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森浩一氏死去 同志社大名誉教授、独自古代像示す

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森浩一氏死去 同志社大名誉教授、独自古代像示す

京都新聞 8月9日(金)23時29分配信
森浩一氏死去 同志社大名誉教授、独自古代像示す
森浩一氏
 日本を代表する考古学者で、幅広い視野で日本文化の基層の解明にあたり、考古学や古代史の社会的関心を高めた同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため、京都市内の病院で死去した。85歳。大阪府出身。自宅は京都市東山区本町15丁目778の18。葬儀・告別式は近親者ですませた。喪主は妻淑子(としこ)さん。後日、お別れ会を開く予定。

 17歳で大阪・和泉黄金塚古墳を発掘調査。以後、同志社大在学中を含め数多くの調査に参加した。豊富な経験と深い学識に基づき、考古学や古代史の通説を再検討。考古学と文献史学を総合した「古代学」、出土遺物だけでなく遺跡全体のありようを重視する「遺跡学」を唱え、独自の日本古代像を提示した。

 弥生時代、コメの蓄積が社会階層の分化と権力者の発生を促したとする従来のコメ中心史観に対し、海沿いの多くの古墳や銅鐸(どうたく)鋳造など高度な技術の存在を根拠に交易や水上交通、生産技術を掌握した豪族の存在を主張。古代の権力や社会へ新しい見方を示した。

 邪馬台国論争では九州説に立ち、三角縁神獣鏡が中国・魏から倭の女王卑弥呼への贈り物とみる説を批判。国産説を打ち出した。遺跡保護に早くから取り組み「いたすけ古墳」保存運動(55年)は以後のモデルとなった。80年代以降は地域の歴史や文化を広い視野でとらえ直す「地域学」を提唱した。

 65~99年に同志社大で教員を務め、研究成果は広く市民にも伝えた。著書に「考古学と古代日本」「記紀の考古学」など。京都新聞では「現代のことば」「京都学事始め」などを連載した。
 
 
 
ご冥福をお祈り申し上げます。
残念です。
このブログを導いてくれた恩人であった。
 
合掌
 
 
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