◆戌亥の隅と一里塚の榎木
戦国時代に織田信長が一里ごとに作らせた道標が「一里塚」である。今はあまり残ってはいないが一里塚といえば必ず後に榎木を植えていて、旅人に休息と日陰を与えていた。なぜ榎木なのかはわかっていない。伝承では信長にどんな木を植えましょうか?と聞くと「余の木を植えよ」と言ったとか、徳川秀忠に「よい木」と答えたとか、いい加減な伝承ばかりだが、要するに江戸初期にはもうなぜ榎木だったのかの理由は不明になっていたということになる。
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旧東海道日光御成街道の下野田一里塚
榎木は境界を示す樹木だったようだ。
◆戌亥の隅には榎木
『今昔物語集』巻14に、備前国盲人が、祈祷や治療をしても目が治らず、比叡山根本中堂に参詣したところ夢にお告げがあり「おまえの前世は毒蛇だから、信濃国の桑田寺の戌亥の隅に植わっている榎木の中にいて、寺の僧が読む法華経を聞いていた」と語ったという。戌亥の方角とは仏教導入以前の鬼門である北西である。道教では戌亥は「金気」で蓬莱の方角であったが、同時に魔物がやってくる方位だった。これは季節風の方角でもあり、北西には鉱山師や鍛冶屋や炭焼きが多く集っていた。つまり金属であるから金気で、北西のモンスーン=秋風が強く吹き降ろすから炭焼きやのだたら製鉄には向いていた。これが春一番ならば東南(辰巳の風)になる。季節によって工人たちは移動したのだろう。
同じ『今昔』の巻27「冷泉院東洞院殿霊語」にも「戌亥の隅の榎木に赤い一重が飛んでいったという怪奇譚が出ている。僧都殿という屋敷はたいへんなすたれた怪異な場所にあって、行くものがなかった。向かいの住人が見ていたら、彼は誰時(かはたれどき=夕方)になると赤い一重の衣服が榎木のほうへ飛んでいったという。人々はたいへんこれをおそれたので、武士がこれを弓で射たところ衣服は木の上に逃げ、下には血がこぼれており、その夜に男は死んだという。
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このように神聖、魔よけのしるしとして榎木は植えられていたことがわかる。
「えのき」の「え」とは「衣」の音読みになる。例証・衣の君=えのきみ
衣を掛ける樹木だったのか?すると持統天皇の白い衣を干したというのは榎木だったか。
「え」は「胞衣えな」の意味もある。胎盤。これを土中に埋める呪もあった。
そもそも中世には戌亥や丑寅ばかりが取り上げられるが、本来は敷地の四隅に各種の大木がどれぞれ植わっていた。この風習は古代の出雲などの四隅突出型墳丘墓の祭祀形態の残存で、おそらく出雲系を信奉したのであろうから、それはおそらく葛城系などの奈良政権にとってかわられた氏族のものであろう。道教では四隅にはそれぞれの色彩があって今の相撲の「タブサ」などに残っている。
古代でも例えば諏訪の御柱などは、祭りだけでなく、神長官や宮司の家、神社の四隅に建てられた。
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南にはクヌギ(高野山田地四至しいし)、北はニレの木尻に限る(豊後六郷杉山の田畑・山野四至)などなど地域の植生に応じて領地の四至(しいし)には目印の樹木が決まっていた。縄文時代には目印は栗の木のやぐらである。これは狩猟・採集から村へ戻るときの目印で、中世のような境界の印かどうかはわからない。
榎木といえば『徒然草』によく登場する。古典の時間に習った人もいるだろう。榎木の僧正などのお笑い話である。あれも仁和寺の戌亥の角での話であろう。
◆ご神木
神社のご神木といえば、だいたいが高くそびえる大木で、杉や松、楡の木、イチョウ、ユズリハなどが多い。鎌倉幕府は鶴岡(つるがおか)八幡宮にはイチョウを植えている。これは先年倒壊してニュースになった。イチョウは水分を莫大にふくみ、火を防ぐので、よく街路樹になる。道路が町と町の境目であるから、道路の幅ととイチョウで延焼を防いだのだ。
イチョウ以外はだいたい常緑樹で、これを「常盤木」と言った。「ときわぎ」とはいつまでも青々として生命力の象徴で、神聖な木である。ツバキなどもある。西日本で一番多いのは楠木である。東日本・東北では常緑樹が少なく落葉樹も使われる。樫の木やカンバも多い。西では楠木以外でイチイ、イチイ樫なども多い。
イチイ樫には蛾が緑色の繭をかけ、これからとった絹糸は貴重品だった。
京都の八坂神社の裏にはスギがたっていた。
◆防御の木・サイカチ
イバラである。垣根に多かった。昭和初期にはカラタチも多かったようだ。いずれも棘があって魔よけや猫などの侵入を防いだ。
