『続日本紀』文武三年(699)
「多褹、夜久、菴美、度感(種子島・屋久島・奄美諸島・徳之島あるいはトカラ)等の人、朝宰に従ひて来り、方物を貢ず。位を授けて物を賜ふに各差あり、その度感の中国に通ずること是に始まる。」
ここにある「中国」とは大陸の中華帝国のことではなく、前に朝宰=朝廷とあるのだからわが国のことである。
養老六年(722)四月二十五日「太政官奏」
「是をもって聖王制を立て、亦(また)務めて辺りを実するは、蓋し(けだし)中国を安むずるを以ってなり。」
この中国も日本朝廷を指す。
こうした中華意識の大元になるのはおそらく、『隋書倭国伝』に「その風俗夏華に同じ」とされた秦王国記事にあったかと思える。秦王国とは豊前~周防あたりにあった秦氏の居住地であるから、こうした日本の朝廷の中華思想の源泉もまた秦氏にあったと見える。
この「夏華」というのはいわゆる夏華族で、漢代には黄河流域に住まう漢民族の自称であるから、中華人民のことになる。その言葉を朝廷が自称し、使用したということは、「日本は中華国家」だと言っていることになる。
『続日本紀』霊亀元年(715)九月二日
「夏華載佇(さいちょ)」
延暦九年(790)五月五日
「陸奥外文」
「華土」
とあって、いずれも自らを「華」「夏華」としている。
あきらかに中華思想である。
そういうところから周辺諸国を蛮族と見る意識が芽生える。
半島や渤海などの諸国への蔑視の始まりである。
これは秦氏ではなく漢氏・文氏が王仁博士が持ち込んだ儒教、と書いたように、あきらかな儒教による選民国家意識のはじまりでもある。
8世紀のこうしたアイデンティティは、いわゆる右よりの帝国主義的な思想であり、中国と並立せんとした思想である。
『日本書紀』が「渡来」を「帰化」としたのも、つまり天武以降の国粋的思想を背景にしたものであった。
参考 上田正昭『渡来の古代史』
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Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
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Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
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