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通史とは?


あくまでも筆者の個人的意見だが・・・。


通史とは、分化されて分析される現代科学の各論ととりまとめて、それらをも客観的に俯瞰し、古代史・中世史・近現代史を通して見えてくる一貫した、その国民なり、あるいはひいては全人類の歴史的生き方、人生観、行動学から眺めようとする考え方である。

歴史は、人間がいかに大自然と闘い、そこから何を得て、それが結果的には信仰や宗教を生んでいくという、はるかな視点である。だからそこにはなにかしら時代を超えて、つながる共通性、言い換えれば日本人なら日本人としての一貫した不易流行の部分があり、それをこそ見出すことにこそ歴史の意味がアル・・・というものだ。

そのためには原始の時代、あるいは人類史のもっとまえの、動植物の歴史すら知っておくほうがいい。なぜなら遡れば遡るほどに、その共通的な生き方の源泉、エキスは明瞭に見えてくるからである。

人類史や進行の歴史などは、たかだかここ4000年ほどのスパンでしかものごとを教えてはくれない。もっと前まで見ていくと、動物・生物としての人間という、基本の基本や、それを突き動かす宇宙の摂理までもが見えてくるのだ。そういうものはすべての生物に共通した「処世術」なのであろう。それが見えてくる学問でなければ筆者は評価しない。だから神を分析するのなら、自分自身が神々のいる場所・・・宇宙的な視野を持つ必要があると思っている。


神々の真実というけれど、往古まだ国家や地域が統一性がなかった時代は、地域によって性格や名前はばらばらであっただろう。すると今、九州なら九州、東北なら東北の正しい神々の正体がわかったとしても、それは決して「最古の」「最大公約数」の神観念だったわけではないことにも気づくべきである。

もっと古い時代はどうだったかに、目が向かわねば、その研究はまだ断片でしかないというほかない。

しかもたとえそれがその地域の正しい神々の名前だったにせよ、あとになって中央が政治的にその名前をオブラートし、違う名前で登場させたら、名前は違うが、中身は結局同じなわけである。名前などは形而上学的な分類記号でしかなく、大事なのはその性格や歴史的意味のほうである。根本には、たったひとつかふたつだが共通性があり、それが全世界的なもので、時代を経ても不易流行の概念になっているものがある。それが最重要な「神」である。


そもそも間違いは、神を人間に置き換えて=地域ごとの「亡霊」として把握しよう
してしまうことではなかろうか?だから名前の置き換えや入れ替えにあまりにもこだわる研究が生まれる。

それらを調べ上げ、系譜を作成し、記紀の神々はうそであることを証明することに、筆者はどんあ意味があるのかわからないし、古田古代学のような、なんでも九州が起源としたい意見には、それじゃあまるで韓国人と同じじゃないか?という感想しかないのである。



多くの偽書とされている異端の歴史書があるが、あれらには、その地域における「中央史観」へのアンチテーゼ、否定という政治的思惑(しわく)がつきまとっている。それは絶対に否めない。中央史観があってそれに反対する史観がある。しかしそのどちらもが両極端であって、歴史の全体像を語ってはくれないのである。

言外にあるうしろ戸を押し開く必要がある。そのノウハウは、子供の頃から教育が正しく一貫した史観を与えてあげる必要があるし、同時に、それもまた正しいかどうかまで疑わせる自由な発想を阻害しないものでなければならない。

アメリカ人は自分たちの与えられた国民としての自覚を、アメリカ国歌や星条旗に誓い、自由であらんとして成長する。それが間違ったものかも知れないが、とりあえず全アメリカ人に共通する意識が持たされていることは重要である。自由とは、なんでもありではとりとめのないものになり、国家は前を向けなくなるものでもある。そういうアイデンティティの部分がまちまちでは困るのが政治である。しかし同時に、彼らは個人主義を許容され、ひとつの方向だけ向いている必要もないよとしてある。
当然である。人は間違う。間違う不完全な生き物だという認識はなければならない。


通史は楽しむべきものであり、イデオロギーでしばりつけられるものではないのだ。

へえ?が一番楽しい。


それ以上、奥へ入り込めば、そりゃあサティアンの世界になってしまう。カルトである。独善性に犯されかねない。多くの地域の異なる人々にとって、九州なら九州で祭られてきた神々の話をしたところで耳をかたむけたい人など、そうそういるはずもない。ところがそれが東北のなんたら神とそおくりな考え方のものであって、相互に影響しあったとかなんとか言うと、にわかに興味は出てくるだろう。


つまり不易流行の歴史学を考え出していくことが肝要である。


あたしゃ、そう思いますよ。





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