●全国春日地名一覧
市町村
福岡県春日市
兵庫県氷上郡春日町、現丹波市。
熊本県飽託郡春日町、現熊本市。
春日町 (曖昧さ回避)も参照のこと
兵庫県氷上郡春日町、現丹波市。
熊本県飽託郡春日町、現熊本市。
春日町 (曖昧さ回避)も参照のこと
その他地名 春日町 (曖昧さ回避)も参照のこと
茨城県つくば市にある地名 → 春日 (つくば市)
東京都文京区にある地名 → 春日 (文京区)
岐阜県揖斐川町にある地名→春日村 (岐阜県)
奈良県奈良市にある地名 → 春日・春日山・春日野 (奈良市)藤原氏本拠地
徳島県徳島市にある地名 → 春日 (徳島市)
熊本県熊本市にある地名 → 春日 (熊本市)
茨城県つくば市にある地名 → 春日 (つくば市)
東京都文京区にある地名 → 春日 (文京区)
岐阜県揖斐川町にある地名→春日村 (岐阜県)
奈良県奈良市にある地名 → 春日・春日山・春日野 (奈良市)藤原氏本拠地
徳島県徳島市にある地名 → 春日 (徳島市)
熊本県熊本市にある地名 → 春日 (熊本市)
駅名 春日駅 (東京都)
春日駅 (福岡県)
春日駅 (福岡県)
春日部
埼玉県春日部市
当地を起源とする鎌倉時代の武家・春日部氏に因んで、現在の表記に改められる。ただし、春日部という地名自体は、春日部氏登場以前から存在した(春日山田皇女を参照)。江戸時代は日光街道の宿場町であった。1944年(昭和19年)、南埼玉郡内牧村と町村合併するまでは粕壁町と表記していた。そのため、現在でも春日部市内には市名と同音異字の粕壁という名称の地域が在る(即ち、春日部市粕壁)。また古代の部民としての春日部氏は安閑天皇の皇后である春日山田皇女の生活の資用に当てられた料地等の管理に携わった人々を言い、この皇后の名に因むとする説がある。鎌倉時代の武家である春日部氏は、その本氏姓は紀氏であるとされ、古代春日部とは関係がなかったであろう。地名名乗りである。(クレヨンしんちゃんは確かここが出身地では?)
「かすが」は
滓鹿、霞処と表記されていた。和歌の枕詞で「春の日の滓鹿」とあるので、意味は霞がかかるところであろうし、その霞とは春の気象の象徴であろうから、やがて春日となったか?
滓鹿、霞処と表記されていた。和歌の枕詞で「春の日の滓鹿」とあるので、意味は霞がかかるところであろうし、その霞とは春の気象の象徴であろうから、やがて春日となったか?
兵庫県の中央部に今は丹波市となった春日町があり、例の春日の局出身地として有名である。但馬から播磨へ抜ける国道上にあり、筆者若い頃、出張の際に使うこともあった。春日町には「小鼓」という天下の銘酒醸造所があるので、わざわざここを通ったのだった。確かに銘酒のはず、なにしろ酒米No1山田錦の一大産地である。味わいはすっきり辛口。純米酒がお勧め。
さて、滓鹿表示になにか由来があるかと考えれば、「滓の鹿」とは小鹿のことであろう。滓は鹿の子模様の白い斑点を表すと思える。そして滓は酒粕でもあり、ここが渡来系工人の古くからいた酒どころであることも氏族を読むヒントにはなるまいか?但馬は杜氏のメッカでもあるし、但馬の出石、豊岡と言えば日本海の渡来がやってくるのに、出石川という往古は深くえぐれて山間部まで入った良港があった。アメノヒボコもここを選んで住んだという。その子孫但馬守(田島守」はここから「ときじくのかくのこのみ」を求めて大陸へ出港し、橘らしき果実の苗を手にしている。
但馬の日本海文化と播磨の瀬戸内文化は、気候的にも正反対だが、互いに行き来して、影響しあったと見られ、生野銀山開発や、姫路鋳物師などの金属加工文化は伽耶由来ではなかったか。その春日町の名前は和邇氏がやがて春日氏と改姓していることで、大本が伽耶を本貫とした和邇氏の氏姓と関係が深いだろう。
奈良の天理市の和邇には「赤坂」の名の神が祭られる和邇坐赤坂彦神社がある。和邇氏といえばその近くの和邇東大寺山古墳出土の中国1世紀ごろの年号入り鉄剣が有名である。和邇氏と北魏の関わりがこの鉄剣を、古代大和では最古の年号入り記念品として入手できていたと考えられている。1世紀半ばまで、筑紫以外で中国と間接的でも交流した遺物を出したのはこの古墳だけだろう。当時の和邇氏族の力が垣間見える遺品である。
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さて、その赤坂とはおそらく埴土(はにつち)の色をさしているのかと、筆者は以前ここを訪れてぴんときていた。その赤い色は明るいに通じるため、春の日につながるのではなかろうか?
