榧(かや)
「東北地方に見られる高木で、その分布は尾久島に至ります。イチイ科カヤ属に分類され、雌雄異株となります。大木も見られ、本州の日本海側で雪が非常に多く降る地域には、チャボガヤが見られます。カヤの大木に比較すると低木になりますが、種子を炒ったりして食用にされています。カヤは、新しく生えてきた枝の先にある葉腋(ようえき)に雌花が二つずつ現れ、このうち片方が発達して、果実へと生長して行きます。年を越えて秋頃には成熟に至りますので、その際、仮種皮と言われる果皮部が裂けます。その内部には、仁が内種皮に覆われて存在しています。内種皮は、紫赤色を帯びていて、食用とされるのは、胚乳(はいにゅう)と言われる部分になります。胚乳には脂肪が豊富に含有されており、特有の風味があります。かつては、カヤの実を救荒食品として使われていた経緯が有り、更に漢方の領域では、天日に干して乾燥させたものを駆除薬として十二指腸虫に対して用いられています。また、この種子を榧子(ひじつ)と言います。尚、カヤから抽出された油は、天ぷら油として上質であるとされています。通常、カヤの実は、煎って食用にされています。」
http://garop.jp/c3/tane/kayanomi.htm
http://garop.jp/c3/tane/kayanomi.htm
「榧(かや)はかや属ーいちい科の植物で日本の宮城県より南の温かい地方や四国、九州の山地に自生しているか、神社や寺の境内、庭先などにも植えられる常緑大木です。
榧の実は近畿地方や他の地方では「バイ」と呼ばれています。
榧の名前の由来として榧の木を昔は「加倍(かへ)」と呼んでいたが榧の枝、葉を燻すと防虫効果、 特に蚊を追い払う効果があり、蚊を追い払う言葉を蚊遣り(かやり)と言い、これが榧の木を蚊が嫌がるので「榧(かや)」と呼ばれるようになりました。
榧の実は神農本草経の中薬(中品)に記載されており、内容として「主腹中邪気、去三虫、蛇螫、蠱毒、鬼伏尸。生山谷。」と書かれています。
他にお正月のお祝いの品として神様に奉納する所もあります。
余談・・・四国、香川の金毘羅さんこと金刀比羅宮のお正月の飾り神饌には「かちぐり」(皮をむいて乾かした栗)と一緒に榧の実も奉納します。
榧の実は縄文時代より食用として食されており、時代が下って平安時代(927年)に編纂された「延喜式(えんぎしき)」の医療や調薬について書かれている「典薬寮(てんやくりょう)」に書かれており、 蛔虫や十二指腸虫を駆除する薬としてや、榧実(ヒジツ)を搾って得た油で灯火油、塗料油、頭髪油に用いたと書かれています。
榧の木で造られた家は10年経っても蚊が寄り付かないと言われます。他に榧の大木の柾目材は水湿に強いので風呂桶、船材に用いられます。
他にそろばん玉、数珠、仏像などの彫刻材、碁盤や将棋盤などに加工され、榧で作った碁盤や将棋盤は最高級品と言われます。
他にそろばん玉、数珠、仏像などの彫刻材、碁盤や将棋盤などに加工され、榧で作った碁盤や将棋盤は最高級品と言われます。
榧の実は炒って食する事も出来ますが、榧の実を絞って油を取って整髪油、行燈の灯火、榧の実油として料理に使用する事も可能です。とある高級料亭では榧の実油と胡麻油又は菜種油を混ぜ合わせて上級の食用油として使用する場合もあります。 高野山の宿坊・櫻池院(ようちいん)では榧の実油を使った「三品豆腐(さんぴんとうふ)」と言われる料理があります。
榧は江戸時代に庭園樹として多くの人に愛されました。
庭木として江戸の人に愛された木を「江戸五木」と言い、「木斛(モッコク)」、赤松(アカマツ)」、「榧(カヤ)」 「糸檜葉(イトヒバ)、「犬槇(イヌマキ)」などが江戸五木と言われます。」
http://www.yanagidou.co.jp/syouyaku-yakusou-kayanomi.html
『延喜式 八祝詞』「出雲国造神賀詞 イヅモノクニノミヤツコノカムホギノコトバ」
「乃スナハち大穴持命オホナモチノミコトの申し給タマはく、皇御孫命スメミマノミコトの静シヅマり坐マさむ大倭国オホヤマトノクニと申して、己命オノレミコトの和魂ニギミタマを八咫鏡ヤタカガミに取り託ツけて、倭大物主ヤマトオホモノヌシ櫛瓦(瓦偏+長)玉命クシミカタマノミコトと名ミナを称へて、大御和オホミワの神奈備カムナビに坐せ、己命の御子ミコ阿遅須伎高孫根命アヂスキタカヒコネノミコトの御魂ミタマを葛木カヅラキの鴨カモの神奈備に坐せ、事代主命コトシロヌシノミコトの御魂を宇奈提ウナデに坐せ、賀夜奈流美命カヤナルミノミコトの御魂を飛鳥アスカの神奈備に坐せて、皇御孫命の近き守神マモリガミと貢タテマツり置きて、八百丹杵築宮ヤホニキヅキノミヤに静り坐しき。(下略)」
http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/78/7802/780212.htm
最後の一文の原文
「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神 登貢置天」
「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神 登貢置天」
意味は「天孫の守り神として、カヤナルミノミコトのみたまを飛鳥の神奈備に置いた。(神奈備とは山である。)つまり祭った」である。天孫の守り神とは言い換えるとアマテラスのこと、あるいは倭国魂神ということか?いや「近き守り神」なのであるから、アマテラスは遠き伊勢にあるので遠き守り神であり、近きとは三輪山の大物主のことかと思われる。しかし大物主はその前に、大和のカンナビにとすでに書かれてあるので、それとも違う。飛鳥の神とは?
