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お水取り特集・梓弓鳴弦、三車火宅、風姿花伝、咒師走り、いざなぎ流、イタコ、秦河勝

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梓弓と鳴弦 あづさゆみ・めいげん
「梓弓(あずさゆみ、あづさゆみ)は、神事などに使用されるアズサの木で作られた弓。材質に関わらず弓のことを梓弓と呼ぶこともある。」

「鳴弦は弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により気を祓う退魔儀礼。 魔気・邪気を祓う事を目的とする。 後世には高い音の出る鏑矢を用いて射る儀礼に発展した。 鏑矢を用いた儀礼は蟇目の儀(ひきめのぎ)と呼ばれる。」以上Wiki

「イタコは「口寄せ」と呼ばれる降霊の際、霊を招く巫具(ふぐ)として「梓弓」を用いる事例が知られている(すべてのイタコが用いるというわけではない)。
イタコは梓弓の弦を棒で叩き振動させ(鳴弦)、口琴にも似た音を鳴らしながら霊界に入る。
  神道の退魔儀式である「化生調伏儀式」では、「もののけを 引き離してぞ 梓弓 引き取りたまえ 今日の聞き神」の呪歌とともに弦を弾き鳴らし、巫女をトランス状態に誘う道具として用いられる。  また狩猟においては、「射止める」ほかに「狩の前に弦を鳴らし、音で場を清める」意味がある。 音(波動)で場を清めるのは、チベット密教の儀式で「シンギングボール」が使われることと同一だ。  弓は「神がかり;降霊・憑霊の道具」として位置づけられており、神の意志を現す力を持つため、人知を超えた物事を判定するト占の呪具として利用されてきた。」

「和歌で「射る」・「張る」・「引く」・「つる」・「矢」・「音」・などにかかる枕詞」
以上http://www.monster-sound.com/s/koepie/azusayumi.htm

関連
「祭り矢・祭り弓という神事が日本各地で催されていた。年始に行う事が多く「鹿討の神事」などとの共通性もみられ、その地域の1年の吉凶を占うものであり、神社の境内などで弓術の的と同じ物を、選ばれた福男が射抜くことにより行われた。的は金的・銀的などがあり、射ぬいければ祝的となり、五穀豊穣や大漁追福が約束された。また地域によっては、神職が行う事もあり、これらに使用された弓矢を梓弓と呼ぶ場合もある。」
梓巫女
「梓巫女と呼ばれる古神道や古くからの民間信仰による、いわゆる祈祷師が存在し、神社に属せずに特定の地域や渡り巫女として、吉凶の占いや厄落としや口寄せをしていた。このときに使用された道具が梓弓と呼ばれ、小さな葛(つづら)に入れ持ち歩いていたので小弓であった。」

梓の木
「「あずさ」という樹種は古代の「梓弓」の材料として言及されるが、現在は稀な方言として以外は廃れている。そのため、古代における梓の実体については、系統的にも大きく異なる諸説があったが、現在はほぼ確定している。
ミズメ(ヨグソミネバリ) Betula grossa - カバノキ科の落葉高木。白井光太郎による[4]。正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、通説となっている[5][4]。
キササゲ[5][4] Catalpa ovata - ノウゼンカズラ科の落葉高木。中国の「梓」と同種とする。『大和本草』(1709) より[6]。
アカメガシワ[5][4] Mallotus japonicus - トウダイグサ科の落葉高木。『物類称呼』(1775)・『本草綱目啓蒙』(1803–1805) より。本来「梓」に関する説だったのが転じたか[2]。
オノオレ[5][4](ミネバリ) Betula schmidtii - カバノキ科の落葉高木。ミズメと同属。『古今要覧稿』(1821–1842) より。
リンボク[5][4](ヒイラギガシ) Prunus spinulosa - バラ科の常緑樹。
このほか、方言として
アサダ[4] Ostrya japonica - カバノキ科の落葉高木。
ナナカマド[4] Sorbus commixta - バラ科の落葉高木。
ニシキギ[4] Euonymus alatus - ニシシギ科の落葉低木。
などを意味する。」 Wiki梓

中世にはマユミを用いたように記憶していたから、梓とは真弓のことでもあろうかと憶測したが、ここには真弓はなかった。

いずれにせよ、しなりのいい、強靭な樹木の、どうやら慣用的呼称だったようで、現実にアズサという品種はないようである。ただし、解説にあるように、正倉院保管の梓弓にはミズメという樹木が使用されていることから、古典で梓と言えば、まずミズメを指していたという説が有力である。中国で梓(Shi)と書けばノウゼンカヅラを意味し、版木に使われる百木の長、良木のキササゲと決まっている。また梓は中国で天子の棺おけに使用され「梓宮 しきゅう」とも呼ばれ、墳墓を意味していた。日本ではアカメガシワが代用されたのでこれも梓と呼んだ。また木材で器具を作る木地師や指物師(さしものし)も梓と呼んでいた。広く大工を指す隠語でもある。

