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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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古田武彦九州年号論を無視する史学界の流れが変わり始めたこと/次回予告

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古田が言うとおり、『隋書』俀国伝には、その国の代表的自然として阿蘇山があってときおり火を噴くことしか書いていない。また『魏志』倭人伝には、倭人の風習は明白に海人族のものであり、まったく西日本の九州周辺しか伝えていない。これだけでもまずもって九州王朝論は出てきて当然だった。しかるに大和学者たちは一貫して記紀史観、皇国史観に乗っ取って、これを無視し、さわろうともしてこなかった。ここは古田のほうが方法論としても正しいのである。戦後、敗戦によって日本の史学・国学の伝統が壊れたとき、大和学派こそがこれをもう一度再検討し、疑ってみるいいチャンスだったのに、左傾化する日本文化の渦の中で、史学だけがまずもってあきれるほどの頭の固さで、まったく換わろうとしなかったように見えるのである。つまり津田左右吉のマルクス主義歴史学でさえも、九州に王朝があったはずだという「皮をむくことができなかった」。それほど頑強で頑迷な大和の歴史学者の脳髄だったということになるだろう。あきれてしまう。

九州年号だけでは、どうにも齟齬が多い。
証拠品としては弱いのである。
だがその一貫性であるところの「仏教色の強いネーミング」(いき一郎)というのはなかなか気になる。
そして、白雉があるのに大化がない。
聖徳も朱雀もある。白鳳という、近畿にはない年号がある。
『続日本紀』には神亀元年10月条に、「白鳳以来、朱雀以前」という記述がちゃんとあるのだ。

さて、昨今、古田の九州王朝説を認めざるを得ないとする関東文献史学権威や中国史学者からの歩み寄りが目立ってき始めた。これまでの「無視」から「検討すべき命題」へと、流れが変わり始めている。中国史学が変わると、なぜか大和学派も動き始めるという、まあ、はなはだ意味不明の動き方をするのが奈良県史学の特徴で、つまり中国に頭が上がらない内弁慶体質なのだろうが、三角縁神獣鏡論などもまったく同じで、中国にそういう鏡はなく、呉人の渡来しての製作であると言われると、ぐずぐずと神獣鏡卑弥呼の魏鏡説が尻すぼみになってしまうのと、大変よく似ている。
 
次回、そうした新しい流れを紹介して、今後の古田史学の修正すべき点を見つめてみよう。
亡くなった先学・藤田友治の助言とともに。
 
ただし、
九州王朝一元論では限界があると再び言っておく。
古田の正しい部分は認めたうえで、正しくない部分は微調整されてもらいたい、というのが筆者の願いである。
 
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