飛鳥にある神社となれば飛鳥坐神社(あすかにますかみのやしろ)がふさわしい。延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とあり、現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座である、とちゃんと賀夜奈流美命が祭られている。ただしこれには多くの異説がある。
『大神分身類社鈔』では 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命
『五郡神社記』 では 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神
『社家縁起』では 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命
となっている。この中で賀夜奈流美命に該当するのは女神である高照光姫(タカテルヒメ)と飛鳥(神奈備)三日女神(あすかのかむなび(みはしらの)ひめ)と、下照姫(シタデルヒメ)となろうが、いずれも出雲に関連する名前になっている。高照光姫と下照姫はいずれもオオクニヌシの娘であり、高木の神とも呼ばれるアジスキタカヒコネの妻だったと考えられる。三日女神は賀夜奈流美命の別名とされるが、「三柱の女神」であるならば宗像及び宇佐の三女神と等しくなる。
アジスキタカヒコネとカヤナルミの関係は出雲では「高木とそれになる実」と考えてみればわかりやすく、その高木とは榧(かや)だと考えが及ぶこととなる。榧の木とその種子である。
出雲の杵築大社(きづきたいしゃ)からは三本の大木を使った「宇豆柱 うづばしら」が出土しており、これを組み合わせて大社の社殿を支えていたことがわかっている。この三本組みがつまり三日女神のことであろうか?となるとその柱になった樹木は当然、榧の木=アジスキタカヒコネでなければならぬ。ところが出土した柱の材質はスギであった。http://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=96
島根県立古代歴史博物館
中央ロビー展示「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」
にも関わらず、大林組は、再現時には入手が難しい、縄文高層建築素材の。管理されてまっすぐなクリ原木、ケヤキ、カヤを組み合わせて実現したという。想定は本来クリであったようだ。現物がスギであるのに、なぜ現代入手が容易なスギを使わず、クリやカヤを用いたかは定かでない。
思うに、クリを多用したのは縄文的であるし、またカヤも縄文人の非常食である。カヤはしかもまっすぐに伸びて高くなる。柱にはカヤの方が扱いやすかった可能性がある。つまり出土した材木はスギだったが、それはそれほど大昔の柱とは考えにくいので、それよりも古い時代にはカヤが主に使われていたのではないか?と筆者は考えるのである。
そうであるならば、生命樹としての高木神が九州福岡県の浮羽。朝倉周辺に集中して祭られている事実と矛盾しなくなる。高木の神を民間で祭ったのはおそらく樹木を扱う宮大工や山師、林業従事者の民間での継続する信仰があったためかと考えられる。その種子はそうなると樹木のたねになるもの=子孫繁栄の象徴と理解できよう。「カヤナルミ」を朝鮮半島南部の「伽耶」にみなす意見は多いが、榧の実であると考える論考はおそらく筆者のこれが最初ではあるまいか?
あるいは出雲大社のあの巨大な注連縄に用いる萱のことかとも一時は考えた。実際には「マコモ」を用いるのが注連縄の通例であるが、往古、真薦も総称の「カヤ」と呼ばれていた。マコモは宇佐神宮の御神体でもある。しかし「なるみ」とあるので、やはりカヤの木と考えるほうがふさわしかろう。
出雲国造神夜詞に特に、阿遅須伎高孫根命アヂスキタカヒコネノミコト、八重事代主、賀夜奈流美命の三柱の神が特記されねばならないかと言えば、いずれも出雲由来であること、それぞれが高木、海、高木の種を表しており出雲に存在した三大種族・・・筑紫の北部の夜須の高木、南部の海人族=海蛇、半島から吹く偏西風に乗って飛んでくる樹木の種子=半島伽耶由来の渡来人を指すかと。しかしもうひとついたはずの日本海由来の北の蝦夷らしき神はここには登場しないことになる。高木信仰はしかしそもそも日本海縄文由来の高層建築の歴史と、縄文人匠が飛騨では樹木を扱う大工・木地師が飛鳥に集められて初期仏教建造物の建築に携わった事実=飛鳥時代斉明女帝らの時代・・・を考えれば、彼らが縄文時代から樹木の神を尊崇していたと考えてもおかしなことではない。
もっと言うならば、出雲におけるアジスキタカヒコネ・八重事代主・賀夜奈流美命の関係は、記紀のタカミムスビ(別天津神の一柱) 、『古事記』では高御産巣日神( たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊を高木の神としたことに対応し、これは自然の摂理の神=災害神=全能の神であるアメノミナカヌシつまり宇宙の摂理の生み出す生命の神秘であるタカミムスビ・カミムスビがアジスキとカヤナルミのコンビになるのかとも考えうる。すると八重事代主とはアメノミナカヌシとなる。すると大和神社や葛城高鴨神社においてアジスキタカヒコネが八重事代主を祀っている型式も理由もよく理解できることになる。
また檜原神社におけるアマテラスを倭比売が祭る形式もまた、実は賀夜奈流美命こそがアマテラスを天武・持統が考え出す源流だったのではないかと考え付く。
すなわち出雲のオオクニヌシ神は律令以前の古代に、各地の敗北者たちをとりまとめて出雲に鎮守するための鎮魂大社ということに気づくのである。
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