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[転載]虚空蔵菩薩・国造・木屎


◎虚空蔵菩薩の民間に於ける解釈について
「下地に木粉を漆で練り混ぜた「木屎(こくそ)」を埋めることから語呂の関係からか漆職人(塗師とし)の祖神となっている」
「虚空蔵菩薩信仰の寺社をもつ村や信者には鰻を「お使い」として禁忌食物とされている。
http://homepage1.nifty.com/fumio-y/honoo0078.htm

「今日(11月13日)は「うるしの日」
昔からこの日は漆関係者の祭日となっていたが、日本漆工芸協会が1985(昭和60)年に制定したものだそうだ。
平安時代のこの日に、文徳天皇(もんとくてんのう。827-858)の第一皇子・惟喬(これたか)親王が、京都・嵐山の法輪寺に参詣した時に漆の製法を菩薩から伝授されて製法を完成し、日本国中に広めたとされる伝説からとか。(以下参考の「虚空蔵 法輪寺」参照)。漆工職人のあいだではこの菩醍をまつる虚空蔵講が営まれている。漆器の下地の木屎(コクソ)に由来を求めているが、この「コクソ」は虚空蔵が訛ったものだといわれており、」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/7c9c582da697bf5caa7e88e0db5adda8

・・・・・つまり、仏像や社寺を造るときに出る木屎の音と虚空蔵の音が似ているために、いつのまにか真言の星信仰の虚空蔵菩薩は民間では木造菩薩像の精(スピリット)として信仰されるようになったということであろう。
鰻を「お使い」とする・・・というのは「ウナギ」=「阿蘇のウナリ」、つまり阿蘇神社における古い生贄神事のことであるが、これを神の使いと解釈し、神饌を神に捧げて、結果自らも神のミケ=御毛=御饌=神への食事になってしまう「うなり」というニエの女性の姿が「神使い」であるとして入り込んだ、と考えられそうである。

ちなみに「麗しい」「潤む」「うろうると泣く」などの表現と漆には深いかかわりがありそうだ。「うるし」には美しく素晴らしいという意味があって、漆の光、テリが美しいことに起因した可能性が高いのだと言う。例えば潤島(漆島)氏という中世氏族や、潤島川(かつては漆間)という地名などは漆工芸の職人を大元にしているのかも知れない。

虚空蔵菩薩は、
「もともとインドの神である梵名アーカーシャ・ガルバ (आकाशगर्भ [aakaazagarbha])またはガガナ・ガンジャ(गगनगञ्ज [gaganagaJja])の密教における本地垂迹名。
三昧耶形は宝剣、如意宝珠。種子(種字)はタラーク (traaH)。
真言は「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」(oM vajraratna, oM traaH svaahaa)
記憶力増進を祈念する修法「虚空蔵求聞持法」で用いられる「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」(namaH aakaazagarbhaaya, oM arika mari muri svaahaa) などが知られる。
「虚空蔵」はアーカーシャ・ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E8%94%B5

日蓮宗では、
「明星天子の本地は虚空蔵菩薩なり」とされている。
 『生身の虚空蔵菩薩より大智恵を給ハりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思シ食シけん。明星の如クなる大宝珠を給ヒて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。』とある。
「虚空蔵菩薩は梵名(阿迦蘗婆)といい、アーカーシャは天空・虚空。ガルバは胞胎蔵を意味し、「虚空孕」と訳される。広大無辺の功徳を包蔵していることが虚空のようであることから虚空蔵菩薩といわれる。その具有する五智を表わした五大虚空蔵菩薩があり、(1)法界(解脱)虚空蔵、(2)金剛(福徳)虚空蔵、(3)宝光(能満)虚空蔵、(4)蓮華(施願)虚空蔵、(5)業用(無垢)虚空蔵があり、清澄寺は能満虚空蔵菩薩と伝わる。
 また虚空蔵菩薩の化身は「明星天子」といわれ、脇侍は「雨宝童子」といわれる。虚空蔵菩薩は、日・月・星・雨・雷等の自然現象に関係する。宗祖の星信仰(虚空蔵信仰)が自然現象の天変地異に注目し、のち『立正安国論』に取り上げられる「日月失度 時節返逆」の先駆的思想となっている。」

