感応するとはなんでしょうか?
あるところに磁場があります。
そこは1万年経ったとしても気を感じさせます。
何気ない風景・・・
けれど、この道の先には
実はわたしの祖母の祖先の墓地があります。
初めて来た場所なのに
わたしはそれを感じました。
あ、ここをわたしは知っていると感じたのです。
あとから
この場所の背後に
母方の墓があることを知りました。
亡き岳父は、祖母の消息知れずだった弟の突然の望みでその墓地を探しおそらくこの近くを菩提寺の和尚とともにさ迷っています。
ようやく見つけた祖母の先祖代々の由緒ある墓地は、この道の背後にある斜面の奥にあり、今はこの道につながる新道になっているのです。
感応する、そこがスポットであります。
シャンピニオンでトマトのパスタを食べながら
ひしひしと感応するものがある。
ここへつれて来てくれた人は偶然にここにつれてきてくれただけですが、
おそらく何か往古のどこかでつながっているものがあるのだと思えます。
彼とは、たとえこれで縁は切れたとしても、必ずなにかのえにしがあったはずです。
彼は私と同じ高校を卒業した大先輩であります。それも偶然です。
なぜえにしを感じたかと言えば、
この風景を共有したからです。
感応する場に偶然ともに行った。それこそはえにしでしょう。
そしてこのしだれ桜のすぐそばにも、わたしの祖先である古庄という名の家があり、そこには三本の、樹齢数百年のしだれ桜がたっていると聞きました。
弥生月末にしだれ桜は満開になる。そのときわたしはまたひとりでここを再訪するつもりです。
これも偶然ですが、わたしはかつて十数年前、この土地を何度も探訪しています。
氏族を探していると、まことに偶然にも、無関係だと想っていた人々が、実ははるかな昔に、わたしの血脈の一部だったりすることに気づきます。
ヒントと成る感応は、それまでに何度も何度もわたしの肩を叩いていたのに、
今日、やっとそれに気づいたのです。
やり過ごす時間にも無駄はひとつもない、そう知りました。
ここは紫草の里。
なぜ数年前にここに惹かれたのかようやく理解できたのでした。
わたしが彼の会社に面接にいき、知り合えたのは、ある種の導きだったようです。
偶然と感応が謎をかってにといてくれることもあります。
彼とわたしのえにしがこれで途切れたとしても、また別の誰かが、また別の感応を与えてくれるときがくるはずです。出会いとはそういう偶然の積み重ねです。