奈良の春日山、春日野は春日大社があって藤原氏が大和の本拠としたわけだが、この「かすが」もそもそも鹿の子、鹿がいる山由来ではないか?なんとなれば藤原氏は鹿をステータスとしている。だからそもそもここも「滓鹿」表記だったのだと思う。山であるなら当然春霞も立つだろうし、春日山名物春の山焼きの煙も、山を霞ませることだろう。ここが「かすが」である理由は、かつてはここまで和邇氏の所領があり、春日部などの部民や和邇の春日氏が所有したためだろう。そこから和邇・春日・小野氏らが近江へ移動したあとに藤原氏がここに入ったということか?
はにつち、つまり赤土は弁柄や珪藻土やの赤い成分を持った土壌で、ここから遠くない植山古墳、見瀬丸山古墳周辺は真っ赤な赤土が出る。この赤い色を持った石を使う石棺が植山古墳から出ている。それははるかに遠い九州阿蘇の馬門石つまり阿蘇ピンク石でできていた。中は空っぽで、排水溝からは、馬具の金銅製歩揺付飾金具、大刀の飾りにあたる水晶製三輪玉が見つかっている。東石室は同じ奈良県広陵町の牧野古墳の石室と似ていることから6世紀末ごろに築造されたと考えられる。
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赤土でできている植山古墳
『日本書紀』推古女帝の改葬のさいにここから二つの遺骸が運び出され磯城の山田高塚古墳へ移されたという記事に見合うという。植山も内部は双室で、息子の竹田皇子との合葬を望んだ推古女帝の記事に合致する。推古は父方が蘇我氏であり、息子竹田は、丁びの乱(守屋の乱)で不明な死に方をした非業の皇子である。その彼女が、おそらく竹田のためにか赤い石をわざわざはるかに遠い九州から取り寄せたかどうかは、まったく反対の意見も九州にはあり、いずれにしてもその意味は、赤い色の呪力にあることは間違いあるまい。それがやはり真っ赤な赤土の土地である植山から出てきた。
実は、さきほどの兵庫県春日町に程近いところに黒尾神を祭った神社がある。
地図http://map.yahoo.co.jp/maps?p=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E5%B8%82%E9%9D%92%E5%9E%A3%E7%94%BA%E5%B0%8F%E5%80%8931&lat=35.24490754&lon=134.99655299&ei=utf-8&sc=3&datum=wgs&gov=28223004&ac=28223&az=4&layer=pa&v=3
兵庫県丹波市青垣町小倉31 黒尾神社
祭神 オオクニヌシ神
http://yaokami.jp/1282542/
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兵庫県丹波市青垣町の黒尾神社
黒尾神は九州では武内宿禰、近畿では新羅明神で祭られる。
しかし日本海に面した但馬ではなぜかオオクニヌシという出雲や大和三輪山の神が祭られた。
その心は、武内宿禰氏族と日本海、出雲・丹後・越前・若狭などとの関与が考えられるが、葛城襲津彦(かづらぎのそつびこ)は伽耶と大和を往復した鉄の外交官で、葛城氏もまたよく出雲由来氏族ではないかとされることも多い。紀氏・木部らが吉備を中継地としたときに、当然、ゆるやかな山地である中国山地の向こうにあった出雲や但馬とも往来は可能で、海抜がさほど高くない春日町は十分その通過点、中間点である。
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そもそも葛城鴨氏には、出雲八重事代主を祭る葛城坐高鴨神(アジスキタカヒコネ)が祭られ、出雲との深いかかわりを教えてくれている。
「加茂と称うは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂建角身命、神倭石余比古(神武帝)の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし、そこより漸くに遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまい、山代河のまにまに降りまして、葛野河と賀茂河との会う所に至りまし、賀茂川を見遥かして、言りたまいしく「狭小くあれども、石川の清川なり」とのりたまいき。依りて、名付けて石川の瀬見の小川と言う。その川より上りまして、久我(こが)の国の北の山基(やまもと)に定まりましき。その時より、名付けて賀茂と言う。」『山城国風土記』逸文
葛城山の麓は御所市である。ここには鴨都波(かもつば)神社がある。
鴨の建角身=アジスキタカヒコネ=高鴨の雷神闇龗(おかみ)神は葛城に入り兄神・八重事代主を鎮魂したあと、御所の磐余に向かい、さらに山城の久我を目指す。久我とは京都市南部、桂に近い地名で、平安時代の久我氏からは往年の女優・久我美子(くがよしこ)が出た。「くが」は「こが」の新しい時代の読みであるが、そもそもここは「こが」「くご」である。筆者が丹後や桂にゆくときの通り道で、物集も程近い。製材所は今もあるだろうか?