天台宗では、
 「明星天子の本地は虚空蔵菩薩と説かれ、天台宗においては『惟賢比丘記』に顕密内證義の文として「日吉三聖は三光天子の垂迹なる事」を説き、日吉山王の七社中最根本の社たる大宮、二宮、聖真子の三社神は三光天子の垂迹と説き、天台教義の中で三光天子は山王信仰と結びついている。千光山金剛宝院清澄寺は、宝亀2年(771)不思議法師が虚空蔵菩薩を刻み開創、桓武天皇の勅願所で慈覚大師が承和3年(836)中興したと伝わる。日蓮聖人は、清澄寺修行期に「虚空蔵求聞持法」を会得し、智恵を表す摩尼(如意)宝珠を感得し、一切経の勝劣を知った。「求聞持法」とは「聞持」を求める法であり、「聞持」とは、「憶持不忘」、つまり一旦聞いたことは永久に忘れないこと、記憶力の獲得である。その虚空蔵菩薩への報恩のために立教開宗の地を清澄山に決したとされる。」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/kenkyu1.html

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このように仏教教義は非常に難解である。
そこで教育がない時代には、民間は極力わかりやすくして解釈しようとする。
その平明教授の役目を負ったのは主として修験者だったと考えられるが、山間において最も修験者と出会う可能性が高いのは狩猟民、樵、杣・番匠、山師、鉱山師、縄文系山の民、船大工、船釘鍛冶師などである。そのため、民間信仰が山を降りて里人にも広がることとなる。彼等はみな、時節には山を降りて、里山と山を行き来する租庸調の外の人々である。これを秦氏職人などは「中間(ちゅうげん)」と呼んだ。これに民間神道の巫覡、巫女、シャーマン、呪術師、あるいは芸能の民、クグツ、海女、海士などの同じ埒外者が関わり、いよいよ民間信仰は混交してゆくこととなる。

このようにして中世後半までに、おおよその日本の民間信仰の基盤はできあがった。
その用語や意味のほとんどがダジャレである。

学問の世界では、民俗学以外は権威を重んじ、そのようなダジャレ民間信仰や職能は最近まで無視されてきたので、研究者には鼻先でせせら笑われてきた存在である。ゆえに昨今では在野研究家にとっても一般にとっても耳目に新しい事柄として受け入れられ始めている。

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およそ修験、山岳密教から派生するこのような民間信仰の対象には薬師如来、千手観音、虚空蔵菩薩、大日如来、如意輪観音、毘沙門天などなど枚挙にいとまがない。もともと日本に持ち込まれたときから、そこにはインドの神が神仏混交していたうえに、日本人の多神教趣味がどんどん国家神や太陽信仰、星信仰、はては大元にある縄文からの陰陽物による原始信仰までが、自由自在に取り込まれ、今ではもう取り返しのつかない「邪教」の方が人口に膾炙してしまっている場合が多い。
民衆には国家も教義も哲学も勝てないということである。

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だじゃれの中には古代の地方首長(君)たちが勝手に名乗っていたと思われる「国造(こくぞう)」まで存在する。国造は本来「くにのみやつこ」と呼ばれ、国家が地方豪族に地域社会の代表者として指名してきた。わかりやすく言えば国造や屯倉などは国家の直営店である。ところが屯倉や国造の目の届かない地域に、かなりの歴史ある豪族が覇を唱えている場合、国家は彼等に首長代理人つまりフランチャイズ店長をしぶしぶ是認してきたと考えられる。それが「こくぞう」である場合が例えば筑紫君など。

筑紫君は実は「くにのみやつこ」ではなく単なる「むらじ」である。筑紫三家連が正しい。それが国造を自認し、朝廷はそれを黙認していたと思われるのである。もともと筑紫君一族は筑前地域、博多周辺を本拠とした渡来海人氏族であろう。それが新しい渡来によって筑後川方面へ押し込まれていった。こうした動きは大陸も動きから来るもので、あたかも大陸の動乱ピストン作用が列島に持ち込まれた、いわばミニ版ピストン作用で当然の帰結である。磐井の乱で筑紫磐井が肥と豊を同士にしたのも筑後川河口という後進地帯に住まざるを得なかった事情から、筑後川流域と有明海周辺国家との共闘を模索した結果であろう。

話が拡大してしまった。
虚空蔵の音が敗北した国造一族の怨念として祭られた結果、これも虚空蔵の祭りに混交する場合がある。
最近のコメント投稿で熊本県荒尾市四山にある海綿積神社「こくんぞさん」という祭りがあることをご教授いただいた。「こくんぞ」は虚空蔵さんということだろうと思う。
こくぞは虚空蔵のことでもあるが、同時に星信仰、木地師や山の民、仏師、漆師などの職能民の「木屎」信仰などがないまぜになったと思われる。ここには石人を持つ四山円墳があって、どうやらこの被葬者も国造を名乗ったか、あるいは筑紫国造家の眷属、同盟者だった可能性がある。近くの三の宮のは三の宮前方後円墳があり、こっちは円墳の被葬者の子孫ではないだろうか?


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転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典


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