(ちなみに箪笥や木目細工を作る指物師は物差しを使うので「さしものし」であるが、大工のうちに入る職種で、宮大工や木工匠、建具師(個別に香具師「やし」ともいう・隠語でかきつばたとも)なども広くは匠として一括される。さしの苗字を持つ人は先祖がそうした人だった可能性もある。指原、指物、指物師、指物谷などの姓名がある。仏師なども匠に入るだろう。一定地域にそれらの姓が集まっている傾向があるのは、中世から近世に職能民・技術者が荘園や城下に集められた名残である。例、鍛冶屋町の鍛冶さん、甲斐さんなど。「かい」は山の谷を意味するが、鉱山師や鍛冶屋に多い)


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では「あづさ」という呼び名には、どのような意味があったのだろうか?
梓 漢音「し」 は魔よけの樹木である。天子の墓を梓宮と呼ぶのは、この場合はキササゲの木で墓が造られたためである。また「梓里」と書いて「しり」は母親の胎内、ふるさとを意味し、「梓人 しじん」は大工、指物師などの工作技能者の総称となっている。「梓匠輪輿 ししょうりんよ」大工と車造り職人のこと(「孟子」)。以上、角川「新字源」から

ミズメ
「サリチル酸メチルを多く含み、枝を折ると独特のにおいがする。「夜糞」という名もこのにおいによるらしい。」Wiki

サリチル酸メチルとはつまりサロンパスのにおいの素。鼻どおりをよくするようなミント臭がある。こうしたことからその臭い匂いを魔よけとしてきたのであろう。

鳴弦とは今でも天皇家の祝賀や即位の儀式で鳴らされる弓。音で邪・魔を祓う。平穏のじゃまになるものを邪魔と言う。それを祓うのは天皇の最重要な癖邪祭祀で、古来、シャーマンたちの重要な「儺追い」の作法である。

梓弓の出てくる古典文学
伊勢物語 「あずさ弓」
世阿弥 能「葵上」

和歌
梓弓引けど引かねど昔より  心は君によりにしものを (伊勢)

  万葉集 巻第二
99 梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引 (久米禅師)
あづさゆみ つらをとりはけ ひくひとは のちのこころを しるひとぞひく
梓弓に弦をとり付けて引く人は、将来の変わらぬ思いをわかっているからこそ、あなたの気をひこうとするのだよ。

  万葉集 巻第四
 海上王が答え奉った歌一首
531 梓弓 爪引夜音之 遠音尓毛 君之御幸乎 聞之好毛
あづさゆみ つまびくよおとの とほおとにも きみがみゆきを きかくしよしも
梓弓を爪弾く夜音のように、遠く微かであっても、貴方のお出ましを耳にするのは嬉しいことですよ。

  古今和歌集 巻第二 
127 梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな (凡河内躬恒 =おほしこうちのみつね)
 立春の日からは、矢を射るように、早く時間が過ぎてゆくように思えるものだ。
 (弓に弦を「張る」を「春」に掛ける。)

  古今和歌集 巻第十二 
610 梓弓 ひけば本末 我が方に よるこそまされ 恋の心は (春道列樹)
 弓を持ち弦を引くと、その両端が自分の方に寄ってくる。そのように引き寄せたい。 夜ともなればいっそう恋心が増すことだ。
 ("本末" とは弓の下「本」と上「末」のこと。)

 鞍作村主益人、豊前の国より京に上る時に作る歌 
梓弓引 豊国の鏡山 見ず 久しならば 恋し けむかも (万、巻3-311)

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鳴弦の儀


要するに弓の弦を引くことで出る鳴弦の震えによって邪魔を祓うのであるが、すべての芸能の最古の始まりは、人類がまだ猿、猿人だった頃から物を叩いて出る音からなのであると、どうやら世阿弥はわかっていたようだ。サルが手を使い、物を使ってたたき出す音こそは、地球上最初の人工的鳴動だった。それ、その行為を、世阿弥は巫女に梓弓を持たせることで、源氏葵の中の六条御息所の中に潜む、女のどうしようもないねたみ、悪辣なる性(さが)が生霊と化すことを表現したのである。



