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三角縁であることと神獣鏡はなんの因果関係もない

 
三角縁神獣鏡と言うとなにかと
 
「卑弥呼の鏡か?」
 
となる風潮だが、
 
こと神獣鏡に関する限り三角縁である必要は関係ない。
 
三角縁に倭国内でなっていくのは、
 
鏡を大きくしたからだけの理由である。
 
大きくなると金属化鉱物はひずみが生じる。鋳造中に割れてしまう。だから強度な縁をそえたに過ぎまい。
 
神獣のデザインは卑弥呼の鬼道にみあったデザインだ。
 
 
3世紀初頭から中旬にかけ、倭は三国の争いの前は、北魏とつきあっていたのは間違いなく、そこから神仙思想を取り込んでいた。
その神仙思想とは中国南部の呉越の思想である。だから北朝復活を目指す魏の思想ではない。
ところが三国志最後に魏が勝ち、北魏を滅ぼす。
しかたなく卑弥呼たちは魏に朝貢したのである。
 
だが卑弥呼が欲した「好物」である神仙思想の神獣鏡は魏の客観思想には不向きで、どうしても滅ぼした呉から古い漢鏡を取寄せねばならなかった。そこで、足りない分は呉人工人を俘囚にして倭国へ送り込み、好みに合った神獣模様を作らせたのであろう。すると工人によってデザインに微妙な違いが生じたはずである。陳氏と張氏での違いに、倭国の好みが入り込み、中国にはない神獣鏡ができあがる。
 
 
三角縁神獣鏡というくくりの言葉は今後必要ないと言える。それは誤解を招くだけである。重要なのは三角の縁ではなく、神獣という神仙思想の道教的デザインだけなのだ。これをなるほどと思えないようなやからはもう古代史から去れといわねば成らない。つまり歴史をやるには基礎学力が足りないのだ。
 
 
理屈がわからない、そういう人は学問すべきでない人。
 
 

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