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『明宿集』宿神・翁舞/陰陽師その7

 
 
 
 
 
◆『明宿集』(みょうしゅくしゅう)作・金春禅竹(こんぱる・ぜんちく)
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金春禅竹の書は長らく秘蔵書であった。金春家はこれを世に出さなかったので、世阿弥の『風姿花伝』とともに世間にはまったく知られていなかった。これを世間に知らしめたのは吉田東伍(よしだ・とうご)著『禅竹集』(1915)である。吉田はその前に『世阿弥十六部集』で『風姿花伝』も紹介した。代表的偉業は『大日本地名辞典』の編纂であることはつとに知られている。
 
その後、禅竹自筆書が次々に発見された。1964年、そんな中で『明宿集』は金春宗家からやっと発見された。禅竹が世を去ってから500年も経っていた。
 
 

要約
「猿楽に出てくる<翁>は「宿神(しゅくじん)」である。「翁舞」では<日><月>を現す御立烏帽子を付け、手にした数珠は<星>宿が連なる様を現す、と禅竹は言う。
 その「翁舞」を始原とする猿楽は「王位を守り、国土を利し、人民を助けたまふ(原文カタカナ)」神聖な遊学遊舞である」(沖浦)
 

この書で登場する神には、住吉大明神・諏訪明神・三輪明神・春日ノ神・大避大明神がある。
「百億の日月、山河大地、森羅万象、草木瓦石に至まで」すべては「翁」の分身であると書く。
 
 
 
 


 
 
要するに、
先に筆者は神とは宇宙の摂理であると書いたけれど、この思想は老子の言っていることとなんら変わりがない。

禅竹はそのすべてを生み出した摂理を宿神と呼び、それが翁の姿で顕現・表現されると書いたのである。
 
すなわち彼ら宿にとって、神は存在することになるが、老子や筆者は神は存在せず「すべては<じねんと成る>としていて、禅竹らの中世信仰観念は「科学」「客観的」なものではないことが言える。その証拠にこの書の内容は、「一切の神仏を翁――宿神に結びつける牽強付会の論法に見られる非合理性が伴っていた」(表 章・おもてあきら解説)。
 

まず荒唐無稽で脈絡が一切無視された、思い込みの激しい、一気に書かれた、自動書記やヒーリングのような夢想的かきっぷりなのである。それは花伝書にも共通している。
つまり宿神は老子のような科学的客観主義(近代科学に通じる)の「理論」などではまったくないと言っていい。
 

これらはどちらも「由来書」「由緒書」である。「卑賤視された集団に伝わる「由緒書」の祖形とも言うべき文章である。周縁の民に伝わる河原巻物類の先駆的な作文として読めば、きわめて興味深い。その荒々しくオクターブの上がった文体も、きわめて魅力的だ。こういう文章は、天皇側近の統治者や高位貴族から出た文人ではとても書けない。」(沖浦)
 
 
 
 
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奈良豆比古神社翁舞「式三番」
 
 
 
 


 
 
 
 
◆猿楽は「式三番」に始まる
 一、翁ヲ宿神ト申タテマツルコト、カノ住吉ノ御示現ニ符合セリ。日月星宿ノ光下テ(ひかりくだって)、昼夜ヲ分カチ、物ヲ生ジ、人ニ宿ル。三光スナワチ式三番ニテマシマセバ、日月星宿ノ儀ヲ以テ宿神ト号シタテマツル。宿ノ字ノ心、星下テ(ほしくだって)人ニ対シ、ヨロヅノ業ヲナシ給フ心アリ。イヅレノ家ニモ呼バレ給フベキ星宿ノ御恵ミナレド、分キテ宿神ト号シタテマツル翁ノ威徳、仰ギテモナヲ余リアルベシ。()内Kawa
 
 
翁は日月星宿の三つの光りであり、それを象徴するのが翁舞の式三番である、と述べている。
日・月・星宿とはつまり宇宙である。それを司る神が宿神だと言っているのである。

宿=星宿=天文
星宿とは星座である。
この三光を舞歌として表現するのが翁舞である。
 
中国の天文学=陰陽道では天の動き陰陽の動きを具体的に明示するのが星座である。これを黄道二十八宿と言った。そこから降りてくる翁=宿神は人々を救済し、幸福を与え、人民を助け、国土を増やし、王位を守護するのだというのが、禅竹の明確な結論である。つまり一方的思い込みであり、これは思想というよりも、決め付けなのである。これはみな太古から続く精霊(アニマ)思考である。
 
猿楽・能楽=芸能こそが人の心をやすらけくする、そう言っただけなのである。
それはその通りであるが、ではなにゆえにそれが天体にまで結びつくか?
それこそはシャーマニズムの本体である。
天体=宇宙神=摂理を生み出す神
 

近代的な科学ではそれは逆である。
摂理という「自ら成るモノ」によって宇宙も地球も太陽も生み出されたのである。
言い換えると宇宙の摂理は自分で生まれたのである。=人の思考を超越した存在。
じねんと生じたものがすべての「モノ」である。
その理念に従って天体も地球も動物も生まれた。
つまり宿神という神は存在しないことになる。

神観念とは人が後天的に、自分たちに都合よく創作したものでしかない。
だからこそ現代もまだ、世界の神観念が対立しひとつにまとまらず、混沌を招いている。
芸能による安息もその神々の中の、散所の中のひとつに過ぎず、すれが世界を平和にするものでないことがわかるであろう。

世界共通の神理念はいまだに生まれておらない。
筆者は老子の「成る」道=タオを世界を平和に導く最高の理念と見ている。
全人類がタオに帰するには、まだ一万年かかるだろう。

それを超克と呼ぶ。
 
 
能楽たち古典芸能とはつまりシャーマニズムなのである。
そしてそこにある信仰観念は古い。
いや信仰そのものが千年先にはやがては消えてゆくものなのだろう。
だから古典芸能はすたれていったのであろう。
 
 
 
次回、豊前と播磨の役者村と秦河勝伝承
 
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