「三つ車に法(のり)の道、火宅の門をや出でぬらん
夕顔の宿の破れ車 遣るかたなきこそかなしけれ」

壷折れ腰巻姿のシテ六条が登場してこう謡う。
六条は法華経にある「三車火宅」さんしゃかたくの喩えをとつとつと語り始めるのである。

「三車火宅
(さんしゃかたく、譬喩品) ある時、長者の邸宅が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、長者が説得するも外に出ようとしなかった。そこで長者は子供たちが欲しがっていた「羊の車(ようしゃ)と鹿の車(ろくしゃ)と牛車(ごしゃ)の三車が門の外にあるぞ」といって、子供たちを導き出した。その後にさらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えた。この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界、子供たちは三界にいる一切の衆生、羊車・鹿車・牛車の三車とは声聞・縁覚・菩薩(三乗)のために説いた方便の教えで、それら人々の機根(仏の教えを理解する素養や能力)を三乗の方便教で調整し、その後に大白牛車である一乗の教えを与えることを表している。なお檀一雄の「火宅の人」のタイトルは、この三車火宅を由来としている。」Wiki 法華七喩



源氏葵で六条は自分への寵愛を薄れさせて葵上に心を移した主人公を呪い、その呪いはいつしか無意識のうちに生霊となって、葵を呪い殺そうとしてしまう。その現実を法華経の火宅にたとえ、恨みの鬼となっている自分に、六条はあるときはっと気づかされてしまう。人の心の中に巣食う、そうした、どうしようもなく浅ましく、卑しい恨みツラミの心根を自分も持ってしまったことに愕然とするのだ。葵上はこのとき子をはらみ出産間近で、気分が優れずふせっていたが、どうもそれ以上にアヤカシノ力が介在している気がして、高僧を呼び物の怪を祓おうとする。その高僧たちが呼び寄せたのが強力な呪力を持っていた照日の巫女であった。彼女の交霊術こそは「梓弓の上手」であった。


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鳴弦には邪魔、癖邪とともに、悪霊、神霊をおびき出す呪力もあったわけである。これは 高知県東部の物部村に今も伝わるイザナギ流取り上げ神楽の、祖霊を神とした「ミコ神」「タカ神」のマツリにある儀式様式や、全国で「梓巫女」と呼ばれる口寄せ巫女がやることに、根が通じている。鳴弦や水音響く中で弓を鳴らして(いざなぎ流「水クラエ作法」)霊魂を降臨させる。

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本来は祖霊を下ろして交信し、子孫の誕生をうながすおめでたいハレの儀式であるが、イタコたちはこれを用いて死者の魂と呼び寄せて会話する。そもそも古墳時代からそうした儀式、祭祀は存在していた。その証拠に談山のぼり口にある古墳からは鉄製の弓が出土している。これはあきらかに梓弓のレプリカであるし、神功皇后三韓遠征を占う際には武内宿禰が琴を鳴らして霊魂を誘っている。つまり「琴線を揺らす」とは、音によって霊魂の降臨をうながす作法なのである。

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もちろんこれは本当に霊魂が降りてくるわけではない。見るものの心を揺らすとは憑依させる作業なのである。憑依とは見ただけで共感、共鳴、圧倒されてしまう宣伝効果抜群の聴衆感化手法では最高のものと言える。ところがその巫女のノウハウである憑依を、現代の神道では拒否している。つまり国家神道と民間シャーマニズム信仰の違いはこれである。

さて、しかしながら巫女、シャーマンの本来の憑依とは、祖霊の交霊術だけであったのではなく、そもそもは森の精霊たちを呼び寄せ(来訪させる。これが来訪神である)、そのスピリッツを自らに憑依させ、身に着けて神の代弁者となり託宣するのが本来であった。いわゆる神がかりである。

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『風姿花伝』「秘すれば花、秘せずば花ならず」の奥義にも、実はこうした憑依の作法が書き出され、それは記紀アマテラスの天の岩屋戸隠れのアメノウズメの踊りこそが申楽の始まり、奥義だとしてある。アメノウズメは伊勢の猿女君の祖であるが、このとき頭には縵をまきつけ、手には笹を持って、桶を伏せて太鼓とし、これを踏み鳴らして激しく踊る。なまめかしいストリップダンサーである。桶を踏んで音を出し=鳴弦・反閉、裳すそのひもをしどけなくたらして乱舞し=憑依、走ったり=咒師(しゅし)走り、右に左に旋回し=右旋左盤 て、神がかり、トランス状態になろうとする。これが能の、神楽の奥義であると、始まりであると花伝書は言うのである。そして、その申楽を神楽とはいわず申楽と言うのは、神では不遜ゆえに示す偏を取り去って、

