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考古学の限界

 
ゼネラル・セオリーにせよ、ミドルレンジ・セオリーにせよ、考古遺物の解釈にはどうしても限界が伴う。なぜならある石斧、あるハンドアックス、ある土器を分析し、それがどう使われたの研究を、実際にそれを使ったわけでもない学者が想像しなければならないからだ。
 
すべては想像でしかなく、見てきたわけでもない。
 
つまり狩猟も調理も祭祀も、やったこともない科学者が、ただこねくり回して「こうだったのだろう」とするしか仕方がないのである。未経験者がすべてを決めている。こんなばかな学問はない。
 
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 本当にそれでいいの、使い方。刃先はちゃんと研いだの?切り口はどうやって直線にするの?
 
 
 
 
それは遺跡でもそうであり、銅鐸でも古墳でもそうなのだ。ゆえにすべての学説は仮説でしかない。
 
 
狩猟中に相棒のイヌにとれたてのえさをやる。イヌは喜んで肉を食い、骨をちらかす。そして骨をのどにつめてその場で死んだ。放置される。それを発掘した考古学者は「イヌも食った」と考えた。そんなことで考古学はできあがる。歴史学もまったく同じである。どう食ったか、焼いたのか、煮たのか、生だったかなどは無言である。
 
 
まして『日本書記』などは、8世紀の政治家が何百年も前の話を想像して書いてある。それを何百年もあとの文献史学者がまた想像して解釈する。
 
 
いくら科学だと息巻いたところで。所詮歴史は科学足りえない。
科学だといいたいのなら、まずタイムマシンを作ってから言え、である。
 
 
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 わかりやすくしてあるけれど、本当にこうだったの?見てきたの?
 責任とれますか?違っていたときは。
 
 
 
 
嘘などいくらでも創り出せる。
誰も発掘の現場を見ていない。
せめて発掘を衆人環視のオープンスタンスにしたらどうだろう?
 
 
 
 
なにしろ縄文石器を先土器石器と叫んでも、考古学者は見極められなかった人びとなのである。人間なんてそういうあいまいな生き物である。だからこそ、いよいよ審美眼とミドルレンジ以上のファジーレンジ、ビッグレンジの越境考古学の目が必要になる。そして自説を疑う柔軟さだ。朝三暮四は政治には禁物だが、学問には常にそれが礼賛されねばならないだろう。
 
 
 
 
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