伝説でしかないが、禅竹は「秦氏安より今に於きて四十代に及」んだと嘯いている。その子孫が世阿弥や自分だというわけである(『明宿集』)。
その河勝が平安京を桓武に譲ったあと「うつぼ舟」に乗って播磨の浦に漂着したという創作になる。しかし播磨の秦氏というものはそもそも山城秦氏と直接つながりがあったかどうか不明で、おそらく日本海の豊岡の浜や城之崎から平坦な中国山地を南下してきた、あとで秦氏に管理されてゆく工人であろう。途中生野の銀や鈴や銅や砂鉄を開発しながら姫路・揖保川に到達する。ゆえに日本海側出石にアメノヒボコ伝説を残し、姫路鋳物師など職人で活気付けている。もともと竜野などは古墳の石材を求める渡来工人が多かったところである(石の宝殿遺跡)。
参考文献 沖浦和光『陰陽師の原像』など
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
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