石川幹人「超常現象」を本気で科学する (新潮新書)
以下は著書の「はじめに」より抜粋
「本書は「幽霊はいる」とか「超能力は存在する」などと超常現象を肯定するためのものでもなければ、その逆でもありません。そうではなく、超常現象について、今現在、「実際に何がどこまで分かっているか」、「何がどのように謎なのか」を皆さんに紹介しながら、「いかに未解明の現象に取り組んでいくべきか」という「科学的思考」を身につけていただくことを第一にしたいと思っています。
本書は、あくまで本気の科学の本です。
こうした傾向は、大学で学生たちをアンケート調査した結果からも裏付けられます。
「超常現象について肯定的か否定的か」を問うと、否定的な学生が約4割、肯定的な学生も約4割と勢力は拮抗しているのですが、つづけて「一般多数の意見はどうだと推測するか」と問うと、なんと否定が約7割に上昇し、肯定は約1割に減少します。つまり、実態以上に周囲が超常現象に否定的だと多くの人が信じ込んでいるのです。
では、この相互理解の壁になっているのは何でしょうか。幽霊の存在について考えるとき、じつは肯定派も否定派も、現実はひとつなんだから幽霊はいるかいないかのどちらかだ、ということを前提にしがちです。しかし、そうするとどちらかは正しく、他方は誤っているということになりますから、白黒つけようと双方が対立の深みにはまるのです。
そこで私は、「幽霊はいるのか」ではなく、「幽霊は役に立つのか」という視点を持つことを提唱しています。意外に思われるかもしれませんが、この「役に立つのか」という見方をすると、「ほんの少ししか役に立たない」、「私にとってはやや価値がある」、「こんな場合には思いのほか意義がある」などと、中間的な主張が可能で、そこから新たな理解が広がるのではないかと私は考えています。」
「じつは、ある種の明るい幽霊が、かつては社会的存在だったことがあります。原始的コミュニティにおける精霊の類で、そのなごりは現代にもあります。
米国の心理学者ジェシー・ベリングは、子どもたちにひとりでゲームをさせるときに、ルール破りがどれだけ発生するかという画期的な実験を数年前に行っています。ボールを投げて的に当てるという単純なゲームで、ルールは「床に引かれた線より的に近づいてはいけない」「ボールは後ろ向きに肩越しに投げる」「投げるときは利き腕とは反対の手を使う」の三つだけです。しかし、子どもたちは誰も見ていないところではこうしたルールをしばしば破って高得点を上げます。いわゆるズルを犯すのです。
ところがこの実験では、部屋の隅に姿の見えない「精霊アリス」がいると子どもたちに事前に言っておくと、ズルが大幅に減るということが示されたのです。精霊のような未知の存在が、倫理的行動を促したのです。
コミュニティのメンバーが精霊の存在を実感することで、現に倫理的行動がとられ、メンバー同士の協力活動が良好に行えるのであれば、精霊はそのコミュニティの社会的存在となっていると言ってよいでしょう。文明以前の原始的コミュニティではとくに、そうした精霊の存在がとても有効に働いていたと推測できます。
ひと昔前までの日本でよく口にされた「お天道さま」、また、霊や精霊などからの通信を受けるとされるイタコやユタなども、そうした伝統のなごりだと考えられます。それに宗教的教義における「神」も、ときには同様の役割を担っていたのでしょう。
ただ、今日の文明社会では、社会的存在としての精霊の位置づけは失われています。倫理的な行動が法制度や他の文化慣習によって守られるなかで、精霊の存在意義は薄れたのです。」
超常現象を最も利用できた時代はもちろん古代である。
そしてそれを見せることができる人間は、絶対的に「王」あるいはシャーマンとして地位を確立できた。
そしてそれを見せることができる人間は、絶対的に「王」あるいはシャーマンとして地位を確立できた。
言っておくべきことは、超常現象を見せることのできるシャーマン王本人は、実は科学者でもあっただろうということではなかろうかと筆者は考える。
見る側にはその奇怪な、非日常的な現象がすべて異常、幻視的、夢のような・・・つまり主観に即座に訴えかけてくるバーチャルな異界のなりわいであったとしても、それを見せる側は常に客観的になぜそれが起こるかを知っている可能性がある。ちょうど現代のマジックがそうであるように。
理屈があってまやかしは作り出せる。それがマジックである。
シャーマニズムにもそういう部分は多々あったはずだ。
しかし、そうではない現象、本人すらなぜそうなるのかがわからない超常現象もあったことだろう。それが淘汰されずに今に残ってきたのが、超常現象であるはずだ。この著者は、それは今はまだわかっていないだけだ。いずれは解明されると自信を持って言っている。それでこそ科学者魂である。
そうするとだます側にもやる気が出るだろう。ただ、だます側も解明する科学者も、同様にどうしてもわからない謎が、自然界にはかなり存在する。
古代の人びとは実は、だまされることを望んでいたのだろう。
うすうすはわかっていても、憑依するため、死ぬほど遊びのない緊張した生死のすぐそばにあった時代にそれは絶対不可欠だった。言いかえれば、それは死への恐怖、神への畏怖、なにかわからない脅威への、逃げや転化や、願いですらあったわけである。
うすうすはわかっていても、憑依するため、死ぬほど遊びのない緊張した生死のすぐそばにあった時代にそれは絶対不可欠だった。言いかえれば、それは死への恐怖、神への畏怖、なにかわからない脅威への、逃げや転化や、願いですらあったわけである。
しかし現代は科学がある。客観的視線で人はすべてを見るようになった。そうした中で、まだすごいと思わせるものこそが本物なのだろう。大宗教も最初はこけおどしのような見世物的手品から始まったものである。キリストが見せたという奇跡も、聖書はそう書くけれど、冬至としては驚天動地だったかも知れないが、今だったらどう酷評されているかわかりはしない。
だが、超常現象は、やっぱりあったほうが生きてゆく元気になってくれる。
かくいう筆者もかつて何人かで同時に、グリーンに光り輝く何かを、近くの山の中で夜中に見ている。
もう一度みたい。あんなに近くで。すぐ頭の上だったんだ。
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