『日本書記』天智天皇紀は虚構に満ちている。
「これらは天智紀が基本的に政府にたくわえられた記録類をもとに執筆されたことを示すといえよう。」「(編集の)最終段階において推敲作業を怠らなければ、このような不体裁は避けられたはずである」(遠山美都男『天武天皇の企て』2014)
遠山が指摘する「不体裁」とは、天智紀に数箇所見える記事の重複である。
具体的にはまた別記するが、天智紀には実録と思える記事を、それとは異質な作文でつないだ部分が確かに存在する。
「天皇、天命将及るか(すめらみこと、みいのちをはりはむとする)」
この「天命」はまさに天智の諡号である。天命と言う言葉がいかに中国の影響下に天智紀が書かれたかを、くしくも証明する字句だと言ってかまうまい。
天命とは宇宙(一宇)支配者・天帝の命令のことである。中国では皇帝による地上支配は天命によっているとされてきた。天智紀はまさにその思想で描き出されている。つまり、あきらかに天智=皇帝、という恣意的書き方をされているのである。
天命が下って王権を手にすることを「易姓革命」という。『日本書記』は壬申の乱と言う天命・易姓革命を描きつつも、実は天武よりも天智のほうを天命に従った王者としていると言えよう。
天智紀は『日本書記』分類において雄略以後のα群に含まれる。編纂は7世紀であるから、最初からこれは予定されていた記事である。
この記事については、後日、もう一度ちゃんんと記事にするのでこれにて。
虚構はすぐにあばかれるだろう。