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[転載]ケルズの書 ケルトの死生観と縄文死生観

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ユーラシアの美術交流 ケルトから視る

鶴岡真弓・立命館大学文学部教授
図1 『ケルズの書』
頭文字Tの怪獣
 九世紀のアイルランドの『ケルズの書』を書いた修道士がつくったTという文字に合体している動物は、その人たちが動物というのはこうであると「観念した」形象でありましょう。九世紀の立派なキリスト教の時代になっても、こういうものを描き続けている。キリスト教では龍みたいなものやヘビみたいなものはご法度ですから、普通だったら描けない。だけどこれをやはり描いてしまう。『ケルズの書』は立派な修道士の記念として、典礼用の写本として、ケルズの修道院に九世紀のときにあったわけです。
 
 Tというのは、キリストが逮捕されるときの非常に重要な頭文字ですが、それを描かなければならないと考えているその人の頭の中には、こういう動物をイメージする文化的な観念が強烈にあった。
 さて、ケルト美術は、金工、石、羊皮紙の三つのマテリアル(素材)の中でパラレルに展開しました。キリスト教時代、五世紀から九世紀の最盛期、渦巻など、キリスト教が入ってくる以前のケルト的な文様美術が表現されました。その一番の輝きとして、さっきから出ている『ケルズの書』というのが、八〇〇年ごろにケルズの修道院で完成しました。
 
 『ケルズの書』はダブリン大学のトリニティ・カレッジ、『ガリバー旅行記』を書いたジョナサン・スイフトやオスカー・ワイルドが卒業した大学のトリニティカレッジにあります。三四〇葉、六八〇ページぐらい現存していますが、その中にさきほどのケルト文様と言われるものがたくさん描かれています。
 
 その文様のディテールを今ごらんいただきます。動物と文字が組み合わされたり、鳥の文様などたくさんの動物系文様が表されました。動物の足であるとか、あるいはくねらせた体躯であるとか、くちばしだとか、アーモンド型の目であるとか――関節のところを強調した渦巻、非常にデモーニッシュな湾曲の体躯、写実を超えた鋭い湾曲のくちばし、ドロップ型の目――そういうものがキリスト教の図像の影に隠れて、異教時代のケルティックなものがディテールにでてきます。そういうものは全部歴史的に異教時代のケルト美術にありました。
 
イメージ 3
 
 
 動物だけではなくて、人間が組紐化しているという、非常に奇妙な、キッチュな、ちょっと笑ってしまうような、そういうものもあります。

 キリスト教の信者たちにとっては非常に重要なキリスト像のページのアーチのところにも、キリスト教が禁じた怪獣、ヘビ様やドラゴン様の動物が描かれています。描かれたのは八〇〇年で、キリスト教が入ってきて四〇〇年もたったときです。

 これは一体何なのか。動物文様や動物イメージに対する非常に強い何かがあるはずだということなんです。
 ではもう一度ケルト文様の構造を確認してみましょう。図をごらんください。ケルトの文様に対する意識、つまりケルトは文様を描くことによって世界像を描いている、語っているということがわかると思います。
 
図3 ケルティック・スパイラル 
イメージ 1

 
図2 ケルティック・インターレース
イメージ 2

 
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai02/tz0204.html
 
 
 
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最近の筆者は「中国の魏志が倭人と呼んだ弥生時代日本人は、実は縄文時代から列島に存在した南方系縄文人=海人族であった」をいかに証明するかに集中している。
そのために重要なヒントになるのが古墳時代に直弧文へと変遷した弧文・弧帯文という絵柄・文様なのである。
その岡山の盾築墳丘墓や纏向遺跡から出た文様は、日本のオリジナルデザインであると、これまで考えてきた。
しかし立命館大学の鶴岡真弓女史は、ひとり敢然としてそれをケルトの伝統文様との共通性で語るのだ。
 
以前、ホラガイを模造した縄文後期の貝殻土器を紹介した。あ胴体には隆帯文という帯のような、組みひものような隆起がからみあう意匠が彫ってある。
 
イメージ 5
 
友人の蕨手氏はこれを一目見たとき「直弧文ではないのか?」と直感し、筆者にそう連絡してきた。
 
今はあれは直弧文というよりも弧帯文であると考えている。
直弧文は弧文・弧帯文を分断する×マークが大きく描かれるからだ。
 
この縄文後期のツボもよく似た文様が刻まれていた。
イメージ 6
 
われわれがよく知っている野生的な縄文土器からは一躍洗練された作品で、現代でも一級の骨董品だといっても気付かないほどの変身である。
 
イメージ 7
纒向出土弧文円板
 
弧文も弧帯文も直弧文も共通するのはみなそれが死と生の渦を巻くような、文学的に言うならば、めくるめく、からみあい、切れ目なき永遠の生を表現しているといことだ。
 
それがケルト人が9世紀に福音書書写した『ケルズの書』に描かれている。欧州に長く留学してきた鶴岡女史はそう見たのである。慧眼である。このブログで筆者も同じことを感じ書いてきたつもりだ。
 
さて、もう一度ケルズの書の絵柄を見てもらおう。
 
イメージ 4
 
 全体像はスキタイやインドヒンドゥの「ウロボロスの蛇」に似て、鳥の様であり、龍の様であり、ドラゴンのようでもある。鱗部分には連環の象徴であるくさりが描かれ、首がぐるりとなって顔がある。
 
まずこの絵柄がキリストのT字十字架=アンクをモチーフにして描かれたのならば、当然キリストの復活がメインテーマになったはずで、中心にはちゃんと生と死=再生を象徴する赤と青の帯文の曲線が描かれている。
 
赤と青は生と死であり、動脈と静脈であり、医学の象徴である。
欧州からやってきた床屋の回転サインである赤と青がめくるめく看板も、床屋=医者だった時代の治癒と再生の象徴である。
 
そして目がいくつかあるが、その形状は魂の形状で、誕生を表す。
Tのぐるりと曲がった放物線は渦巻いて、胴体は生命の連環を示す鎖でつながっている、まるでDNAのようである。象の鼻のように長いのはこれが男根を表すからだ。その先っぽから目のある魂が生まれ出ている。まるでかえる文縄文土器を横から平面にしたのと同じ構図である。
 
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もし弧文や直弧文の源流が東北の縄文時代後期にすでにあったとするならばだが、それを東北へ持ち込んだのがまず南海の倭人・・・つまり貝の道を開拓中の南九州海人族であることは間違いない。貝の道はやがてコメの道にもなった。縄文インディカ米は青森まで一気に北上したのである。これらはみな舟だからこそ早く移動できた。海洋民族が東北の縄文世界にまでものを運んだのである。
 
それが鶴岡真弓が言うように、ケルトから来た海洋民族という源流をもっていたとしたら、地球的移動になってしまう。ここは今のところは世界的死生観の一致として置いておくしか仕方がない。
 
しかし十分にありえる話であるし、ずいぶん、古代史が楽しく、スケールのでっかいものになることは間違いない。
 
 
縄文人こそが日本人の源流である。それは今の日本人の遺伝子の割合で南方系が少ないとか、縄文的要素が渡来系に飲み込まれてとかいう問題ではない。生物的形質などではなく、縄文的観念すべてが継続されたという驚異的オーパーツであることなのだ。
 
その後の倭人もまた海人族であることは間違いがない。するとそれが作った国家もまた倭人の国家であり。海人系南方縄文人が王だったことになる。もちろんそういう国家が内陸部にあるはずがなくなってしまう。やまたいなんとかいう国もそうなのだ。
 
イメージ 8
 
 

転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典


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