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先週気になった考古学ニュース三つ・日本人起源解明への大発見?

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沖縄で旧石器時代の貝器発見 国内初、日本人起源論迫る
2014年2月15日10時41分
 「日本最古の人骨が密集する沖縄地域のサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)で、約2万年前の旧石器時代の貝製道具(貝器)が国内で初めて見つかった。県立博物館・美術館が15日、発表した。同時に人骨も出土し、骨と道具がそろった国内最古の例となる。骨はあるのに文化遺物が出ないといわれた沖縄旧石器時代の謎を氷解させ、人骨と道具の両面から日本人起源論に迫る成果だ。
出土したのはマルスダレガイ科やクジャクガイなどの貝の破片39点。道具の証拠となる使用痕が確認できた。同じ地層から人間の歯と足の骨も出た。同じ層の木炭を測った放射性炭素年代をもとに計算すると2万~2万3千年前の値が出た。ツノガイの破片2点はビーズのように使ったとみられ、旧石器時代では国内初の貝製装飾品だという。
 
 サキタリ洞遺跡の南1・5キロの八重瀬町からは、国内で唯一全身骨格がそろう「港川人」が見つかっている」

このツノガイの貝輪や人骨に対応しているのが先に紹介しておいた富山県小竹貝塚の縄文前期のオオツタノハガイ貝輪と91体の人骨である。
http://www.asahi.com/articles/ASG1J4JPXG1JPUZB00G.html
 
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「縄文時代前期の貝塚としては日本海側最大級の小竹(おだけ)貝塚(富山市呉羽町北、呉羽昭和町)から発掘された人骨が少なくとも九十一体に上ることが分かった。富山県文化振興財団が十六日発表した。これまで国内で見つかった同時代の人骨の総計八十体を一カ所で上回り、国内最多。(豊田直也)
 
 頭上に直径約五センチの小さな土器を載せた状態で埋葬された人骨や土器の中に収められた子供の骨も見つかり、国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の坂上和弘研究主幹は「縄文前期の死生観を考える上で大変貴重な資料となる」と話す。
 DNA鑑定の結果、ロシアのバイカル湖周辺や北海道の縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に多い南方系の人が混在していた。

 死亡時の推定年齢は、十代後半から二十代が十五体と最多で、当時としては極めて高齢な六十歳以上の人骨もあった。縄文後期・晩期の推定平均身長一五八センチを大きく上回る一六五センチ以上の個体も見つかった。
 九州や伊豆諸島以南に生息する貝殻を使った腕輪や東北地方の土器のほか、長野、岐阜、新潟各県で産出する石や国内最古のヒスイを使った石器も発見され、他地域との交流があったことも判明した。
 シバイヌほどの大きさの犬の骨二十一体も出土し、人と犬の深い関わりを裏付けた。石器の先端が刺さったイルカのあばら骨も見つかっており、イルカ猟の貴重な資料となりそうだ」
http://blogs.yahoo.co.jp/neggy_0313/62780534.html?from=relatedCat
 
旧石器時代終末期のサキタリ洞穴から新石器縄文時代開始直後の富山湾。時間差は約4000年ちょっと。これまでの考古学では琉球の港川人は奄美の海を渡れなかったとされてきた。これは日本人起源に関わる大発見。ミッシングリンクがつながるか?
 
 


 

イスに座る縄文時代の土偶…青森の遺跡で出土
イスに腰かけたような姿をした類例のない縄文時代の土偶が、青森県西目屋村の「水上(2)遺跡」で出土したことがわかった。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140226-00000691-yom-soci
 
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イスに座る人物は古墳時代には埴輪でよく見かける。たいてい人物は巫女である。この縄文の土偶人物も巫女のような人だろう。どうも縄文と弥生の交流があったか?だからこういう様式がひとつの定型品として長く縄文世界で伝世されてきて弥生と出あうことで西日本・東国にも伝わった?もうエニシング・ゴーズですな、古代史は。
 


 
 
弥生時代の方形周溝墓など発掘 橋本市東家遺跡・東家館跡 和歌山
「和歌山県橋本市東家の東家遺跡・東家館跡から、弥生時代の方形周溝墓や古墳時代の竪穴住居跡などが同市教委と市遺跡調査会の発掘調査で見つかった。古代からの郷土史をたどる上で興味深い資料になりそうだ。3月2日午後1時半から現地説明会が行われる。
 
  発掘調査では、弥生時代中期(約2千年前)の方形周溝墓(一辺9~10メートル)が初めて確認され、溝から土器が出土した。古墳時代の竪穴住居跡も約20基見つかり、大規模な集落があったとみられるという。さらに、南北朝や室町時代の大規模な溝や建物跡なども出土した。
  同遺跡ではこれまでにも13~14世紀ごろの中国製磁器や、室町時代の幅約5メートル、深さ1・3メートルの大溝などが発掘されている。調査担当者は「弥生、古墳時代の昔から、人々はここで生活し、今の私たちにつながっている。そのことを感じてもらえれば」と話している。」
 
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橋本市は紀ノ川最奥部で吉野に隣接する。詳しく言えばこの遺跡は紀ノ川の北側、つまり葛城山山ろく地域にあることになる。ここが重要。駅前の住宅密集地である。丹生方面ではなく川を挟んだ葛城側。さらに重要なことはおとなりの駅があの隅田だということ。
古墳時代以前から紀ノ川沿線に海人族が入っていたという証拠で、古墳はそこから発展してヤマトに伝わるか?西九州~吉備~紀ノ川~ヤマト。
隅田八幡宮の画像鏡には紀氏が関わったと考えられる。百済王武寧の名前「志麻」と継体大王の名前「おおどおう」がある鏡。
 
 
 
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Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド! http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
デジブック作品集http://www.digibook.net/?entrycode=openAuthorDigiBookList&companyuuid=a09029c91b6135a0ab4fbd77295016a8&pageno=1
 
 

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