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可都思加能 麻末能手兒奈乎 麻許登可聞 和礼尓余須等布 麻末乃弖胡奈乎
かつしかのままのてこなよ かつしかのままの井みればたちひらし 水汲ましけむてこなしおもほゆ
万葉集 巻9の1808 高橋虫麻呂
万葉集 巻9の1808 高橋虫麻呂
可豆思加乃 麻萬能宇良未乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
かつしかの ままの うらみを こぐふねの ふなびとさわぐ なみたつらしも
かつしかの ままの うらみを こぐふねの ふなびとさわぐ なみたつらしも
万葉集には東国の歌が非常に多い。
いわゆるあづま歌である。
いわゆるあづま歌である。
その中でも、葛飾を詠んだものがたくさんある。
葛飾は今は東京(武蔵国)東部の地域名であるけれど、奈良時代には千葉県(下総国)市川市、船橋市あたりまで含めて葛飾である。
枕詞「かつしか」のあとにだいたい「ままの」とくる。
「真間」は葛飾の港の名前である。
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船橋は今巨大なショッピングモールなどが有名だが、往古はもちろん加古(あま)が漁に出て行く港町である。これは東京ディズニーランドのある浦安も同じだった。
千葉県の房総半島南部には縄文遺跡も多いが、弥生時代の海食崖墳墓も多く、海人族が銚子や三浦半島や東京湾岸に多数来ていたことが知れる。
東国に和歌が多いのは、考古学の墨書土器が関東で一番出てくることとリンクしている。
その理由は明確で、関東が渡来人の部民が多く入ったからである。
これが貴族クラスが多ければ、それほど文字や日本語(大和言葉)を勉強する必要もなかったかも知れない。
だが東国へやってきた渡来人は多くが工人たち技術者で、日本語の書き取りや読み取り、会話に慣れていない。
その理由は明確で、関東が渡来人の部民が多く入ったからである。
これが貴族クラスが多ければ、それほど文字や日本語(大和言葉)を勉強する必要もなかったかも知れない。
だが東国へやってきた渡来人は多くが工人たち技術者で、日本語の書き取りや読み取り、会話に慣れていない。
だから文字と言葉を必死に勉強したのである。
和歌を多く詠んだのも、そういう日本語勉強の一環であろう。
こういうことを書く人はあまりないようで、森浩一『萬葉集に歴史を読む』でも、渡来人にまでは結びつけていない。
畿内ではインテリ渡来人たちが書記・通訳として宮中に採用され、上代仮名遣いが生まれる。彼らは逆に、従来の日本語を表記するために朝鮮での音韻を取り入れて表記した。そのために記録の中の日本語は仮名の数が非常に増えてしまう。つかいかってが悪いのでやがてこれは衰退し、今のような五十音におさまったのである。
要するに上代仮名遣いの仮名の多さ、朝鮮音というものは、一時的な宮中だけのブームで終ってしまうのである。だからここから日本語が朝鮮語から生まれたと考えるのは意味が無い。あさはかである。
もちろん渡来人が来たのだから、外来語としてのさまざまな専門用語は当然入って定着した。技術者が来れば当然、専門用語は当事者のお国の言葉になる。医療用語がドイツ語が多いのと同じことである。そして地元の先住者もそのほうがいいと思った言葉は取り入れる。しかしそれは全部、「基層語」ではない。「食べる」「さかな」「やま」など、最初からあったような基本的言葉には朝鮮語はまずもってほとんど使われてはいない。
関東は縄文人と南方から北上した海人族とが和合していた土地で、いくら渡来人が入っても、そうした基本的な日本語は変わらないのだ。つまり日本語の基層には彼ら縄文と海人=島人が大きく影響して、全国的にそうである。朝鮮語とまったく違うのは上代仮名遣いが使っていたような難しい発音が全部淘汰されてゆき、母音がつくはっきりとした言葉だけ(50音)が残ったことである。これはオーストロネシア言語という基層言語に共通したことで、ハワイやトンガなどもやはりそうである。
東国で和歌が最も多いのは上野国、群馬県である。
さまざまな渡来人が入っている。多胡という地名があるくらい多かった。わざわざ土地を割譲してやっている。
さまざまな渡来人が入っている。多胡という地名があるくらい多かった。わざわざ土地を割譲してやっている。
「胡」の文字をペルシア人のこととか言う人が群馬県には多いけれど、それは中国での漢字の意味ではあっても、日本では漢字の意味にいいかげんなところがあって、呉と書いてあっても中国南部とは限らず朝鮮南部も「くれ」である。「唐」も「から」であるから朝鮮につかっている。「高麗」も高句麗にも高麗にも使う。朝鮮でもこれは同じようなことがおきている。つまり漢字の母国では一文字の意味にこだわって使うが、輸入した国では割合ゆるい使い方をするので、多胡は渡来人が多いところという地名になる。けして西アジア人が山ほどいたわけでもないし、秦氏が大月氏国から秦国にはいってやってくる証拠にはならない。
関東の渡来人には畿内から派遣された土木工人、開拓要員もいたが、単独で高句麗や新羅から来たものも多かった。つまり帰化しないでやってくるやや「ざっかけない」人々である。許可なしでくるのは、要するに本国での紛争などで住めなくなっての逃避行渡来である。そういう人々が日本海から日本アルプスを抜けて北関東や信州や尾張・三河・駿河・伊豆・相模・越後などに三々五々入ってくる。
国はさまざまである。だから共通語はどうしても日本語にならざるを得ないのである。
東京で、よくロシア人とイギリス人などが立ち話しているのを聞くと、日本語でしゃべっていることはよくあることだと思う。
ところで「かつしか」という地名は「かつ」が「勝」で渡来人族長、「しか」は海を渡った人のステータス地名であるかと感じる。
葛飾で「生まれも育ちも葛飾です」という人はそのころ探すのが大変だっただろうと思うスミダ(川)。
たまにはやさしい古代史も書かないとね。
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