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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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復習2/米・舟型木棺・禾偏

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米の文字は「コメ」よりも古くは「ヨネ」。
コメとは「小芽」。クメールとは無関係。
 
長江上流域の舟形木棺と日本の舟形木棺は同根。
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禾偏は最初はアワのこと。
「禾」は今は「コメ」を示すと多くの学者は当たり前のように書くけれど、漢字は中国北部で始まったのであるからそもそもかの地で穀物の代表は米ではなく、雑穀だった。だから当初「禾」はアワを指していた(森浩一)
 
 
 
米マークなのか?日中で一致する図案。
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日本でのこの模様は、いずれも九州北西部の佐賀で出ている。ピンポイントである。これが紀元前4世紀(弥生中期後半)の出土品である。一方中国四川省長江奥地の舟形木棺のものは紀元前5世紀で、タイムラグはわずか100年しかない。だから「そこからここへそれが来た」ことがこれほどはっきり言える意匠はほかにはない。
つまり、佐賀に稲作を持ち込んだ人は、中国長江奥地から「直接」やってきた、と言っても間違いではない。
 
ではこの十字型の先のデザインは、当然、稲穂。そうでないなら祖霊を運ぶ鳥の足。
どっちにしても、穀霊=稲魂=祖霊=鳥であったことになる。
 
 
もうしてそこと同様の葬礼様式や稲作やそれから生まれる祖霊信仰=鬼道のルーツがわかる。つまり卑弥呼もここから来たのだ。長江河口まで押し出され、大海を「東へ」一直線で、百年掛けて佐賀まで来たのである。
そのあと彼女がどこへ行ったか?大和でしょう!
 
 
わかりましたか。
 
 
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