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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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あま 天・海 /邪馬台国などなかった

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あま
海・天・空
海人・海士・海部・海女・白水郎・蜑

亜麻


あまのはら(天空)⇔わたのはら(海原)
      もろこしにて月を見てよみける         安  倍  仲  麿
  あまの原ふりさけみれば かすがなるみかさの山にいでし月かも

間人宿祢大浦の初月の歌二首
289 天原 振離見者 白真弓 張而懸有 夜路者将吉
    あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ

部宿祢赤人が不盡山を望む歌一首
317 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもの いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじのたかねは

伴坂上郎女が神を祭る歌一首
379 久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齋戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝折伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞
ひさかたの あまのはらより あれきたる かみのみこと おくやまの さかきのえだに しらかつけ ゆふとりつけて いはひべを いはひほりすゑ たかたまを しじにぬきたれ ししじもの ひざをりふして たわやめの おすひとりかけ かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも

万 巻第十四 東歌相聞 3369 作者不詳
 安麻乃波良 不自能之婆夜麻 己能久礼能 等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟
  天の原 富士の柴山この暗の 時ゆつりなば 逢はずかもあらむ
  あまのはら ふじのしばやま このくれの ときゆつりなば あはずかもあらむ
  (右五首駿河國歌)


参議篁(11番) 『古今集』羈旅・407
わたのはら やそしまかけてこぎいでんと ひとにはつげよ あまのつりふね

「「天」はあまと訓読する。
 天地初發之時於高天原成神名天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】
 
【】内の注意書きの意味は「高の下の天を訓みてアマと云う。下は此れに赦へ」・・・・・『古事記』
 
この天(あま)は本来、海人(あま)を指していて、この海人の生活領域や支配領域が「天(あま)国」であり、その海人達が奉じる神々が「天の○○神」と呼ばれ、その神々を総じて天神(あまつかみ)と呼んでいる。
 
 『古事記』であれ『日本書紀』であれ、この神話が描く世界は海洋民族の世界であって、「天の領域」は「国生み神話」で語られる「天」という亦の名を持つ対馬海流が流れ来る玄界灘に浮ぶ、隠岐・沖ノ島・壱岐・対馬等々の島々で、その中核(中心地)となっているところが「高天原」である。
 
イザナギ・イザナミの神による国生み神話では下のような国を生みますがその特徴は、国とは云ってもその実質は「嶋生」みです。
 
①淡道之穗之狹別嶋【訓別云和氣下效此】→淡路島
 
②次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一而有面四毎面有名故伊豫國謂『愛(上)比賣』【此二字以音下效此】 讚岐國謂『飯依比古』 粟國謂『大宜都比賣』【此四字以音】土左國謂『建依別』 →四国
 
③次生隱伎之三子嶋亦名『天之忍許呂別』【許呂二字以音】→隠岐の島
 
④次生筑紫嶋此嶋亦身一而有面四毎面有名 故筑紫國謂『白日別』 豊國謂『豊日別』肥國謂『建日向日豊久士比泥別』【自久至泥以音】 熊曾國謂『建日別』【曾字以音】 →九州
 
⑤次生伊岐嶋亦名謂『天比登都柱』【自比至都以音訓天如天】 →壱岐
 
⑥次生津嶋亦名謂『天之狹手依比賣』 →対馬
 
⑦次生佐度嶋 →佐渡島
 
⑧次生大倭豊秋津嶋亦名謂『天御虚空豊秋津根別』 故因此八嶋先所生謂『大八嶋國』 →豊国の秋津
 
 然後還坐之時
 
①生吉備兒嶋亦名謂『建日方別』 →吉備の小島
 
②次生小豆嶋亦名謂『大野手(上)比賣』→小豆島
 
③次生大嶋亦名謂『大多麻(上)流別』【自多至流以音】→大島
 
④次生女嶋亦名謂『天一根』【訓天如天】→姫島
 
⑤次生知訶嶋亦名謂『天之忍男』 →五島列島
 
⑥次生兩兒嶋亦名謂『天兩屋』【自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋】→沖ノ島
 
以上『古事記』から
 
これらの淡路島以西の14の嶋の「国生み神話」のうち「天」という亦の名を持つ嶋が倭国の始源の歴史を持つ嶋なのだろう。
 
 
 
天照大神から神武天皇の父親までの名前に「天」が付きますが、これは上に記述した国生み神話で語られる天国のその支配者の名前です。
 
①天照大御神
 

 
②正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命
 

 
③天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能迩迩藝命
 

 
④火遠理命亦名天津日高日子穗穗手見命
 

 
⑤天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
 
この天の領域の天神の(血)統を継いでいる者が姓は阿毎(あま)字は多利思北孤と『隋書』に記載されている「日出づる所の天子」であり、その統治する所は九州です。
 
 
 
