Quantcast
Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

アボリジニのデザイン2/真珠貝と日本人交流とブーメランのように

$
0
0
 
無文字社会では、音声と図像がコミュニケーションの道具である。特に相手との空間・時間の隔たりがある場合には図像が唯一の「手紙」になる。だからデザイン・幾何模様・テキスタイルは文字なのであり言葉なのであって、文字と言語は通信記号なのである。その図像がしだいに定型化し、簡略化されていって文字が登場するのが世界的な流れである。ということは幾何学模様や壁画や土器模様などには、意味があり、場合によってはそのまま意思表示の文章になっていることも十分ありえることになる。アボリジニ自身に言わせれば図像のほうが秘密が守れるのだと言う。つまりそれは暗号やスラングや符牒だというわけである。仲間同士、種族間だけに理解できる文字。これを日本では忍者文字とか神代文字などといわれてきた。あるいはペテログリフ(岩石文字)などともいう。アボリジニにとって壁画や意匠のすべてが彼らの言葉なのであり、芸術が持つ表現もまた実は作家の言葉なのである。
 
イメージ 8
 
イメージ 1
 
 
アボリジニは真珠貝を採集し、加工し、内陸部の種族との交易に使ってきた。
これらは貨幣にも利用された。ただし現代経済の兌換紙幣とは若干使い方は違う。
原始社会や未開社会では、それらがときとして巨大で、容易に動かせないような岩石でできていたりするが、あれと同じで、そのものを運び、交換するというハードルを越えなければ使えない、使わせてもらえないのである。
似たような交換貿易はミクロネシアなどの海洋民族の間にもあることを以前書いた。
ある種の苦痛の超越としてのはるかな航海をへて持ち込まれたからこそ価値が生まれ、島人の間だけに流通する、価値を共有できる貨幣システムである。
 
中国人が長い間愛した琉球のタカラガイや、弥生人が南方からわざわざ隼人の琉球交易で取り寄せたゴホウラ貝の貝輪などもこれに相当していたのだろう。
 
真珠貝は明治以後の日本人もオーストラリアまで採集に行っていたことは意外に知られていない。当時のオーストラリアは白豪主義はげしく、容易に他国人は入国できなかった時代であるが、日本人だけは許可されたのだ。おそらく国境観念まえの、長い海の交流が実はあったのではなかろうか?
 
イメージ 2
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
イメージ 4
海藻だろうか?
どことなくアメリカインディアンのバンダナを思い出す。
アボリジニは縄文の日本にはブーメランを、アメリカ大陸には壁画文化を持ち込んだのかも知れない。
 
そのアボリジニ独特の狩猟道具であるブーメランは、投げると円弧を描いて手元に戻ってくる不思議な道具である。太古から彼らはこの道具を使ってきた。なぜ世界でアボリジニだけが戻ってくる武器を考案できたのか?
その不思議を解く鍵は、やはり図像に多く採用されてきた再生の渦巻きにあるのではないか?
生命を奪う道具にこめた狩人たちの獲物への魂の鎮魂を筆者は見る。
 
イメージ 5
 
 
イメージ 6
身近な食べ物がそのまま絵柄に。
有名な芋虫「ウィッチェリーグラブ」と「蜜アリ」
狩猟ができなかったときの生命力の源である。
 
 
 
日本にもこういう図像でコミュニケーションする時代・・・つまり文字なき時代が続いた。弥生時代から古墳時代でも日本人はまだ文字を持たなかったとこれまで学者は決め付けてきた。学校の生徒や学生もそれを授業で植えつけられ、それが常識化した。けれどデザインは「もうひとつの文字」なのだ。そして文字が発明されてからこれまでの期間よりも、図像文字の時代の方がはるかに長く続いたのである。
 
 
 
 
初公開・アボリジニの砂漠狩猟用靴 カダッチ・シューズ
イメージ 9
雪国のがんじきや忍者の水上移動用”みずぐも”に似ている。
 
 
 
 
それは縄文時代が1万年あって、弥生時代がわずかに数百年しかないことと同じである。つまり人類はそうした新しい便利がない時代、世界の中を生きてきたのである。生きていけるのだ。われわれが便利だと思い込んでいる多くの発明品など、実はなくても人類はその短い命をつないでこれた。いや、つなぐしかなかった。
ブリザードの中で凍えながらわれわれはひたすら楽できるための発明と工夫を繰り返してきた。そしてあるとき地球が一気に温暖になり、氷が溶けて海になり、情報は猛スピードで地球上をかけまぐるようになり、科学が生まれ、巨大な鉄の舟と鉄の車と、もうもうと煙をだし地球を汚しつくす重工業を産み出すところまで行き着いてしまった。そこで古代からそこにいた神は思った。「そろそろ潮時だな」と。ゲームオーバー。
ときどきそう思うときがある。
神の手の中にひょっとするとリモコンがあり、ボタンを押すと一瞬で世界は終るのかもしれない。暗転である。
 
そのとき、アボリジニたちが、世界中の民があこがれ続けてきた永遠への造形の生み出しもまた終ってしまうのだろうか?心象の中にしか存在しなかった永遠は、そこで本当に終るのだろうか?
 
 
 あれが見つかった
   
      何が?
 
――永遠 太陽と共に去った海のことさ
アルチュ-ル・ランボー
 
 
ぼくはとっくに見つけていたさ、渦巻きの中に。ぼくが生まれる前から、それはぼくの目の前に転がっていたんだ。かあちゃんの腹から飛び出したとき、ぼくたちはもうそれを見ていた。永遠とは死の積み重ねさ。忘れていただけなんだよ。
                   Kawakatu
 
 
イメージ 10
 
 
 
イメージ 7
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
 画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
 民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
 あさきゆめみし ゑひもせすhttp://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html/
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>