密教を学ぶのに、また日本の仏教史を学ぶのにとてもよい文章を見つけたので、転載しておこう。
「仏教の変遷をざっと追ってみると、次のようになる。
BC5C : 釈尊の時代
|
<小乗仏教> (阿含経典群)
|
紀 元
|
<初期大乗仏教>(大般若経・般若心経・法華経・華厳経)
|
龍樹(Nagarjuna)による「空」・「中観」の確立
| |
AD5C
|
<中期大乗仏教>(涅槃経)
|
無著(asaNga)・ 世親(vasubandhu)らによる「唯識」の確立
「仏性」・「如来蔵思想」
|
AD7C
|
<後期大乗仏教>(理趣経)
|
空海による「密教」の確立
|
AD10C
|
|
<小乗仏教> (阿含経典群)
|
紀 元
|
<初期大乗仏教>(大般若経・般若心経・法華経・華厳経)
|
龍樹(Nagarjuna)による「空」・「中観」の確立
| |
AD5C
|
<中期大乗仏教>(涅槃経)
|
無著(asaNga)・ 世親(vasubandhu)らによる「唯識」の確立
「仏性」・「如来蔵思想」
|
AD7C
|
<後期大乗仏教>(理趣経)
|
空海による「密教」の確立
|
AD10C
|
最澄と空海は、仏教を学ぶためにともに遣唐使として唐へ渡った。
9世紀初頭、804年のことであった。
9世紀初頭、804年のことであった。
しかし、この二人の立場は随分と違うものだったという。
最澄はこの時すでに比叡山に学ぶ高僧であった。
最澄は、天皇の命を受けて当時日本で最も盛んであった「法華経」を取りに、
国費留学生という盤石の立場で唐へと向かったのだった。
最澄は、天皇の命を受けて当時日本で最も盛んであった「法華経」を取りに、
国費留学生という盤石の立場で唐へと向かったのだった。
これに対し、空海は専ら自らの興味と向学心から、
私渡僧として留学を決意した人物だった。
つまり自費留学である。
当時、私費で唐へ渡るなどというには、どれほどの財力が必要だっただろう。
恵まれた環境であったことは間違いないだろうけれど、
それでも国費留学の最澄と比べれば、乞食坊主同然の姿で唐へ旅立ったといわれる。
空海が求めたのは、当時最新の仏教とされた「密教」だった。
私渡僧として留学を決意した人物だった。
つまり自費留学である。
当時、私費で唐へ渡るなどというには、どれほどの財力が必要だっただろう。
恵まれた環境であったことは間違いないだろうけれど、
それでも国費留学の最澄と比べれば、乞食坊主同然の姿で唐へ旅立ったといわれる。
空海が求めたのは、当時最新の仏教とされた「密教」だった。
空海は最澄に対して激しいコンプレックスを感じていたようだ。
渡唐以前からの学問的興味はもとより、
最澄への対抗意識は空海の向学心を更に燃え上がらせたのだろう。
渡唐以前からの学問的興味はもとより、
最澄への対抗意識は空海の向学心を更に燃え上がらせたのだろう。
唐に渡った後、最澄は天台山に登って華厳経を学ぶことになるが、
しかし、そこは当代切っての識者であった。
唐に着いた瞬間に、華厳経が時代遅れであることに気づいたという。
天皇の勅命であるから、華厳経は持って帰らねばならぬ。
しかし、時代は密教へ移りつつある。
最澄は華厳経を学びながら、天台に伝わっていた密教の一部にも触れていった。
こうして比叡山に持ち込まれた密教思想が、「台密」と呼ばれる天台密教であった。
しかしこの台密は、本当につまみぐいの産物で、その内容は見るに値しないという。
比叡山にあって、気をつけなければいけない思想のひとつと言えるだろう。
しかし、時代は密教へ移りつつある。
最澄は華厳経を学びながら、天台に伝わっていた密教の一部にも触れていった。
こうして比叡山に持ち込まれた密教思想が、「台密」と呼ばれる天台密教であった。
しかしこの台密は、本当につまみぐいの産物で、その内容は見るに値しないという。
比叡山にあって、気をつけなければいけない思想のひとつと言えるだろう。
一方の空海はどうであったか。
空海は最初から密教を求めて渡唐したのだ。
目の前でまさに華開きつつある密教のただ中に出会うことを得た空海の悦びは、
どれほどのものだっただろう。
空海は当時大人気であった「不空」の下へ参じようと考えていたのだが、
その不空が亡くなってしまう。
後を継いだのが「惠果」であったが、空海は惠果の下へすぐには行かなかった。
その不空が亡くなってしまう。
後を継いだのが「惠果」であったが、空海は惠果の下へすぐには行かなかった。
空海は不空の一番弟子と呼ばれた人物に就いて、徹底的に書を学ぶ。
密教に欠かせない梵字を徹底的に修行したという。
ここから書の大家としての空海が生まれたのだ。
密教に欠かせない梵字を徹底的に修行したという。
ここから書の大家としての空海が生まれたのだ。
空海は書を学びながら密教の奥義を追求し続けた。
惠果は不空に負けず劣らずの大人気であったが、体が弱かった。
そこを空海は計算していたのかも知れない。
惠果は不空に負けず劣らずの大人気であったが、体が弱かった。
そこを空海は計算していたのかも知れない。
空海が惠果の下に参じたのは、本当に惠果にとっては最期の一瞬であったという。
空海は渾身の力を込めて学んだ密教の真髄を、
ついに惠果と語り合うことを得る。
空海は渾身の力を込めて学んだ密教の真髄を、
ついに惠果と語り合うことを得る。
その対面は、惠果の心を鷲掴みにしたのだろう。
惠果にして、自分はこの空海と出会うために生まれてきたと言わしめたのだ。
こいつは密教の全てを持っている、と。
惠果にして、自分はこの空海と出会うために生まれてきたと言わしめたのだ。
