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「けみょう」/日本人の氏姓の構成・真実卑しい行為が姓を持つこと

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筆者の先祖の名前にこのようなものがいる。

●田 左衛門大夫 藤原 鑑秀
地名  役職名   姓名 実名
 
●●だの さえもんだゆう ふじわらの かねひで
 
豊後国春日神社大宮司だった人であるそうな。
 
ここには「仮名(けみょう)」が一切書かれていない。
「けみょう」というのは、太郎とか次郎とかいう一家内での順位を表す名前。
前に一文字ついて平次郎とか実五郎などとなることが多い。
 
 
イメージ 1
駆けつけワンクリ
 
 


 

畠山  荘司  平  次郎  重忠
地名  役職  姓  仮名  実名
 
「はたやま(埼玉県地名)の」「そしてはたやまそうという荘園の司の」
「たいらの」
「次男の」
「しげただ」という構成になるのが中世武士である。
で、通称は畠山重忠である。
誰?
源平合戦鵯越の逆落としで、自分の馬を背負ってひよどり坂を駆け下りた奇人・変人じみた荒武者である。
 
イメージ 2
埼玉県深谷市畠山の畠山重忠公史跡公園の銅像
 
 
 
参考 奥富敬之『日本人の生の歴史』
 
 
 


 

実名のことを「諱 いみな」とも言う。
「いみな」とは「忌むべき名前」で、人に知られると呪術を掛けられたり、のろわれたりするかも知れないので決して明かさない約束の名前である。普通は死んでから明かされる(祟られたりしない身近な人や、目上の人にはちゃんと名乗る)。だから畠山重忠さんは生前はずっと「畠山●●●」のような別名、愛称、通称で呼ばれていたことになる。
 
苗字に当たる地名名乗りは、居城が変わったりすれば当然苗字も変わった。
まず苗字、姓名なるものは帰属する集団名か地名でしかなく、そもそも世界中のどの人間も最初は姓などなかった。名しかないのが普通で、姓とはあとになって

1 権威的意味で
2 出自を明確にし、同名のものと区別させたいために

などの理由でつけるようになる。
 
原人の頃などはあなたが今も奥さんを呼ぶときのように「おい」だけだっただろう。
すべてはより明確な個体識別のために氏名は始まる。
 
 
新田 荘司 源 義重

同じである。

間に通称名が入るはずだが、省略してあるので不明である。
「そうたろう」とか「ごんじゅうろう」とか入るはずだが、正式名称としては必要ないから、記録には残りにくい。
「やまちゃん」だったかも知れない。うそ。

「悪太郎」「悪源太」などというあだ名が入る場合もある。これは元気があって生命力にあふれてやがる男、という意味のあだ名である。

「八幡太郎」などは信仰した神の名前。
 
イメージ 3
山口市今八幡宮八幡太郎義家像
 
 
 
武家の姓(かばね)には四つしかない。
源・平・藤・橘(げんぺいとうきつ)である。
源平はわかるだろうから、藤は藤原、橘とは藤原氏に嫁いだ橘夫人(県犬養の橘宿禰八千代)由来の氏姓である。

このように藤原四家以外の藤原氏は武家である。しのぎのためであろう。これは皇族でも、はじっこのものたちは同じであった。源平もそういう親王一家のはじっこのはじっこから出るというのが建前。
 
これが戦国時代の武家はそうではない。
源平藤橘の氏姓はあとから勝手に自称・仮冒したものばかり。
実際の出自はまったく不明なものばかり。
 
1食い詰め渡来人
2そこから出た不浪人・芸能人・やから・阿弥
3百姓・農民からひょんなことで
 
登場するのである。あ、おたくもそうでしょう?
そう言えることこそが民主主義がわかっているってことでしょう?
まさか、うちは佐藤だが、奥州藤原家一門だ~~~~なんて、酔ったついでに人に自慢してないよね?
佐藤・後藤は戌の糞というけれど、なぜだがわかってますよね?
 

東国の藤原秀郷(俵の藤太)の「藤原」は、先祖が畿内武士団藤原一家が食い詰めて関東の田原に入って名乗った。だから正式には
 
田原の ●●の 藤原の 藤太 秀郷

●●には役職名が入るが、それは年代によって出世もあるので最終役職名が入る。
通称は「俵藤太 たわらのとうた」である。
「俵」はもちろん地名の田原であるが、俵にしたのは炭俵の意味で、製鉄氏族を示し、「とうた」は製鉄の「ユリ」である「淘汰」にひっかけたあだ名で構成される。

その子孫を名乗ったのが滋賀県近江国の近藤家で、その子孫を名乗るのが当家や大友宗麟である。家紋は近藤流すべてが丸にくぎ抜きである。もっとも大友一家は実はどこの馬の骨かよくわかっていない。一般には近藤家から出たのが古庄氏でその子が大友氏初代となっている。
また相模国秦野を名乗った藤原子孫が波多野氏で、大友氏母方である。
 

 
これが貴族の場合は奈良時代の氏姓制度(うじかばねのせい)に順ずる。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%A7%93%E5%88%B6%E5%BA%A6
構成は武家と大差はないが、役職名が違う。
 
 
 
大事なことは、姓名のうち、決定的に今と違うのは、
姓とは所属する集団名であり、名字は地名だということである。
ここが平民とは名乗り方が違っているわけである。
 
 
では平民はどういうふうに明治時代に名字をつけたか・・・
適当につけたわけである。どういうこと?

佐藤さんが多かったからぼくもそうしようで佐藤をつけたとか。
砂糖きびを作っていたから砂糖にしたが、あとで一般的な佐藤にしたという具合。(実例がある)
あるいは藤原村の農家だったから藤原、藤原では恐れ多いから葛原とか佐藤とか後藤。
そういうつけかたである。
 
地域によってはひとりの庄屋さんがまとめてつけて、全戸が同じ名字の地域もある。
それが庄屋のよめはんのなまえの「およね」だったら「米田」なんて、いいかげんにしてよ、みたいな名づけ方だとしたら、どう思いますか?
 
 

さて、ちなみに・・・
山本 太郎さんという名前の構成は
山本・・・山の麓という立地名
太郎・・・長男という仮名
つまり実態がまったくない名前である。

朝刊太郎・・・新聞配達という役職名の長男。
川口松太郎・・・川口村の松ノ木のある家の長男
松下幸之助・・・松ノ木の下の家の幸せになってくれという、何番目かもわからない名前。
橋下徹・・・・・・・橋のしたの家の初志貫徹する男
北野たけし・・・・どっか知らないが北のほうの元気がとりえのガキ
御法川 法男・・・ノリ川地域の法律家一家の男(みのもんた)
というふうなのが現代の名前の構成である。

とにもかくにも名字などは最初は誰にもなかったわけである。
それが今は最高位にいる天皇にだけ姓がない。
近世までは天皇と平民には姓も名字もなかった。武士と貴族・官僚だけが区別を必要としたわけである。つまりそれは差別化と権威化にほかならない。真実卑しいからこそ権威を求めたのである。
 
 
 
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