2、「天の下」 九州の地にあった「天」に対して九州の地から大和の地へ東侵して来た初代の神武天皇から推古天皇までの大和を中心とした支配領域が 「~坐○○宮治天下~」とあるように「天の下を治す」と呼ばれているが、初代の神武から32代推古天皇まで「天」の名前を持つ天皇はいません。
 
 神倭伊波禮毘古命坐畝火之白梼原宮治天下
 
 神沼河耳命坐葛城高岡宮治天下
 
     ・ 
 
     ・
 
 (32代)妹豊御食炊屋比賣命坐小治田宮治天下
 
 
 
この大和を中心とした領域が「天の下」であり、九州の地たる天(国)からの分国を示しています。
 
 『盗まれた神話』古田武彦著が参考になりました。
 
 
 
3、この「天」と「天の下」を東アジアへと視点を拡げて、俯瞰すると『旧唐書』でいう倭国と日本国の姿として見えてきます。
 
この「天」が旧唐書に云う倭国
 
「倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里、新羅東南の大海の中にあり。山島に依って居る~世々中国と通ず。~四面に小島、五十余国あり、皆これに附属する」
 
対して「天の下」が旧唐書に云う日本国
 
「~その国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界は咸な大海至り、東界北界は大山ありて限りをなし山外は即ち毛人の国なりと」
 
そして、やがて「或いは云う、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと~」。
 
 
 
これが日本側と中国側の史料が記述するところの古代の真相というものです。」
http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_12-G.html

「あま」という言葉には、空と海という正反対の意味が持たされている。もともとは「あま」は海であろう。天は「あめ」。この「あめ」が「あま」へ変じたか?「天の」とつく天皇諡号は多いが「あめの」と読むか「あまの」と読むかに法則でもあったのだろうか?

阿毎多利思比孤
「あまたらしひこ」「あめのたりしひほこ」
「開皇20年(600)、俀王あり、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号す。~(略)王の妻は雞弥と号す。後宮に女6、7百人あり。太子を名づけて利歌弥多弗利となす」


『隋書』倭国伝は「阿毎」と表記してある。
ならばこの場合「あま」であろう。
この人物は蘇我馬子。
なぜならば中国から使者を迎えるこのシーンで、時の権力者馬子は出席していない。
かわりにこの「たりしひこ」なる人物が上座の壇上にいた。
厩戸も推古もここにはいない。
すると取捨選択していくと馬子だったとしか考えられなくなる。

俀国という表示も奇妙ではある。これは「たいこく」としか読めない国名である。するといったいこれはどこの国の話だろう?となってしまう。

俀国とは中国呉の近くにあった南越(かつてテン国というものあり)の俀のことである。圧迫により南下してベトナム北部で越南。この越南の読み方がベトナム。倭国と同じ蛇の鈕を持った金印を送られた国である。その風俗はほぼ倭人に似ていたのだろう。つまりどちらも海人文化の地だったことと思う。

現代のベトナムと日本文化を比較しても、コメ食・魚食・魚醤・船と、かなり似ている。ベトナムはかなり中国文化に染まっているけれど、それはあくまでも江南以南の文化の流入。のちに華僑の流入によって華北文化も。

隋書の言う俀国とは果たして日本の飛鳥時代なのかどうかがそもそも問題になっているのである。

ただし隋書は俀国の首都についてこう書き記す。


A:俀国は百済・新羅の東南にあり。水陸三千里、大海の中において、山島に依って居る。
B:魏の時、訳を中国に通ずるもの三十余国~
C:古よりいう「楽浪郡境および帯方郡を去ること並びに一万二千里にして会稽の東にあり、儋耳に近し」と・・・・・『隋書』俀国伝


これはどう見ても日本である。



どうやら隋書編集者はかつての俀と倭を同じモノと勘違いしたようである。

「俀」は「たい」であるが「て」とも読む。
訓は「よわい」。
漢和辞書にはこの文字はない。

同音文字で「壹」「臺」「堆」「台」があるので、隋国人にはこれらとの混同もあったと考えられる。「壹」や「臺」の混同は魏志にもあるようだ。邪馬台国の表記に諸説ある。しかし「たい」は「台」であれば「うてな」「くに」「土地」であり、「台」「堆」と同じ意味となる。つまり「やま・たい」の「たい」は「台」=土地だった可能性が大(・・・にやり)。



これらの音のどこにも「いち」は出てこない。ゆえに九州王朝説の「邪馬壱国」説は却下される。大和説の「と」も出てこないから却下。



すると「やまたい」には「やま」しか意味が見出せない。「やま」は「山」「耶麻」か?「山がある土地」となり、ほとんど何も意味がない国名と言える。すなわち邪馬台国などは漢書・魏志の作った地名。そんな国はなかったことに帰結する。

江南諸国に対する政治的にけん制する位置にあってほしかった華北諸国代々の夢の国であろう。






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