こいつは密教の全てを持っている、と。
どうだ、こうして空海はついに惠果と密教の奥義を共に分つ立場に登り詰めた。
惠果は、唐にひとり「義明」を、そして日本にひとり、空海を、
それぞれ密教を継ぐ者として正式に指名するのだ。
惠果は、唐にひとり「義明」を、そして日本にひとり、空海を、
それぞれ密教を継ぐ者として正式に指名するのだ。
しかし義明はその後、若くして命を落としてしまう。
結果として中国の密教は没し、すべては空海の手中に納まっていった。
結果として中国の密教は没し、すべては空海の手中に納まっていった。
空海の説く「三教指帰(さんごうしいき)」は、
未だに誰も理解できていないとされる。
空海の考えた密教世界は、極めて精緻な宇宙論とされているが、
人智を超えた巨大さ故に、正しく理解されることなく現代に至っているという。
最澄は華厳経を改めて日本に持ち帰り、そのクオリティを高めていった。
比叡山の清新な空気は、修行という厳しさの中から生まれてくるものだろう。
道元が開いた永平寺は、最も修行の厳しい禅寺とされる。
永平寺の凛とした空気感も、比叡山のそれと同質のものだ。
道元は、修行は美しくなければならない、とした。
だから永平寺の修行僧は、あらゆる所作がとにかく美しい。
そこには、接待のすべての基本が凝縮されているという。
前にも述べたけれど、その美しさ故の清冽感は一度体験してみるべきだという。
永平寺の凛とした空気感も、比叡山のそれと同質のものだ。
道元は、修行は美しくなければならない、とした。
だから永平寺の修行僧は、あらゆる所作がとにかく美しい。
そこには、接待のすべての基本が凝縮されているという。
前にも述べたけれど、その美しさ故の清冽感は一度体験してみるべきだという。
一方、空海の開いた高野山には、どうしたことか清新さが全く感じられない。
そこに修行がないからだという。
密教は「即身成仏」を説く。
しかし、この身このまま仏という言葉は曲解されてしまった。
空海の説いた密教は、難しすぎたのだ。
空海は決して修行が不要だとは論じていないはずだ。
ところが、そこが正しく伝わらなかった故に、修行が疑わしくなってきてしまった。
ところが、そこが正しく伝わらなかった故に、修行が疑わしくなってきてしまった。
密教はそうした危険性を、その根本に孕んでいたのかもしれない。
インドで発祥した仏教は、密教にまで発展した後、
結局ヒンドゥー教に吸収されて消えてしまった。
インドで発祥した仏教は、密教にまで発展した後、
結局ヒンドゥー教に吸収されて消えてしまった。
日本にはヒンドゥー教が入ってこなかったから、
奇跡的に密教が残れたともいえそうだ。
奇跡的に密教が残れたともいえそうだ。
最澄が学んだ華厳経は、日本の仏教の基軸概念として育っていった。
一方で空海の持ち込んだ密教は、日本の仏教の中では異質な存在だろう。
その真髄が理解されていないという意味においては、
未開の華といえるのかもしれない。
幸いなことに、日本には密教が残っている。
後の世代に密教の秘密が明らかにされる可能性が残されている。
後の世代に密教の秘密が明らかにされる可能性が残されている。
空海の捉えた叡智に、人類は1,000年以上の時を経て未だ追いついていない。
密教の秘密が解き明かされる時、人類はそこにどんな叡智を発見するのだろう。」
密教の秘密が解き明かされる時、人類はそこにどんな叡智を発見するのだろう。」
宗教全般、仏教、密教をほとんどの人は理解しきれない。
ならばその宗教はダメ宗教なのである。
なぜなら、より多くの人を救済したいと本当に思うのなら、その信仰の教義はシンプルでなければならない。
ところが実際はどうだろう。
ほとんどすべての宗教が、こむづかしく、民衆の知識には無頓着である。
宗教世界は一部の頭のいい、実に複雑怪奇な言い回しの、実に遠まわしで婉曲的な教義で、うやうやしく、そしてえらそうにものを言う。
果たしてそんなものが真の宗教なのだろうか?
空海は最初から、間違った仏教を持ち帰る。
密教は仏教よりも道教・原始信仰に近く、マニ教やヒンズー教の影響下に(中国では)置かれていた宗教である。
日本の宗教家は修験も、原始信仰も、神道でさえも、仏教の下に置く。
けれど古代から、仏教が届いたその日から、もう民間では仏教は曲解と誤解と混交の渦の中に放り込まれ、まったく一度たりとも、仏陀の実は単純明快な哲学を表現しきれずにきた。
民間では、それらはみな、無学ゆえの駄洒落に犯され、所詮はおろかものの理解であるとされた。
さて、では宗教とはそんなに難しいものなのだろうか。
違う。
実に真の宗教の根源は単純明快である。
ではどうして宗教の教義はあのように難解なのか?
それは仏陀の意思を伝えようとするものが「馬鹿」だったからである。
難しいのが大好きな脳みそがマゾな奴らか、そうでなければ、貴族社会のおさだまりの権威主義に乗じた、詐欺師まがいの難解言語を使い倒して、金をせびろうとしたためである。
かんたんであるはずのものに、難解、困難を好むのはどの時代、どの世界においても最下等の俗物=権威主義者である。むしろ古代からの祖霊信仰こそが人類のあり方を真に説いている。
日本の仏教は、教え諭すべきもの自体が、実はあまりにも単純なその教義にとまどい、粉飾されてきた。
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html.
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U