◆遠野「不地震地」13ヶ所
伊能嘉矩(いのう・かのり 1867~1925 遠野横田村新屋敷出身・在住の人類学者)
「遠野史叢」第四篇「猿ヶ石川流域に於ける不地震地」1924に12ヶ所の記録がある。
すべて岩手県。
1)和賀郡谷内村大字田瀬大野 糠森(ぬかざわ)の神塚
2)上閉伊郡(かみ・へい・ぐん)宮守村大字宮守字塚沢 地森(じもり)
3)同郡小友村字山谷土名石鍋 行灯森(あんどんもり)及び字鍛冶ヶ沢土名(どめい?現地地名の意味か?) 時洞(ときんぼら)の行灯森
4)同郡鱒沢村大字上鱒沢字花輪
5)同郡綾織村大字綾織字山口土名大橋 経塚森
6)同郡附馬牛(つきもうし)村大字附馬牛字大出(おいで) 早池峰(はやちね)神社新宮境内のサンキヤウ?山峡?
7)同郡松崎村大字駒木字上野(かみの) 地震ヶ森
8)同郡土淵村大字土淵字元土淵
9)同郡土淵村大字栃内字北野 シャウヅカ(しょうづか)森→「遠野」113解説参照
10)同郡青笹村大字中沢瀬内の陣が森
11)同郡上郷村大字清水(すず)川 石神稲荷境内
12)同郡上郷村大字細越字岩崎 経塚
これに『遠野物語』113の一ヶ所を追加する。
13)同郡土淵村和野(わの) ジョウヅカ森
13)同郡土淵村和野(わの) ジョウヅカ森
一一三 和野にジョウヅカ森という所あり。象を埋めし場所なりといえり。ここだけには地震なしとて、近辺にては地震の折はジョウヅカ森へ遁(に)げよと昔より言い伝えたり。これは確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。これを掘れば祟(たたり)ありという。
○ジョウズカは定塚、庄塚または塩塚などとかきて諸国にあまたあり。これも境の神を祀りしところにて地獄のショウツカの奪衣婆(だつえば)の話などと関係あること『石神問答』に詳(つまびらか)にせり。また象坪などの象頭神とも関係あれば象の伝説は由(よし)なきにあらず、塚を森ということも東国の風なり。
これで13ヶ所である。
●不地震地とは?
不地震地(ふじしんち)とはここは地震が来ても揺れないので避難場所にせよという、遠野地元民の言い伝えのある場所である。
不地震地(ふじしんち)とはここは地震が来ても揺れないので避難場所にせよという、遠野地元民の言い伝えのある場所である。
●鹿島の金輪際・要石
この言葉の大元は茨城県の鹿島神宮の金輪際(こんりんざい=要石 かなめいし)に由来する。
この言葉の大元は茨城県の鹿島神宮の金輪際(こんりんざい=要石 かなめいし)に由来する。
鎌倉時代初期の『鹿島宮社列伝記』に鹿島神宮要石は滋賀県竹生島(ちくぶ・じま)とともに「金輪際 こんりんざい」であると記録があるので、だいたい鹿島宮タケミカヅチが地震かふせの神になっていったのもそのあたりであろう。
そもそもタケミカヅチは雷神であって地震には当初無関係な神格である。ところが茨城一帯は地震が多く、民間でそういう信仰が芽生え始めた。そして江戸時代前ほどに今度はタケミカヅチが具体的な動物を要石で押さえるという迷信が生まれた。
それが当初はウナギや龍であったものがなぜかナマズになる。いくつかのナマズが地震の前に暴れたなどの逸話が江戸などを舞台に記録されている。ウナギは今でも祟りがあるとして食べない地域も結構残っているが、ウナギをうまいものとして食べてしまったら、さほど祟りもないので、今度は代わりの生き物が必要になる。そこで地震の前に騒ぐとしてナマズに白羽の矢がたったようだ。
しかし鹿島神がナマズを押さえつけているという物言いは、江戸時代ではまだ全国区ではなく、関東一円に限られていた。その後も東日本では定着するが、西日本では特に関西では瓢箪=豊国廟の秀吉が押さえつけてくれるとなっていた。
鎌倉時代の「伊勢暦」には「地震蟲」とういう空想上の生き物が地下で蠢いて地震が起きるとなっている。
●金輪際という言葉の意味
「金輪際」という言葉は仏教用語から生まれている。意味は大地の最も行き着いた地の底ということなので、地震の神がいる場所にはふさわしかった。今は「金輪際酒はのまねえ」などと使われているので「絶対に」、「天地神明に誓って」という使い方である。
鹿島の要石も、当初は下にナマズが押さえられているという言い伝えではなかった。要石は地底まで深く根付いていて、鹿島の神と要石が地震から日本中を守っている、という伝承だけであった。ナマズが東日本に持ち込まれたのは江戸時代以後のことで、それは人の手による放流からである。
●ナマズ=地震の神は阿蘇国造神社が大元
ナマズと災害の関係で最古の記録は実は西日本から出てくる。『筑前国風土記』逸文に「山田村に鯰淵があって、日本が危ういときに集まり現れる」とあるので、これは阿蘇の鯰伝説の伝播からであるに相違ない。鹿島には鹿島の多くの神社建設で渡来人や阿蘇の宮司が入っている。阿蘇氏の配下にいた宮大工あたりからのナマズの広まりであろう。また『今昔物語集』には、はやくもウナギとナマズが災害などを予言する魚として登場する。
阿蘇国造神社境内の鯰宮のナマズ
そもそも鹿島や香取に要石が置かれた理由は、そこが地震が多かったからであるので、いくら不地震地と指定したところで無理な話である。平地の森の中がほとんどということは、揺れない場所というよりは、人家の倒壊などから身を守るにはそこがよいということである。つまり今で言う公園である。
東北大震災ではかつての上閉伊郡・・・今の大鎚町は多くの犠牲者、死者、建築物の流出があり、上の13ヶ所もろともに津波によって壊滅させられてしまった。
地震前の大槌町
地震直後の大槌町
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