神-示=申

で申楽にしたとへりくだり、その「さる」とは物まね、猿真似することから始まるのだと稽古事の本質をずばりと言い表した。さらに、その神楽・申楽の開祖は、
「日本国においては、欽明天皇の御宇に、大和の国泊瀬(はつせ)郷の河に洪水の折節、河上よりひとつの壷流れ下る。三輪の杉の鳥居のほとりにて、雲客この壷を取る・・・」などとまるで桃太郎伝説のようなことを言い始め、杉の鳥居の下から生まれたのが自分の祖先だといい募ってある。中からみどりごが生まれ、内裏の御門の前に夜中にすっくと立ち「我はこれ、大国秦の始皇の生まれ変わりなり。縁あって顕現した」などと言わせる。

「秦河勝(はだのこうかつ)これなり」
「上宮太子、守屋の逆臣を平らげ給ひし時も、河勝が神通方便の手にかかりて守屋は失せぬ」

と、これでもかと秦氏血脈を持ち上げる。世阿弥はさらにその秦氏の中の伊賀の杉の子服部の子孫が父観阿弥であり、自分自身の名は秦の三郎元清であると堂々と署名する。幼名は鬼夜叉。観世三郎元清と改名した。しかし実際にはどこの馬の骨かも知れない犬神人いぬじにんでしかなかっただろう。とにかく申楽はそもそもが聖徳太子が始めて河勝に舞わせた神楽なのであり、河勝こそが申楽の祖で、その奥義は物真似であって、それをつきつめたのが自分の開発した能であると豪語するのである。

しかしそもそも文芸史においては申楽は散楽に元をとった庶民の芸能である。その源には中国や朝鮮の神仙思想があって、そこに道教的な神秘主義、太陽を鏡として、そこに呪力を見出した弥生人、古墳時代人の鬼道が存在していた。つまり祖霊の降臨や、死者再生、輪廻転生の法こそが大元にある。世阿弥の芸能理論は、そうした往古からの民間の世俗的信仰形態と、足利家によってもたらされた新たな知識・書物によるところの歴史的発見をコラージュした、貼り絵のごときものに仕上がったのである。そしてただ激しく憑依するだけであったシャーマンの神楽を、論理に基づく整然としたものに凝縮し、分解した憑依ダンスのエキスを、ひとつひとつ速度を落としてスローモーション化することによって幽玄を加えたのが能である。これを洗練とファンは言うのである。

一切の無駄を捨て去って=捨身虚仮、必要なエキスだけを残すがために、能は散楽・神楽を研ぎ澄ました芸能へアウフヘーベンされた。

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咒師走りの一例



しかしそのエキスとは、古来からのシャーマンの被疑である憑依のための型である。頭の中の映写器で、世阿弥は神楽の野卑たひとつひとつの所作の連続を、ストップモーションやコマ送りで仰視する能力を持っていた。つまりそれは動体視力である。そして行き着いたのが能楽の所作である。旋回するダンス、床を踏みつける大地踏みによる鳴弦、テンポの遅いリズムによるすり足、舞台の四方をくまなく踏みしめて舞い歩く、天子で言えば国土巡回と神への鎮魂の祈りである。それは相撲の力士の四股や地方巡業とも根を同じくしている。つまり、それらの所作すべては原始シャーマニズムに満ち溢れていた。神の代弁者としての照日の巫女こそは、ある種、底辺の敗北者の歴史が生み出した恨を大本にした身分、名誉の回復祈願だったのではなかろうか。その夢を、被差別者だった芸能民世阿弥は秦河勝に託したのである。新参者渡来人というあらたな希望に。あらゆる既存のマイナスに向かうしかない身分制度に、渡来人秦氏も海を越えてやってきて挑戦した人々だったからにほかならない。能の最重要な哲学は、価値観の転覆である。

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追儺の集大成であるお水取り=修二会が始まる。
三月十四日は旧暦の節分である。なぜ三月なのに二月堂なのか?それは旧暦を新暦に置き換えたからにほかならない。本来、太陰暦の二月の行事である。一年の始まりの春の節気に、それは火と水と咒師(しゅし)走りによって開始される。密教の秘儀である。何ゆえに夜それらは行われるのか?もちろん秘すれば花ゆえである。暗黒の後戸の中で、火を燃やし憑依は深まる。暗闇の冬を終わらせ、新たな昼のとびらを開くための、あれは天の岩戸開きなのだ。永遠の繰り返しを続けてきた人類30万年の歴史がまたそのときから動き始める。そしてうきたつような芽生えがはじまり、あらゆる生命が再生される春がやってくる。これを中国では春節と呼ぶ。

それが本当の正月である。

英語で春をなぜスプリングと呼ぶのか?ばねのようにすべてがはずむ季節だからだ。あらゆる生命が再生される季節、つまりアマテラスが再生される。

次回、牛王宝印とは何か。







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