◆荒廃の象徴・ムグラとヨモギ
平安時代の和歌にも
八重葎 茂れる里のわびしきに・・・・
とあるように、ムグラは荒廃の象徴的植物だった。
ムグラには八重ムグラと金ムグラの二種があり、現在はだいたい金ムグラが見られる。
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ヤエムグラ
『源氏物語』「桐壺」には「人の住み荒らしたる蓬生(よもぎう)の宿」と出てくる。
『太平記』でもこれをまねした記事。『宇津保物語』には「葎蓬のなかより秋の花はつかに咲き出で」とあり、草むらの代表になっている。
◆燃料になった木
これも年代や地方により違いはある。燃料にする樹木は高温を出す樹木でなければならないが、関東ではクヌギやコナラ・クリなどが多かったのでこれを使ったようだ。西日本ではアカマツ、カキ、ナラなどが使われた。樹木は使えば枯渇していくので、炭材には変遷の歴史がある。
「炭の歴史は人類が火を使った時、同時に始まりました。それは大氷河期以前の石器時代前期までさかのぼります。炭は奈良時代にすでに使用されていた記録が残っており、東大寺の大仏鋳造などはその代表的なものです。
炭焼きの基本的な技術は、平安時代に一応の定着をみ、室町期、茶の湯が盛んになったことにともなって、需要者の厳しい要求を満たすため、その炭質はいちじるしく向上し、今日に近い形で技術が完成しました。
炭はその用途において、<暖房炊事用>すなわちエネルギー的な使い方をするものと、<工業用>すなわち金属加工など炭素材料的な使い方をするものの二つに大別されてきたのですが、近年ではさらに人類の健康や環境に寄与する役目をも果たすようになってきました。」
炭焼きの基本的な技術は、平安時代に一応の定着をみ、室町期、茶の湯が盛んになったことにともなって、需要者の厳しい要求を満たすため、その炭質はいちじるしく向上し、今日に近い形で技術が完成しました。
炭はその用途において、<暖房炊事用>すなわちエネルギー的な使い方をするものと、<工業用>すなわち金属加工など炭素材料的な使い方をするものの二つに大別されてきたのですが、近年ではさらに人類の健康や環境に寄与する役目をも果たすようになってきました。」
ちなみに備長炭にはウバメガシ・アオガシだけが使われる。
古代たたら製鉄ではクリやアカマツが高温になるため使用されたが、どちらも立ち消えが多く苦労した。
江戸時代のたたら製鉄の書『鐵山秘書』に見られる炭材。
小炭用の木山は若木林がよく、松・栗・栃などが極上であるが、その他何木でも差し支えない。ただし、椎、橿、梯植は鉄には合わないとして嫌われる。(p.60)」
(『鐵山秘書』:『現代語訳 鉄山必用記事』館 充訳 丸善 2001)
このサイトに各種炭材ごとの分析と数値がふんだんに載っている。
非常に参考になる。
江戸時代のたたら製鉄の書『鐵山秘書』に見られる炭材。
小炭用の木山は若木林がよく、松・栗・栃などが極上であるが、その他何木でも差し支えない。ただし、椎、橿、梯植は鉄には合わないとして嫌われる。(p.60)」
(『鐵山秘書』:『現代語訳 鉄山必用記事』館 充訳 丸善 2001)
このサイトは炭材ごとの数値が詳細に載っていて役に立つ。
燃料や建材、舟に大量消費された材木は、そのまま日本の都市近郊の植生変化に関わった。人の歴史と植物の歴史が都市にはある。そこから古代史のヒントを拾い上げるのも大事な仕事である。
照葉樹林が減り、成長の早い針葉樹に植え替えられ行ったがゆえに、現代の大雨による土砂災害も増えたし、花粉症も増えた。また山の植生が変わったために、海へ流出する養分も変わり、海産物までもが様変わりし、それはまた人間の食生活さえ変えてしまう。
広島県や岡山県のように吉備製鉄のためにアカマツを営々として植えてきた地域でも、マツクイ虫によって全滅に瀕し、名産のマツタケ高騰の原因になったところもある。埋立地が増え、工業団地ができることで、海浜の松林が消え、津波の影響をもろにうけるところもある。樹木がなくなったために、仏像や壮大な寺院がつくれなくなり、飛騨や東北からまでも材木が切り出されていけば、それを切る杣・番匠たちも移住し、付随して火を使う鋳物師たちも移住せねばならなくなる。滋賀県の漆の木が減って、木地師は全国へ放浪した。こうして文化もまた次第に混成していったのである。
このように植生の歴史を知ることは、歴史を知ることであることに気づくはずである。
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
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