「懐石の献立にみる椀物も、鍋料理がはじまりです。つまり、鍋は日本料理のルーツです。私は数十年前、父(故・敏雄)とともに全国各地の郷土料理を食べ歩いて地方色豊かな鍋を味わい、「生きること」と直結した鍋の歴史をかいま見ることができました。 日本には各地に地方色豊かな山のなべ、海のなべがあります。きりたんぽは、米がとれた秋田でマタギの保存携行食糧「たんぽ」を切って鍋にいれたことがはじまりといわれています。また「しょっつる鍋」は魚醤で味をつける鍋ですが、もともとは大きな貝を鍋に仕立てたところから「しょっつる貝焼き(かやき)」と呼ばれていました。この貝焼きは小鍋の先駆的存在といえるでしょう。こうした郷土の鍋は交通網が発達してくる時代より前に育まれてきたものです。さて、歴史をひもとき、鍋について考えてみましょう。.
なべは「肴瓮(なへ)」の意味だといわれています。肴はさかな、瓮は土焼きの「かめ」のことです。土焼きの器でものを煮たところから、「肴瓮」という言葉が生まれ、「堝」の字が当てられるようになりました。時代が下ると、鉄器の普及によって金偏になり「鍋」という字が生まれたといいます。『和名抄』(日本初の漢和辞典 930年頃)では土篇の「堝」、金篇の「鍋」が書き分けられています。囲炉裏端で、薪を焚きながらつるのついた鍋を煮炊きした時代は長く、鍋そのものが一つの世帯を意味していたと思われます。鍋前で火床、調味、煮具合などを司る主婦はその座を揺るぎないものとし、「鍋座」「鍋代(なべしろ)」「女座」などのことばが生まれました。いまの「鍋奉行」と同じ意味のことばです。」
http://www.kibun.co.jp/knowledge/nabe/history/rekishi/
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鍋物はあらゆる料理の中で、最も古く、最も簡単で、最も体があたたまる料理だと言えよう。そのルーツは、縄文鍋であると思われる。
縄文土器の多くが、深くえぐれた土器で、底辺が尖ったもの。先端を土に突き立てて、周囲に火をくべれば、もう鍋物の支度ができあがる。海辺なら土器には海水を張る。山辺なら水に岩塩でいい。そこへ季節の具材を放り込むだけだ。魚介や獣肉で出汁が出る。
なぜ鍋だったのか?
それは地球環境が寒冷期から温暖期への変遷の最中だったからだ。そういう時期だからこそ、野生動物も海の生物も、日本列島の中心部に集まり始めていた。だからヒトも南下、北上し列島の中央を目指したのである。ヨーロッパの民族大移動もまったく同じだ。こっとも北欧には異民族の侵入が起きての大移動。だが異民族の移動そのものの始まりも気象の変化によっていたわけだ。いきとしいけるもの、すべてが地球のダイナミズムの前にはなすすべがなかった。これが信仰のきっかけでもある。そしてその地球のダイナミズムを作り出すのは、宇宙の「風」なのである。それを「神」と人々は「感じた」。
今の季節なら材料は山ほどある。
きのこも出汁を出す。
動物の骨でも素晴らしい出汁がとれる。
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太古のほうが食材も野趣に富んで濃い味になったことだろう。栄養価も格段に高かったはずだ。春夏秋冬、鍋があったからこそ、ぼくたち人類の祖先も生きながらえ、ぼくたちを生み出す文明も生まれたのだ。
それだけではない、往古の燃料は木材や炭、それで熱した石などだ。炭火は煮る、焼く、炊く、蒸す、自由自在である。記紀イザナギ・イザナミ黄泉神話に「天のひとつ火」と出てくる。たったひとつの炉で、太古の人たちはさまざまな煮炊きをした。そして、毎日新しい炉、新しい食器、新しい箸で、食事した。贅沢な話だ。しかもそうすれば道具を洗う必要もない。本当の潔癖とはこういうことかも知れない。
再利用は、当時、むしろ貧乏な発想で、なかったのだ。
ぼくたちは贅沢とはなにかを実は間違えている、いやまったく経験していないのではないだろうか?
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豆腐もない、写真のようなうまい野菜もない、醤油もない。
そんな時代には、「美味」の感性は現代とはまったく違っていて、きっと素材そのものの「味」を堪能するほかはなく、かえって素材の素晴らしさ、自然の作り出す味覚の偉大さがひしひしと感じられただろう。
そして十分に寒暖を防ぐほどの住居もなく、外にいるのと変わらないチープな家屋の囲炉裏端でさえも、今日のひとしの幸を感じさせ、心の奥底までほっこりとさせたことだろう。
冬が近づくと、なおのこと、ぬくもりが欲しくなる。それはあらゆる人類に共通の欲求だったはず。ぼくらは恵まれすぎて、大切なものを多く失った。しかし鯛お子の人たちは、ほんのきれはしであろうと絶対に捨てたりしなかっただろう。ありがたみがまったく違う。ぼくたちはその「ありがたみ」の、果たして一寸さえ今、感じ取れているだろうか?
土器を考え出した最初の人類にせめて「ありがとう」と言いたい。
太古からまったく変わらないこと・・・。
食べるために人は生きる。
それを忘れてはいけない気がする。
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