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久我から北に向かう山とは北大文字山だろうか?その麓にある石川の瀬見とは今の下鴨神社のことであろう。もちろんその地理感はやや正確を欠いた表現になってしまっている。応仁の乱前にはそういう地理感でよかったのか?
鴨氏の八咫烏伝承は、前にも書いたが神武東征伝説とアーサー王伝説の類似が関与する伝承ではなかったか?それを持ち込むのはやはり山城の秦氏と鴨氏の婚姻から下鴨が祭られることと関わったであろう。
上賀茂と下鴨の違いは、後者が秦氏と結ばれていることである。では彼らカモ族は出雲から但馬を経て播磨へ移動する際に、春日の和邇氏とも関わったであろうか?
また蘇我氏の推古女帝が赤い土を息子への鎮魂の色、再生願望の色として阿蘇から石棺を取り寄せたというのは、なにか和邇氏の赤坂彦とは関係していなかっただろうか?
もちろん、推古(額田部皇女)がその名代部だった額田部を肥後熊本の大野窟(おおのいわや)古墳あたりに送り込んだ可能性は実はあって、肥後のピンク石産地である宇土の葦北国造の息子日羅は「額田部君」であった可能性がある。また●『正倉院文書』天平時代(8世紀頃)には「宇土郡大宅郷戸主額田部君得万呂 戸口額田部真嶋」ともある。
允恭天皇 額田部氏 額田部連比羅夫 森浩一・網野善彦 馬・船・常民 講談社学術文庫(1999) より
「おもしろいなと思うのは、推古女帝【豊御食炊屋姫(幼名、額田部皇女)】が蘇我氏を誉め讃える時に、「太刀ならば呉の真刀」。呉というのは中国の江南です。だから鉄ならば中国の江南のものがいい。「馬ならば日向の駒」がいいと例をあげて誉め讃えている。そうすると推古女帝は、非常にいい馬は日向の馬だと思っている。ところが、もう一つよく考えてみると、額田王で有名な額田ですね。字だけが一緒で氏族としての額田部ですね。その額田部氏が、『新撰姓氏録』のなかで先祖伝承を書いている。それは、允恭天皇の時に薩摩での戦争でとってきた名馬の額に田という格好の巻毛があった。それを天皇に献上したので額田という名前をもらって氏の名になったのだと書いています。そうすると、古い時代は隼人の根拠地である薩摩と大隅は日向の一部で、奈良時代頃になって日向からだんだん大隅と薩摩が分かれていくわけですから、推古女帝がうたっている日向の駒というのは、なにも宮崎県に限定しなくても、隼人の馬である可能性がある。そしておもしろいのは、推古女帝のもとに中国や朝鮮半島から使いが来たら、だいたい額田部連比羅夫が多くの飾り馬に乗った兵士を引率して、外国の使いを大和で迎える。だから、推古女帝は、たしかに額田部氏の率いていた馬を見ていた可能性があるのです。」
参考資料: 畿内の牧 森浩一・網野善彦 馬・船・常民 講談社学術文庫(1999) より
故・森浩一がここで言っているのは、つまり肥後の宇土近くに額田部が馬牧を持っていた可能性である。大野という推古の古墳のある地名が熊本南部にもあり、そこに大野窟古墳と言う大きな前方後円墳がある。宇土には馬門(まかど)地名がある。(大阪北部にもそう言えば門真市があるが?)
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阿蘇ピンク石を出す露頭石切り場が馬門であり、だから馬門石と言う。そして石切り場の地名は牧である。このあたりが額田部の馬牧があったとすれば、ちょうど真下に曲というわんどの津があって荷だしにふさわしい地形である。日向の馬を最高だと言った蘇我氏と推古。その馬を運んだ氏族が、阿蘇ピンク石石棺も運んだ可能性があるのだ。ならばなぜ推古の墓にそれが使用されたかのルートはやはりあったことになる。
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
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