おほしこうち、おほしあま
これらの海人氏族の分析はたくさんある。
しかし一番重要な問題は「凡」の意味である。
凡は「おほし」と読ませる。
現代表記では「おおし」である。
凡の字義は多い。
角川新字源で調べると
土を盛りつき固めるのに使う板組みの形にかたどる(漢字)。
借りてすべての形にかたどる。
形声字の音符になると、かぜ。
1 すべて ア、みな イ、あわせて
2 およそ、おおよそ ア、あらまし しめくくっていう イ、おしなべて、たいてい
3 つね。通例
4 数
5 なみ。ありふれた。つまらない。
国 おそよ、まったく
さて?
河内は「かわち」で地名である。大阪淀川東岸の南部、北部を指す。
「かわちのあたい」かどうか不明。
海は「あま」で「うみ」ではない。
ちなみに天武天皇の幼名も大海人と書いて「おほしあま」である。
つまり「大」なら大きいで間違いない。
しかし凡には大きいと言う意味はない。
つまらない海の氏族?ということはあるまいからやはり大海原の首長という意味であろうか?
不明。
凡海氏については国東地域の姓名で「忍海 おしうみ」があるが、これはヤマトでは「おしみ」と読ませる。居住地は瀬戸内海と伊勢湾である。
『続日本紀』に「凡海宿祢麁鎌(あらかま)を陸奥に遣わして金を冶たしむ」とあって、この人は「大海宿祢」とも書かれているから「凡」はやはり「大」でよいだろう。
国東の先端、伊美から吉備にかけた瀬戸内海で特徴的な考古遺物に平形銅剣がある。ここだけしか出てこない剣である。この範囲はつまり弥生~古墳初期の吉備政権の範囲になる。
国東にはウナデという祖人がやってきたという伝承が記録されている。この「う」とは宇佐津彦の祖先かと思える。ここまでは別途分析する。
凡河内も大河内とも書かれる。やはり「大きい」でよかろう。
凡氏族はその地域の下に配置された軍事的対外交渉に従事したものという説もある。つまり各地の海部の統率者が用いた軍事集団。(吉田晶)
記紀双方に「尾張連等之祖、凡連の妹、目子郎女」とある。これは継体大王の妃になった尾張目子媛のことであるが、尾張氏が凡連(おほしのむらじ)の子孫だと書いている。当時の連は尾張氏のほうで、凡直であるならば伊勢湾の兵器庫の管理者である。しかし凡連についてはほかに記載もなく不明氏族。
おそらく伊勢湾から三河湾を管理した海部である尾張連氏を天武を援助した勲功でもって尾張海部の正当性を書いてあげるなかで、凡連という祖先が作られたのではなかろうか?
このように凡は海に関わる海部氏族の下にいた実務者=「人」ではないかと思われる。大きなは美称であろう。
次回国東から豊の海部